第75話 このために(2)
「ジソンさん、いらっしゃーい!」
ソヒョンがジフンよりも先にジソンを見つけ、立ち上がって迎えた。
「ソヒョン、こんばんは。ジフンは、私が来ても挨拶もしてくれないの?」
「挨拶って、毎日会ってるだろ。ここ座って」
ジフンは空けておいた隣の席に、ジソンを座らせた。
「今日は実習って言ってたっけ? 何やったの?」
「鶏料理」
「だからあ。鶏で何を作ったのって」
「カツレツとフリカッセ」
「ふうん。料理の学校でやったやつ?」
「まあ、どれも似たようなもんだよ」
実技を習っていた料理の学校で出会った二人は、別々の大学へ進んだ。専攻が同じなので、話せることは多かった。ジフンは料理の話をあまりしたくなかったが、話題があるだけで十分だった。
「ジフンって、フライパンの扱いがうまいんだよ」
「はははっ。何度聞いても、想像つかねえな」
インスには、親友がともかく脇道へそれず、料理の学校から大学まで、きちんと通い続けているのが不思議だった。
「俺はフライパン触ってねえよ。下処理とソース」
「あ、班でやったの? あれをわざわざ班に分かれてやるの?」
ジフンも同じことを思っていた。韓国料理の実習では一人一皿ずつ作ったが、西洋料理の教授は、やけに班を組ませたがるようだった。
「協力するのも大事だとか、何とか」
「うわ。それも女子と同じ班でやんの?」
ヒジェの言葉に、一瞬みんな顔を向けたが、誰も答えなかった。
「室内建築は、男女比が終わってる。イム・ジフンがうらやましいぜ」
ヒジェは、ジフンの学校の近くにある別の学校の、室内建築学科へ進んだ。期待に胸を膨らませて通い始めたものの、男しか見当たらないと、泣きそうな顔で帰ってきた。
「でも、室内建築って、工学系の中でも女子が多いほうだって聞いたけど、お前の学校は何でそうなんだ?」
「知らねえよ。今年はなぜか男ばっかり集まったんだって」
そうは言いながらも、ヒジェもそれなりに学校へ通っているようだった。ソヒョンが、ヒジェの言葉に答えた。
「女子がいないなら、よかったじゃない。勉強でもしなよ」
ソヒョンがヒジェを好きなことを、もう隠そうとしないのにも、ジフンは違和感を覚えなくなっていた。ほかの友達も同じだった。ヒジェだけが、聞こえていても聞こえないふり、わかっていてもわからないふりをしていた。
「ホテル調理科は女子のほうが多いって、わかってはいるけど、やっぱり嫌だな。だから、私と同じ学校に行こうって言ったのに」
気になっているらしいジソンが、口を開いた。ジソンが進んだ四年制大学には、成績が足りず、出願すらできなかった。高校三年の一学期の期末試験のころから、気を入れ直して勉強してみたが、間に合わなかった。それに、ジソンと同じ学校へ行きたいとも思っていなかった。
「それで別れたら、学校どうやって通うんだよ」
ジフンの言葉に、ソヒョンがため息をついた。
「ほんと、ときどき冷たいこと言うよね。何で別れることを考えるの?」
「永遠なんてないんだよ」
ジソンは黙ってビールを飲んだ。それから、グラスを音を立てて置き、ジフンをにらんだ。
「それでも、付き合ってる相手の前でそんなこと言って、いい気がすると思う?」
ジフンは笑いながら、声を尖らせたジソンの手を取った。
「でもさ、こうして学校のやつらとは遊ばずに、会いに来てるだろ」
「もういい。何で手を握るの?」
ジソンは手を振りながら言ったが、実際に引き抜こうとはしなかった。まだ眉をひそめていたソヒョンが、ジフンをたしなめるように言った。
「イム・ジフン。ジソンさんを、ちゃんと大事にしなよ」
「してるよ」
ジフンの言葉に、ジソンは特に答えなかった。インスが話題を変えるように口を開いた。
「そういう学科に行ったんならさ、俺にも紹介するとかしてくれよ。ヒジェだって……いてっ!」
ソヒョンに蹴られたらしかった。ヒジェも口には出さなかったが、何かを期待する目をしていた。
「学校のやつらとは、そんなに親しくねえから。見てのとおり、仲よくなるのも難しいし」
ジフンは、握っていたジソンの手を持ち上げて見せた。ジソンは、ようやく笑みを浮かべた。
「自分の学校の子と付き合えよ。お前らのとこだって、女子は多いだろ」
インスは首を横に振った。
「いいなと思う子は、もうみんなCC(※キャンパス・カップル。同じ大学に通う恋人同士を指す韓国の呼び方)だし。それに俺、CCは嫌なんだよな」
「出遅れたな。チョンウォンも、あんなに学校に入り浸ってんの、何かあるんじゃねえかと思うけど」
高校のころから、男たちが集まれば、いちばんの話題は女の子のことだった。会うたびに似たような話をしていたが、飽きることもないようだった。ヒジェも、いつもの愚痴をこぼしながら、ビールをあおった。
「CCってやつを、見物だけでもしてみたいよ。臭え工学系の男どもめ、くそー」
その言葉に、みんな吹き出した。酒の席が盛り上がるにつれ、ビールのグラスは空になり、また満たされていった。
「じゃあ、またね。ジフン、ジソンさんをちゃんと送ってあげてね」
店を出た友達は、それぞれ別れの挨拶を交わした。ジフンの家は歩いてすぐそこだったが、ジソンを家まで送ってから、また戻ってこなければならなかった。
「疲れてない? 明日の授業、何時から?」
「いつも同じ。九時。まあ、疲れてるけど」
四年制大学に通うジソンの時間割は日によって違ったが、ジフンはいつも同じだった。大学に入っても、回し車のリスのように同じことを繰り返す平日には、二か月もたたないうちにうんざりしていた。ジフンはゆっくり、とぼとぼと歩いた。路地を抜け、駅のほうへ向かった。駅へ続く裏通りには、モーテルが何軒かあった。
「泊まってく?」
ジフンが尋ねると、ジソンは少し迷ったようだった。ジフンは一度彼女を見ると、握った手に力を込め、駅のほうへ引いた。
「疲れてるから言っただけ。普通に帰ってもいいよ」
「ううん。行こう」
二人は慣れた様子で、モーテルの入口へ向かった。どちらも金はあまり持っていなかったが、合わせれば五万ウォンは十分にあった。
「ビール、もっと飲む?」
中へ入る前に、ジソンがコンビニを指さした。
「今日はもうやめとこう。飲んだって、余計に疲れるだけだ」
カウンターで金を払うと、鍵を渡された。
「三階だ。行こう」
部屋に入ると、ジフンはシャワーを浴びた。いつからか、体からずっと料理の匂いがしている気がして、朝晩、念入りに洗うのが習慣になっていた。どれほど洗っても、匂いはいつもジフンについて回った。熱い湯を浴びると疲れがほぐれ、体が心地よくけだるくなった。ガウンを羽織り、タオルで髪を拭きながら出ると、入れ替わりにジソンが浴室へ入った。
そうして一日の汚れを洗い流した二人は、ベッドに並んで横になった。ジフンは自然にジソンの髪をかき上げ、口づけた。互いの手がガウンの隙間を探り、やがて体が重なると、ジソンは唇を離し、ジフンに言った。
「ていうかさ、こういうことしたいだけで私と付き合ってんの?」
ジフンはそれを聞くと、あきれたようにジソンをにらんだ。




