第63話 短かった、あまりにも短かった(2)
今、セハがどこにいるのかはわからなかった。もう家にいるのかもしれない。あまり長く会えずにいたら、ジュミョンに連絡して聞いてもらうつもりだった。どうせ、このまま友達と一緒にはいられなかったし、家に帰るのはもっと嫌だった。会えても会えなくても、セハの住む建物の足元にでも、留まっていたかった。十分も経たずに、セハの住むマンションの入り口に着いた。一度あたりを見回したが、意味はなかった。セハの住む棟は知っていたので、中に入り、階段に腰を下ろした。正面にエレベーターが見える。どのみち、ここを通らなければならない。今、外にいるのなら、帰ってくるときに会えるはずだった。
携帯電話の時計を確認すると、八時だった。そこで初めて、電池が切れかけていることに気づいた。一睡もせずに過ごした昨夜から今まで、一度も充電していなかったせいだった。セハからの連絡を繰り返し確認したり、また電話をかけたりしてしまわないように、できるだけ見ないようにもしていた。そのせいで、電池がなくなりかけていることにも気づかずにいた。五分も持たずに、完全に切れた。待っていると連絡することさえ、できなくなった。ジュミョンに、セハがどこにいるか調べてほしいと頼むこともできなかった。少し迷ったが、今日を逃したくなかった。ジフンの気持ちは、いつになく固まっていた。今日は必ず、顔を見てから帰るつもりだった。エレベーターへ続く廊下に時計が掛かっていて、幸い、時間だけはわかった。
吸い殻が積もっていった。不幸なのか幸いなのか、タバコはたくさんあった。二時間で、開けてあった箱の残りを全部吸ってしまった。鞄から新しい箱を出し、軽く叩いてからフィルムを剥がした。空き箱は吸い殻でいっぱいになり、もうそれ以上は入らなかった。
さらに三時間が過ぎた。喉が焼けつくようになり、タバコを吸うのもやめて、エレベーターを行き来する人たちをぼんやり眺めた。十二時を過ぎても家に帰らなかったことが、あっただろうか。セハは十時には帰る子だった。遅くとも十一時までには、家に帰ろうとしていた。一時を指す時計を見ると、ふっと笑いが漏れた。自分の知らないセハは、まだいくらでもいるような気がした。眠れないまま二日目だった。不思議なくらい眠くなかった。煮えたぎる心が、眠気まで忘れさせていた。
そのとき、エレベーターの前に立つ、見慣れた後ろ姿が目に入った。
「チャ・セハ」
低い声だったのに、叫んでいるようだった。自分の名を呼ぶ声に、セハはびくりとして振り返った。ジフンと目が合い、すぐにエレベーターが着いた。セハは一度エレベーターを見ると、唇をきゅっと結び、ジフンのほうへ歩いてきた。
「いつからここにいたの?」
ジフンの足元は汚れていた。空き箱に入りきらなかった吸い殻と黒い灰が、乱雑に散らばっていた。
「そんなこと、知らなくていい」
セハは、階段に座るジフンの隣に腰を下ろした。隣なのに、近くは感じられなかった。いざ顔を見ると、何から話せばいいのかわからなかった。
「どうしても、あいつのところに戻らなきゃいけないの?」
ジフンは、できるだけ柔らかく尋ねた。セハは階段の手すりにこつんと頭を預け、答えた。
「うん。戻らなきゃいけないと思う」
きっぱりとした答えを前に、五時間も待ったというのに、ただ虚しさだけが押し寄せた。
「セハにとって、俺は何だったんだ?」
引き留める言葉より先に、恨み言が出た。言葉を探し続けた末に、あふれ出たものだった。
「ごめんね」
初めて聞く口調と、初めて見る表情。そのすべてが、ジフンを突き放していた。崖っぷちに追い詰められ、行き場を失ったジフンは、とうとう、その底知れない深淵へ身を投げ出してしまった。
ジフンは立ち上がり、何時間もかけて溜まったごみを拾い集め、鞄に押し込んだ。
「ジフン、置いておいて。私が片づけるから」
「いい」
ごみを片づけるジフンの手の甲へ、セハの手が伸びてきた。ジフンはそれを鋭く払いのけた。
「ただ……最後に一度、顔が見たくて来ただけなんだ。何も、言うことが思いつかない」
セハは申し訳なさそうに俯いた。胸の中では、恨みや怒り、嫉妬や憎しみの言葉がせり上がっていた。けれど、言葉の形にはならなかった。汚れた沼の上で、むなしく弾ける気泡のようだった。
帰るとも、元気でとも言えなかった。セハはただ、その場にじっと立っていた。その姿を見ていられず、逃げるように足早に建物を出た。ポケットを探ると、タクシーに乗るには金が足りなかった。ジュミョンの家には、バスで帰るつもりで来ていた。まるで足りない金と、回数券しかなかった。携帯電話も使えず、ジュミョンに頼むこともできなかった。公衆電話ボックスが目に入り、電話をかけようかと思ったが、時間の遅さを考えてやめた。ただ、あてもなく歩いた。長いこと座っていたせいで、脚が痺れていた。
家まで歩いたらどれくらいかかるのか、見当もつかなかった。バスでも四十分以上かかる距離だった。タクシーをつかまえ、持っている金で行けるところまで乗せてもらうこともできた。そんなジフンを気の毒に思う運転手なら、足りない運賃でも家まで送ってくれることもあった。けれど、誰とも言葉を交わしたくなかった。何であれ、一言でも口にした瞬間、涙と一緒にあふれ出してしまいそうだった。
一時間近く歩くと、退屈な気分になった。デヒョンと苦労して山に登ったのは、今日のための練習だったのだと思うと、笑いがこみ上げた。鞄を開けると、夜の間に吸った吸い殻が、無造作に放り込んだまま、あちこちに散らばっていた。その汚れた鞄でさえ、自分の心よりはましだと思った。ウォークマンを取り出すと、そこにも黒い灰がべったりとこびりついていた。手で軽く払い、イヤホンを耳に差して再生ボタンを押した。
ウォークマンは動かなかった。その電池まで切れていた。
ふいに、怒りがこみ上げた。何日も溜め込んでいた怒りが、抑えようもなく全身を覆った。心の中の壺は、もう割れていた。蛇は悠々と立ち去り、あちこちに引っかき傷だけが残っていた。壺に入っていたのは、疑いだけではなかった。言葉では言い表せない、ありとあらゆるものが、鼻をつく臭いとともに、どろりと流れ出した。
その怒りをぶつける先がなく、ウォークマンを地面に叩きつけた。何の罪もないウォークマンと、中に入っていたカセットテープの破片が、あたりに散らばった。まだ壊れていない本体の部品が目に入り、足で強く踏みつけた。完全に砕けた破片を確かめると、ふいとその場を去った。
ジフンのウォークマンと、十八歳の初恋は、そうして終わった。




