第76話 土曜日の午後に(1)
2003年4月、20歳のジフン
その言葉を聞くのは、初めてではなかった。
「こういうことが目当てで私と付き合ってんの?」
ジソンと出会う前、少しのあいだ付き合っていた子にも、そう言われたことがあった。
「俺が何したっていうんだよ。ドラマでも見たのか?」
何もしていなかったわけではないが、そんなことを言われるには、まだ早すぎた。暗い場所でも、スクリーンの光に照らされて、怒った彼女の顔がはっきり見えた。
「何、その言い方?」
映画は構わず流れ続け、喧嘩が始まった。その日を最後に、その子とは別れた。
ジソンの口からも同じ言葉を聞かされ、乾いた笑いが漏れた。ジフンは体をずらして彼女の隣に横になり、煙草に火をつけた。ジソンは煙が嫌なのか、鼻まで布団をかぶった。
「別に喧嘩したいわけじゃないから、とりあえず聞いて。その言い方、本当に変だと思うんだよ」
ジフンは煙の散っていく天井を見ながら、話し始めた。
「何が?」
「いや、半年以上付き合ってる二人がモーテルに来たら、自然に一緒に横になって、寝ることだってあるだろ。違うか?」
ジソンは答えず、ジフンの話を聞いていた。
「寝ることだけが目的で付き合ってるんじゃなくて、付き合ってるから自然とそうなるんだろ」
喧嘩をするつもりはないと言いながらも、ジフンの口調には苛立ちが混じっていた。
――嫌なら、したくないって言えばいいだろ。余計なことを。
ジフンは煙草をもみ消し、水でも飲もうと起き上がった。ジソンも、はだけたガウンを直しもせずに身を起こした。
「そう言われるの、初めてじゃないでしょ?」
水を飲んでいたジフンの動きが、一瞬止まった。
「ジソンが初めてなのに、ほかの誰にそんなこと言われるんだよ」
「それは知らないけど、何度もそう言われるなら、自分に問題があるんじゃないの?」
これ以上言い争いたくなくて、ジフンは口をつぐんだ。煙草と灰皿を持って椅子に座り、また火をつけた。
自分に何か問題があるとは、特に思えなかった。去年の六月にジソンと出会うまでは、確かに行き当たりばったりの恋愛をしていた。手の甲に傷を負ったあの日、こらえていた涙が一度あふれてしまうと、少しは我に返ることができた。
時間は流れていた。自分だけが、高校二年の夏休みにとどまっているわけにはいかなかった。料理の学校へまじめに通い、資格も一つ取った。担任は期末試験と模擬試験の成績を見て、これならもっといい学校も狙えると、ジフンを褒めてくれた。勉強する習慣をつけてくれたのはセハだったが、高校三年の生活をきちんと始めるなかで、ジソンがそばにいてくれたことは、確かにありがたかった。だからジフンは、自分なりに精いっぱいやっているつもりだった。そんな相手から、ただ寝るためだけに付き合っているのかと言われるのは、受け入れがたかった。
「考えてみたけど、やっぱり俺の何が悪いのかわからないな」
「そう。じゃあ、何も悪くないんでしょ」
ジソンは布団をすっぽりかぶって横になった。たまに喧嘩をすると、機嫌を直してもらうのに冷や汗をかく日もあったが、今日はそんな気にはなれなかった。
翌朝、だるい体を起こして時計を見ると、八時だった。学校まではバスで四、五十分かかる。ジフンは跳ね起きて歯を磨いた。寝癖のついた髪を水で適当に整え、服を拾い集めて着た。ベッドをちらりと見ると、ジソンはまだ横になっていた。今日は、ジソンの授業が始まるのはジフンよりずっと遅かった。昨夜の気まずさも残っていて、わざわざ起こそうとはしなかった。そうしてジフンは、ジソンが起きていることを知らないまま、モーテルの部屋を出た。
幸い、一時間目の講義には遅れなかった。もうすぐ中間試験が始まるので、ジフンは教授の言葉をできるだけ聞き漏らさないようにした。
「お前、言ってること全部わかる?」
休み時間、同じクラスの学生たちと煙草を吸っていると、ヒョヌが尋ねた。
「わかるっていうか……とりあえず全部聞いて、必要なことは覚えるんだよ」
「覚えること、一つや二つじゃないだろ。ああ、もう授業サボりてえ」
ドンヒョクが話に入ってきた。ドンヒョクは教室にいても、ろくに授業を聞いていなかった。まず教授の話をちゃんと聞けと言いたかったが、口には出さなかった。
「もうサボっちまうか。出席は取ったし」
ソンベの提案に、何人かがうなずいた。ヒョヌは手を振って断り、ジフンも同じだった。
「今、授業まで聞かなくなったら、試験のときもっと途方に暮れるぞ」
ジフンの言葉に、何人かがせせら笑った。
「ユジンとイェインさんは?」
彼らはユジンやイェインをはじめ、ほかの女子にも声をかけた。何人かは授業を抜けると言ったが、ユジンは首を振った。
「私は授業受ける。試験の準備しなきゃ」
「じゃあ私も、ユジンと授業」
イェインもユジンと一緒に授業を受けることにした。サボることで意見が一致した学生たちは、終わったら連絡しろと言って、鞄を取りに行った。
ジフンも学校の勉強が楽しいわけではなかったが、試験まであと数週間という今、彼らの行動は情けなく思えた。もっとも、自分も出席だけ取って帰ったことはあったので、顔には出さなかった。
「実習なら何とかなるけど、理論が難しいな」
教室に戻ったヒョヌが、うめくように言った。
「実習も成績は結構シビアにつけるらしいぞ。だから、せめて理論の試験は答案を全部埋めて出さないと」
「聞いてても、何のことだかわからないんだよ」
ジフンは自分にわかる範囲で、試験に出そうな箇所を指し示した。
「ここと……この章と……ここまで全部覚えてみろよ。経営実務は公式があるから、材料ごとの単価を覚えて当てはめればいい。あとは暗記」
「そんな簡単に言うなよ。今お前が印つけたところだけで、一冊分くらいあるだろ」
一冊分というのは大げさだったが、覚える量は多かった。
「ジフンは、いい点取れそうだけどね。内容、全部わかってるみたいだし」
後ろで聞いていたイェインが、話に加わった。
「受けてみなきゃわからないよ。大学の試験なんて初めてだし」
「そっか。じゃあ、試験勉強はどこでするの?」
「家?」
そう答えはしたものの、家では勉強がはかどらないことはわかっていた。
――ジソンも試験の時期は重なるだろうし、向こうの学校で一緒にやろうって言ってみるか。
ジソンの学校まで往復するにはかなり時間がかかったが、昨日の会話が気にかかっていた。
――あとで話してみよう。
残りの授業も、やはり残っていてよかったと思えた。教授は中間試験に出す問題をはっきり教えてくれながら、どんどん授業を進めていった。教授たちが強調したところを全部勉強すれば、B+くらいは取れるのではないか。時間さえあれば、十分にできるはずだった。




