第60話 人形の騎士(1)
2001年8月、18歳のセハ
セハはこのごろ、よく笑うようになった。ジフンの満面の笑顔を見ると、笑わずにはいられなかった。夏休みに入り、塾の時間割もそれに合わせて変わった。幸い、母はまだ二年生だからと、一日じゅう勉強ばかりするように強いることはなかった。ジフンはセハに合わせて、いくつか受講する科目を増やした。塾のない日は友達と過ごしたり、セハの授業が終わるのを待っていてくれたりした。そのたびに見る表情は、驚くほど変わらなかった。
「そのうち本当に口が裂けちゃうよ、ジフン」
「え? 俺、何かした?」
今も笑っているジフンにそう言ってみたが、自分が笑っていることにも気づいていないらしかった。
「一日じゅう笑ってるじゃない」
「そうかな?」
鏡を取り出して見せると、わざわざ格好をつけた顔をするのがおかしくて、しばらく笑った。
ジフンは、手も離してくれなかった。
「私たち、今日が一日目だよ」
そう言って手を握った日、ジフンは帰るのを惜しんで、手をしっかり握ったまま、なかなか離そうとしなかった。ようやく別れ、次の週末に会う約束をした。その日も、一日じゅう手をつないでいた。幸いなのか、そうでないのか、塾ではできるだけセハに構わないようにしていた。その代わり、授業を聞きながら熱心にノートを取っていた。
ジフンの手は熱かった。おかげで、手がすっかり汗ばんでしまうほどだったが、その湿り気さえ嫌ではなかった。伝わってくる体温もあって、暑い夏の日のような子だと思った。夏の子がくれる温もりに、セハはすっぽりと包まれている気がした。
二人は地下鉄に長いこと揺られてから、ようやく降りた。
「南山、来たことある?」
「いや。おっかあと親父と来たことがあるような気もするけど、全然覚えてない」
「私も初めて。ここで降りれば、ケーブルカーがあるって聞いたんだけど」
周りを見回して迷った末、ケーブルカーの乗り場を示す標識を見つけた。
「思ったより、ずっとわかりやすいところにあるね」
「本当。私たち、下ばっかり探しすぎたのかも」
標識に従って緩やかな坂を上るにつれ、ケーブルカーが南山タワーへ向かう姿が見えてきた。けれど、夏休みの週末とあって、南山は人であふれていた。切符売り場にも、乗り場にも、果てしなく列が続いていた。
「どうしよう。一、二時間じゃ済みそうにないね」
「本当だよ。ソウルには、そんなに行くところがないのかな」
文句を言っている間にも、時間が過ぎていくのが惜しかった。切符売り場に並ぶかどうか決められず、そわそわしていると、一人のおじさんが声をかけてきた。
「若いんだから、歩いて上ればいいんだよ」
ジフンは困った顔で尋ねた。
「歩いて上れるんですか? 彼女、足が痛くなりそうで」
おじさんは、からからと笑った。
「君たちぐらいの年なら、三十分もあれば十分だよ」
ジフンがセハを見た。今日は歩きやすいスニーカーを履いていたので、セハは力強くうなずいた。
「じゃあ、道を教えていただけますか?」
二人はいつの間にか親しげに並び、道を尋ねたり教えたりしていた。ジフンは何度も頭を下げて礼を言い、にっと笑って戻ってきた。
「俺、方向音痴だからちょっと心配だったけど、俺でも行けるくらいだって。あそこに見える道を上っていけばいいみたい。本当にすぐらしいよ」
セハは、いいね、と笑ったが、ジフンの心配そうな顔は変わらなかった。
「本当に大丈夫。坂道でも、三十分くらいなら平気だよ」
「いや……」
ジフンはいたずらっぽい顔でセハを見た。
「どうしたの?」
「セハ、足が短いからさ……大丈夫かなって」
「何ですって? もう!」
二人は声を上げて笑いながら歩き始めた。くっついてふざけ合ううちに、セハはそっとジフンの胸に身を寄せた。ジフンはぎこちなく、けれど肩に手を回してくれた。本当に恋人になったのだという実感が、じんと全身に広がった。
教えてもらった道には階段も多く、山道もあったが、それほど険しくはなかった。むしろ、ケーブルカーより歩いて上ることにしてよかったと思った。ソウルの真ん中にある森の道は草の匂いに満ち、別の世界に入り込んだようだった。ジフンは隣で歩調を合わせ、手をしっかり握って導いてくれた。ときどき水を取り出して勧めるのも忘れなかった。何度も振り返っては、大丈夫かと尋ねた。まるで、セハがどこかへ消えてしまうのを心配しているようだった。木々の間を抜ける登山道は、二人をほどなく山頂へ導いた。
「本当に、思ったより早かったね」
「うん。ちょっと大変だったけど、歩いてよかった」
「疲れた?」
「え? ううん、本当に大丈夫」
二人はまた水を分け合って飲み、手をつないだ。八角亭の向こうに、南山タワーが高くそびえていた。
「タワーの上まで行ってみる?」
「いいね! せっかくここまで来たんだし」
南山の山頂は、夏にしては涼しかった。楽しそうな大勢の人たちの間を、ジフンに手を引かれるままについていった。方向音痴とは思えない足取りだった。展望台へ近づくにつれ、ソウルの街並みがよく見えるようになり、何度も立ち止まった。そのたびに、ジフンも隣に立って一緒に眺めてくれた。
「あっちが、俺たちの住んでる辺りかな?」
「ジフン。あっちは景福宮のほうだよ。南山の北側」
「何だよ。どこも同じに見える」
「あはは。本当に、どうしようもないね」
見当違いのほうを見て自分の街を探すジフンが、かわいく思えた。そして、頼もしいところもたくさんあった。恋人になってから、それまで見えなかった一面が次々と見つかる気がした。ジフンも、自分を見てそう思っているのだろうか。
「ねえ、私のどこが好きなの?」
「え……さあ。何となく、好きだったんだ。初めて見たときから」
あれほど長々と告白したのに、こんなふうにぶっきらぼうな返事も、ときどき返ってきた。それでもセハには、その奥にある温かさがいつも感じられた。付き合うと決めたときには思いもしなかった心地よさと安堵に、今はすっかり浸っていた。
「じゃあ、俺も聞いていい? どうして俺と付き合うことにしたの?」
「うーん、どうしてだろう……」
実のところ、セハにも答えはわからなかった。理由を探そうとすることが、妙に思えた。
「前に言ったの、覚えてる? ジフンにはすぐ彼女ができるよって」
「言ってたね。もしかして、あれ、自分のことを言ってたの?」
セハは意味ありげに微笑んだ。そんなつもりで言ったわけではなかったが、そうだったら、もっとよかったのにと思った。考えてみれば、いつも近くにいてくれた子だった。気づかなかったことを申し訳なく思うほど、よくしてくれた。
「そうだったらよかったなって思った」
ジフンはセハを見て、ふっと笑った。
「そういうことにしよう」




