第45話 何でもない(2)
母と父が帰宅し、夜は更けていった。セハは、少しコンビニへ行ってくると言って家を出た。手には、資源ごみ置き場で見つけた空き缶と、手紙のノートを持っていた。公園には、再び静けさが流れていた。辺りを見回し、できるだけよさそうな場所を探してしゃがんだ。それから、胸元に抱えていたノートを取り出し、最初の一枚を破った。さらに細かくちぎって缶に入れ、火をつけた。
作業は、早く、あっけなく進んだ。幾日もかけて、一文字ずつ力を込めて書いた言葉が、ほんの数秒で黒い灰を残し、缶の中で消えていった。
――でも、これは私の心じゃない。
燃えたのは、紙だった。
赤い炎の中へ消えていく文字が見えた。
それは、ただ意味のない文字だった。
――それなら、私の心はどこにあったんだろう。
セハはポケットからタバコを取り出し、くわえた。紙の燃える煙とタバコの煙が重なり、散っていった。小さな火遊びが、頬を温めてくれた。すると、じきに目がしみ始め、ベンチへ逃げなければならなくなった。セハはポケットから携帯電話を取り出した。
「もしもし?」
「うん、セハだよ」
「お、今日はよく電話くれるね」
ジフンの周りは、さっきほど騒がしくなかった。その音さえ遠のいていくところを見ると、友達から少し離れたようだった。
「うん。あのね、ずっと書いてた手紙があったの。デヒョンに宛てて書いてたものなんだけど」
「ああ……そうなの?」
「うん。それを今、全部燃やしちゃった」
「そっか……」
セハは、またタバコの煙を深く吸い、顔を上に向けて吐き出した。黒い空が目に入った。ジフンの瞳を見ているような、深く澄んだ空だった。
「ばかみたいに、まだ書いてたんだよ。習慣みたいに」
「そんな歌があるよね。習慣って、本当に怖いものなんだなあ」
「あははっ」
いきなり歌い出すジフンがおかしくて、笑ってしまった。
「でも、大したことじゃないって思ったら、本当に何ともない気がしたの。それで、全部燃やしたんだ。よくやったでしょ」
これを言えば、泣いてしまうかもしれないと思っていた。けれど、出てきたのは笑いだった。無理に作った笑顔ではなく、自然にこぼれる笑いだった。
「よくやったね。そういうのは、早く燃やしちゃわないと」
「そうだね」
受話口の向こうから、ジフンの笑い声も混じって聞こえた。
「ジフン。ありがとう」
「お礼なんて……そう言ってほしくて話したわけじゃないよ。余計なことを言っちゃったかなとも思ってたし」
「ううん。本当に助けられたよ」
二人は、少しおしゃべりをした。コンビニに行くだけと言って出てきたので、あまり長く外にはいられなかった。セハは、塾の日に会おうとジフンに別れを告げ、電話を切った。
また、穏やかさが戻ってきた夜だった。昨日と変わらない今日だった。草むらの虫たちが、セハの歩調に合わせて歌っているようだった。明日からは、また新しい気持ちで過ごせそうだった。
けれど、その思いは長くは続かなかった。道路を渡り、マンションの入口に近づくと、見慣れたシルエットが目に入った。
黒い車体のあちこちに、白い装飾のあるバイク。
片側に置かれた、白いヘルメット。
壁にもたれ、携帯電話をいじっていたガンウンと目が合った。ガンウンはセハに気づくと、携帯電話をしまった。セハは、携帯電話を入れていたポケットに、小さな振動を感じた。一瞬目が合ったものの、すぐに視線をそらした。その前を通り過ぎ、マンションの敷地へと足を速めた、そのとき、ガンウンに手をつかまれた。
「きゃっ!」
驚きのあまり振りほどこうとしたが、ガンウンは手を離さなかった。
「ごめん。少しだけ話がしたくて来たんだ」
セハの腕は、小さく震えた。
「こんなところで待ってたら、怖いじゃない」
会いたくない相手が家の前で待っているのは、恐怖だった。
けれど、ガンウンの目を見ると、怖さは少しずつ、別の感情と混ざり合っていった。




