第7話 角ばったボール (1)
2001年7月、18歳のデヒョン
「パス! パス! カン・デヒョン!」
デヒョンは、遠くでゴールに向かって走る先輩へパスを出した。
「ナイス!」
ボールを受けた先輩は、ディフェンダーと競り合い、強烈なシュートを放った。
ボールはゴールキーパーの手をぎりぎりでかわしたが、ポストに当たって跳ね返った。デヒョンは歯を食いしばり、ボールへ突っ込んだ。誰かと体がぶつかった気がしたが、かまわずボールを拾い、ゴールの空いたところへ蹴り込んだ。
シュートを外した先輩が、泣き出しそうなほど喜んで駆け寄り、デヒョンを抱きしめた。
「こいつ、こいつ、かわいいやつめ。その決定力、たまんねえな」
すっかり息が上がっていた。先輩や同級生と手を打ち合わせて喜んだのも束の間、すぐに罵声が聞こえてきた。さっきボールへ突っ込んだときにぶつかった、相手の部の先輩だった。
険悪な空気になった。
「くそっ。サッカーやってりゃ、ぶつかることだって――」
別の先輩が素早くデヒョンの口をふさぎ、目を合わせた。無表情なのに、怖かった。黙っていろ、という無言の圧力だった。
たしかに、部が違っても同じ学校の先輩には違いない。かっとなったところで、いいことなんてあるはずもなかった。デヒョンはどうにか気持ちを押し鎮めた。
「おいおい、悪い悪い。こいつ、うちに新しく入った二年のエースなんだ。張り切っちゃってさ。かわいい後輩なんだから、大目に見てやってよ」
学校にはサッカーをする部が二つあった。正確には、サッカー部と総合運動部だった。総合運動部も、明けても暮れてもサッカーばかりしていた。グラウンドは一つしかないので、こうして部同士で試合をする日が多かった。デヒョンは深く考えずに総合運動部へ入ったが、サッカーばかりでもかまわなかった。運動は、若さゆえの血気を発散させるのによかった。
総合運動部は、サッカー部に負ける日のほうが多かった。どちらも学校の中でボールを蹴って遊んでいるだけなのに、負けた日には国でも失ったかのように、嘆きや失望、非難が飛び交った。そんなところへデヒョンが入ってきて、部に活気が戻ったのだった。
「すみませんでした、先輩」
デヒョンは、ぶつかって転んだ先輩のところへ行き、頭を下げた。
「ああ。気をつけような。格闘技やってるんじゃないんだから」
「はい、気をつけます!」
丁寧に謝ると、相手もこれ以上怒っては器が小さく見えると思ったのか、口をつぐんだ。自分の部の先輩に、ベンチへ下がって休めと言われた。面白くなかった。わざわざ止めなくてもよかったのに。そう思いながらも、冷たい水をがぶがぶ飲み、顔にタオルをかぶせて気を鎮めた。
「おい、カン・デヒョン。下手くそが、寝てんのか?」
どこのどいつだ。デヒョンはタオルをどけ、後ろを鋭くにらんだ。
ヒジェがジフンの肩に手を置き、並んで立っていた。ジフンも時々悪態はつくが、デヒョンにあんなことは言わない。どうせヒジェだった。
「あっち行けよ。さっきのゴール、見てなかったのかよ」
「ゴール決めたって? 見た?」
ヒジェはジフンを見た。ジフンは見ていたらしかったが、にやりと笑って首を振った。
「俺、中学から見てるからわかるんだよ。こいつは野球やったほうがいい。ホームラン王だぞ、ホームラン王」
ヒジェの言葉に、ジフンもくっくっと笑った。しょうもないやつらだと思いながら、デヒョンは二人のそばへ行った。
「お前ら、特別活動は? 何やってんだよ、こんなところで」
「俺、どこにも入ってないじゃん。よくそんな面倒なことやってられるな」
ヒジェの答えを聞き、今度はジフンを見た。剣道着を着ているので、部の活動中らしかった。ジフンは道着にさっと手をやり、答えた。
「うちは平日、毎日死ぬほどやってるから、特別活動の時間は適当なんだよ。ごみ捨てに当たって、戻る途中でこいつに会った」
ヒジェとジフンが、同時にあごで校舎の裏を指した。三人はあたりをうかがい、そっと校舎の裏へ回って、倉庫の陰に身を隠した。捨てられた金属の箱に隠してあるタバコとライターを取り出し、一本ずつくわえた。
「お前も、どこにも入ってなかったよな。なんで急に炎天下で汗だくになってんの?」
ヒジェが深く吸った煙を吐き、尋ねた。
「別に。汗かくと気持ちいいだろ」
ジフンは黙って二人の話を聞いていた。
「何かたまってんの? 遠くから見てたら、ずいぶん激しくやってたけど」
なんだ、全部見ていたくせに。デヒョンはそう思った。
「何もねえよ、馬鹿。高校生がサッカーするのに、理由がいるかよ」
「はは、そりゃそうだ。だいたい、この学校ときたら、もうすぐ試験なのに何が特別活動だよ」
どうせ勉強などしないヒジェがおかしかったが、デヒョンも一緒にぼやいた。
「まったくだよ。おかげで三年の先輩までぞろぞろ出てきて、一緒にやってる」
「え? 剣道部は先輩たち来ないけど」
ジフンが初めて口を挟んだ。
「だよな。そうやって勉強でもしてりゃいいのに。あいつらのせいで、ほかのやつが出られねえんだよ。じじいども」
たった一学年上の先輩たちをじじい呼ばわりするのがおかしくて、二人はけらけら笑った。
「あとでヤンジェ行こうぜ。ヒソルの学校の女子と遊ぶ約束してるんだ」
ヒジェは吸い殻を地面にこすりつけて消し、排水溝へぽいと投げて言った。
「試験まで、あと二週間くらいだぞ。お前ら勉強しねえの?」
「勉強は試験の前日にやるもんだろ。今やったって、明日には忘れる」
ヒジェの間の抜けた言い分に、ジフンとデヒョンは顔を見合わせて笑った。それでもジフンはうなずき、ヒジェの言うことにも同調した。
「でも、俺も今日は行くところあるんだ。ほかのやつらと遊んでて」
ジフンもちょうど短くなったタバコを地面にこすりつけて消しながら言った。
「くそ、薄情なやつら」
ヒジェは教室へ戻ると言い、手を振って去っていった。
試合がすべて終わると、デヒョンは汗の染みた練習着を脱ぎ、タオルを濡らして体を拭いた。
――ヒソルの学校の子たちか……。
ヒソルは、去年の秋頃、紹介で会った女子高の生徒たちの一人で、それからヒジェと付き合い始めた。
ウ・ヒジェとウ・ヒソル。姓が同じうえ、名前までそろって「ヒ」で始まっていた。誰かが「お前ら、きょうだいじゃないの?」とからかってから、なぜか二人の距離はさらに縮まった。
「じゃあ、きょうだいで今週、映画でも観に行く?」
ヒジェも女の子の前ではまだ奥手だったが、あれはあれで、精いっぱい勇気を出したデートの誘いだった。ほかの連中が「おおー」とはやし立てる中、ヒソルは満面の笑みを浮かべた。
デヒョンは制服に着替え、教科書を取り出して試験範囲を確かめた。それから、ズボンのポケットから、ベルトの切れた古い腕時計を出した。
十二時だった。家で昼飯を食べ、すぐに勉強を始めれば、みんなが集まる六時頃にはだいたい終わりそうだった。ところが、四時か五時までテレビをつけてだらだら過ごし、日が暮れる頃になってようやく机に向かった。そして、夜十一時を過ぎても席を立たなかった。外へ出ないためにわざとそうしたのか、勉強がはかどって時間を忘れていたのかはわからなかったが、デヒョンはできるだけ本に意識を集中させた。
余計な考えが、ひと粒も入り込まないように。




