第46話 ためておいた時間も、もうないのに(1)
2001年6月、18歳のジフン
今日は、放課後に友達が集まることはなかった。いったん家に帰ってから、また集まろうとヒジェから連絡があった。ジフンはインスにだけ連絡し、一緒に帰りのバスに乗った。
「おい、春秋用の制服、暑くねえの?」
インスは夏服でも暑いというように、しきりに手であおいでいた。ジフンはインスの服を上から下まで眺めて答えた。
「夏服、ダサすぎるんだよ。こっちでも、まだ耐えられる」
「先生たちにも何か言われてただろ。よくやるよ、お前も」
長袖のシャツは肘の上までまくっていて、夏服と大して変わらなかった。それでも、そろそろ手放すころだと思った。頑なに春秋用の制服にこだわるのは、夏服を着てセハに会いたくないというのもあった。
「でもお前、最近いい顔してるよな?」
にこにこしていたジフンは、何かを見抜かれたような顔になった。
「何が。いつもと同じだよ」
「うそつけ。俺が当ててやろうか」
ジフンの顔が真剣になった。セハと前より親しくなれたのは、うれしいことだった。けれど、デヒョンの秘密を話してしまったことは、ずっと心の片隅に引っかかっていた。そんな中で、うれしさが顔に出ているというのも、恥ずかしかった。
「ヒョンソのことじゃねえの?」
「え?」
思いもよらない名前が出て、ジフンは戸惑った。
「違うのか?」
ほかに何かいいことがあったかと、インスは考えてみたが、見当がつかなかった。
「この野郎。じゃあ何だよ。また俺には話さねえのか?」
インスは拳を握って振り上げた。声は大きくなったが、バスの中は十分に騒がしかったので、問題なかった。ジフンは顔を赤くして答えた。
「いや、話すことがあれば話すよ。毎週火曜に塾へ行って、終わったら一緒に勉強して、それから……先週は図書館で一緒に勉強して、映画も見た」
「話すこと、山ほどあるじゃねえか」
インスは、ふざけてジフンの腕を叩いた。
「でも、全部セハの話なんだな」
「当たり前だろ。セハの話だよ」
インスは、どこか不満そうな顔でジフンをにらんだ。
「ヒョンソは考えてねえの?」
「うーん……実は、ソヒョンに聞いたんだ。ヒョンソが、少し俺のこと気になってるみたいだって」
インスは、またジフンの腕を強く叩いた。
「ほらな。そういうのは、見りゃわかるんだよ」
「いてて。そうなのか?」
「そうだよ。よく考えろ。女の子があんなに積極的に来るって、そう簡単なことじゃねえぞ」
ジフンは、ヒョンソのどの行動が積極的だったのか、振り返ってみた。一緒にいても別のことに気を取られ、ヒョンソにはほとんど気を向けられていなかった。
「性格もよさそうだし、顔だって、あれなら結構かわいいし。お前のことも好きだろ。俺ならヒョンソのほうに惹かれそうだって、そういう話だよ」
「どうだろう……正直、セハのことを考えるだけで精いっぱいなんだ。こっちはこうで、あっちはこうだって、天秤にかけるみたいなのも嫌だし」
ばかがつくほど正直な性格を前に、インスは言葉を失った。
「お前がそう言うなら、俺は何も言えねえよ。自分でうまくやるだろ」
「うん。頑張ってみる。でも、知ってた?」
「何を?」
「ヒョンソとセハ、同じクラスなんだ」
インスは驚いて開いた口を閉じられなかった。ジフンが簡単に説明すると、それ以上は聞かなかった。
夕焼けが街を染めるころ、みんなは二人、三人とヤンジェに集まってきた。先に会った友達は通りで話に花を咲かせ、あとから来る友達に声をかけた。
「やっと来たね。やっほー」
ジフンが着くと、ソヒョンとヒョンソが近づいて挨拶してくれた。インスとあんな話をしたせいか、ジフンは意識してしまい、視線をそらして答えた。
「うん。学校から家まで、結構かかるんだ」
ソヒョンも、あれからその話を持ち出したり、ジフンをせかしたりすることはなかった。あとから来たヒジェを最後に、全員揃ったことを確かめ、カラオケへ向かった。ジフンはここへ来るたび、セハと一緒に来た日を思い出した。同じ場所に別の人たちと座っていても、心はまだ、あの日にとどまっていた。一行はいちばん大きな部屋に入った。大きいといっても、十人近くがぴったりくっついて座らなければならなかったが、誰も文句を言わなかった。この人数が一万ウォン足らずで三時間遊べる場所は、そう多くなかった。それで、このカラオケ店は、みんなの行きつけになった。
「歌わないの?」
ヒョンソは、カラオケに入ったときからジフンの隣にいた。ジフンは口下手なうえに、周りもひどく騒がしく、ヒョンソとはあまり話をしなかった。それでも、隣にいることを意識せずにはいられなかった。みんなは順番に一曲ずつ歌い、知っている曲が流れると、自分の番のように乗り出して一緒に歌った。流行りの曲が何曲も続いた。黙って座り、歌を聴いているジフンに、ヒョンソが声をかけた。
「俺、あんまり歌わないんだ。みんなにも歌うなって言われるし」
「え? どうして?」
「音痴だから。二、三人で来たときは歌うけど、こういう日は、余計にマイクを持ちにくいんだ」
ヒョンソは、興味をそそられたような目を向けた。ジフンも視線をそらしはしなかったが、歌いたくはなかった。
やがてヒョンソは立ち上がり、選曲用の本を持ってきた。
「いいから歌ってよ。みんなで遊ぶから楽しいんでしょ。じっとしてたって、つまらないじゃない」
わざわざ本まで持ってきて勧められると、困ってしまった。何を歌おうか、一枚ずつページをめくり、曲名を眺めた。
「これはどう? 知ってる?」
ヒョンソはすぐ横にくっつき、一緒に選んでくれた。けれど、ジフンの好みとは、どうにも合わない曲ばかりだった。
「よく知らないんだ。みんなが歌ってるのを聞いたことはあるけど」
一緒に本を見ているうちに、顔が近すぎる気がして、ジフンは座り直し、ヒョンソから少し離れた。一曲選ぶまで、この状況が続くのだろうと思い、立ち上がってリモコンを取ってきた。すると、ヒョンソはジフンの手から、すっとリモコンを取った。
「私が予約するよ。何番?」
ヒョンソが入れてくれた曲は、その次に流れた。予約は十五曲以上あったのに、すぐに曲名が表示されたところを見ると、優先予約をしたようだった。みんなは騒ぐのに夢中で、幸い気づかなかった。ヒジェは「ジフンが歌うぞ」と、さりげなくからかってきたが、唯一、気にならない相手がヒジェだった。ヒジェもジフンと並んで、誰にも負けないくらい歌が下手だった。
……愛していると、どうして君に言えないのだろう 想いを寄せる君を前に ためておいた時間も、もうないのに……
友達はもともと人の歌をあまり聴いていなかったが、ジフンの歌となると、なおさらだった。ヒソルだけが、好きな曲だと言って、声を張り上げて一緒に歌った。マイクがなくても、ジフンより大きな声だった。そんな中でも、ヒョンソの視線は、はっきりと感じられた。
「あはははっ」
歌い終わると、ヒョンソの笑い声が聞こえた。あまりうれしい反応ではなかったが、ジフンはにっと笑い、マイクを置いた。
「歌わない理由は、わかった気がする。でも、つい聴いちゃうね」
耳に残る伴奏が、まだ曲の余韻を引いていた。そのとき、ポケットの中で携帯電話が震えた。
セハだった。
「もしもし?」
「うん、セハだよ。何してる?」
周りの音で、受話口の向こうの声がよく聞こえず、ジフンは友達の間をすり抜け、部屋を出た。
「うん。みんなとカラオケ」
「どこ? ヤンジェの、あのカラオケ?」
「まあね。セハは?」
「家の前の公園」
何度か一緒に行った、セハの家の前の公園が目に浮かんだ。そこで交わした話まで、次々についてきた。電話越しに、少し沈黙が流れた。その沈黙は、心地よくなかった。ジフンは誰と一緒にいるのか、カラオケで何をしているのかを、あれこれ話した。
「そっか。ジフンがいないと、タバコがないでしょ。それで思い出して、電話したんだ」
ジフンは時計を確かめた。それから、ヤンジェからセハの家までの道のりを思い浮かべた。
「タバコ、配達しに行こうか? はは」
「ふふ。いいよ。みんなと楽しんで。気にしないでね」
地下鉄で十五分あれば着くので、構わなかった。ジフンは、来てと言ってくれないかと期待したが、そんなことはなかった。
「ジフン」
「うん?」
「本当に……何でもなかったみたい」
カラオケ店の廊下に立ち、何でもないという言葉の意味を考えた。何となく、デヒョンのことだと感じられた。もう大丈夫になったという意味なのだろうかと、混乱した。そうなってほしいと思ってはいたが、だからといって、うれしいわけではなかった。何よりも、デヒョンの個人的な秘密を話してしまったことが、いちばん苦しかった。ジフンは、あれ以来、デヒョンの前に出ると、いつも自分が小さくなる気がした。携帯電話から聞こえるセハの声は、いつにも増して明るかった。けれど、明るければ明るいほど、ジフンの胸の内は複雑になった。




