第68話 第1部 エピローグ ジフン(1)
2002年5月、19歳のジフン
「ちょっと、イム・ジフン」
ソヒョンだった。三年生になってから、友達はそれぞれ勉強や実技の準備に打ち込んでいた。平日はもう、以前ほど頻繁には集まれなかった。今日はチョンウォンとソヒョンだけが時間を取れたので、夜に会う約束をした。
「また彼女と別れたんだって?」
「うん」
ソヒョンは喫茶店の向かいの席に座るなり、ジフンを問い詰めた。
「何で別れたの?」
「別れようって言われたから」
「じゃあ、何で付き合ったの?」
「付き合おうって言われたから」
ため息のような、乾いた笑いが聞こえた。ジフンは軽く唇を鳴らし、ろくに読まずに開いていた本を閉じて、タバコに火をつけた。
「じゃあ……ヒョンソは?」
「ヒョンソが何」
無関心な返事だった。ソヒョンはもどかしそうに冷たい水を飲んだ。
「ヒョンソと……付き合ってもいいんじゃない?」
ジフンは目を伏せ、煙の降りていく本の表紙を指先でいじった。
「今は誰とも真剣に付き合うつもりがない。ヒョンソは……だからだめなんだ」
「ヒョンソとなら、本気になっちゃいそうだから?」
「いや、本気になれないかもしれないから」
その答えに、ソヒョンはにっと笑った。これ以上話しても得るものはなさそうで、話題を変えた。
「それにしても、どこでそんなに出会うの? 女の子と」
「出会おうとして、何かしたわけじゃないんだけど」
セハとの短い交際のあと、高校二年の残りの日々は消えていた。どう過ごしたのか、記憶さえなかった。友達は我先にと、知り合いを紹介してくれた。
「誰かを忘れるには、別の誰かと出会うのがいいんだって」
ジュミョンのその言葉に初めて紹介を受けたのを皮切りに、順番待ちの整理券でも配らなければならないかと思うほど、次々と話が来た。ジュミョンの言葉にも、一理あった。ほどほどに人と向き合い、会っているうちに、セハへの感情が薄まっていくようだった。だからといって、誰かと出会うために自分から動いたりはしなかった。相手がいなければ、いないなりに過ごすのも楽だった。
「そういうソヒョンは、最近どうしたんだよ」
今日会う約束をしたのは、話したいこともあったからだった。
「私が何?」
「ヒソル」
ソヒョンの笑みが消えた。
「前に言ってたこと、覚えてる。自分の幸せだけ考えろって。だからなのか?」
「別に、そういうわけじゃないよ……。正直、私が何したっていうの?」
「何かしたわけじゃないけど」
気まずい空気の中、タバコの煙だけが立ち上った。ソヒョンの表情には、責められるのは心外だという色も見えて、ジフンの気持ちは少し和らいだ。
「ジフンはセハが好きで、セハはデヒョンが好きだった。デヒョンはヒソルが好きだった。私、それを悪いことだと思ったことはないよ」
ジフンの顔に、かすかな変化があった。どこまで知っているのだろうと思った。
「好きになることはあるでしょ。好きになるのは、悪いことじゃないじゃない。違う?」
「そうだな……」
ソヒョンの言葉を聞いていると、ある名前が浮かんだ。誰だって、あの子を好きになってよかった。あの子だって、誰を好きになってもよかった。その気持ちにだけは、間違いはなかった。
「女の子同士だと、男の子たちみたいにはいかないのかもね」
ソヒョンは泣きそうな声で続けた。ジフンはうろたえ、座り直した。
「ごめん。余計なことを言ったな」
ジフンの知る限り、ソヒョンは悪い人間ではなかった。問い詰めるつもりはなかったのに、そうなってしまった気がして、心から謝った。すると、もういいよと、また笑ってくれる子だった。短いやり取りの中でも、いろいろと考えさせられた。
――まだまだ、大人には程遠いな。
やがてチョンウォンが着き、三人はいつものように話に花を咲かせた。
「美大の受験も、かなりきついって聞いたけど、こんなことしてて大丈夫なのか?」
「中学のころからやりすぎたんだよね。高三までやり続けようとすると、かえってうまくいかない気がする」
ソヒョンの言葉に、チョンウォンはうなずいた。
「そういうこともあるだろうな。休み休みやらないと」
「チョンウォンは、写真のほうは順調?」
「俺はポートフォリオを用意すればいいだけだから。塾で言われたとおりに、ちゃんとやってるよ」
「ポート……何? ポラロイド?」
ヒジェがいないと、ばかなことを言う役に回るジフンを、チョンウォンは呆れた目で見た。
「作品集を作ってると思えばいい」
「そう言えばいいだろ。最近の若いやつは、何でそんなに難しい言葉を使うんだよ」
三人は声を上げて笑った。
「ジフンは? 明日、大会に出るって何なんだよ」
「それ、誰に聞いたんだ」
チョンウォンの言葉に、ソヒョンが興味を示した。
「大会? 何の大会?」
ジフンは渋々答えた。
「トンウン大学が主催する文学コンクールなんだけど……何となく応募したら、本選に来いって連絡が来て」
「え? 文学? そういうのに興味あったの?」
深く考えずに詩を何編か出しただけなのに、大事になっていた。
「終礼で担任がみんなの前で言うもんだから、恥ずかしくて死ぬかと思ったよ」
先週の、ある日の終礼だった。
「おーい。うちのクラスに、めでたい話があるぞ。見る目がなかったな、先生も。イム・ジフン、立ってみろ」
また何だと思いながら、ジフンは気乗りのしないまま立ち上がった。
「イム・ジフンが、トンウン大学主催の文学コンクールで予選を通過して、本選に参加するようにと通知が来た。みんな、拍手」
クラスメートは意外な知らせに驚きながら、拍手した。
「何も考えてないやつだと思ってたが、お前なりに夢があったんだな。よくやった。来週の土曜日は、授業を休んで大会に行ってこい」
何だか気恥ずかしくて、ジフンはぺこりと頭を下げ、さっさと座った。普段書き散らした詩を集めてメールで送ったのは確かだったが、あれで予選を通るなら、応募した学生は全員通しているのではないかと思った。そのおかげで、クラスメートをはじめ、あちこちで「詩人」と呼ばれ、何日もからかわれて、うんざりするほどだった。
「じゃあ、料理の学校に通ってるのは?」
「コンクールなんて、そううまくいくかよ。賞を取ったからって、そのまま大学に行けるわけでもないし」
ジフンは散々な中間試験の成績を受けて、すでに一度、担任に呼び出されて小言を言われていた。家族会議まで開かれ、進路について熱い議論を交わした末に、兄の提案どおり、調理学科を目指すことで話がまとまった。叔父が大きなレストランを経営しているので、食いっぱぐれることはないという言葉に、みんなが賛成した。
「でも、飲食店で働くのに大学に行かなきゃいけないの?」
ジフンの言葉に、兄はもどかしそうな顔をした。
「誰が一生タマネギだけ刻んでろって言ったよ。大学で学ぶことが、お前の進路を広げてくれるんだよ。そうじゃなくても、大学生活は経験しといたほうがいい」
母も父も、専門大学くらいは卒業しておくべきだという意見だった。兄はにやりと笑い、付け加えた。
「ひょっとしたら、店を継がせてくれるかもしれないだろ」
叔父もまだずいぶん若いので、そんなことはないだろうが、なるようになれという気持ちで、料理の学校に申し込んだ。
「まあ、そういうわけで、今日は早く帰らないと。行き方調べたら、意外と遠いんだよ。八時までだったかに来いって」
「そっか。じゃあ、そろそろ帰ろう」
友達はまた会おうと約束し、それぞれ帰っていった。集まれば十人近くになった、あのころの騒がしさが恋しかった。またそんな日が来るのだろうか、とふと思った。とりあえず、帰って寝なければならなかった。明日、学校に行かなくていいというだけでも、気分は悪くなかった。




