第43話 散りゆく想い(2)
「そろそろ行かないと、セハ。バスは、あっちから乗るんだよね?」
「うん。でも、タクシーにしよう」
「え? バス、まだあるよ?」
セハは、いたずらっぽく笑い、ジフンの背中を押した。
「早く着いて、公園でまたゆっくり話してから帰ろうよ。ほら、早く早く」
ジフンは、タクシーが集まっているほうへ向かった。運転席の窓が開くと、すぐに近づき、セハの住む町の名前を告げた。
「このタクシー、行ってくれるって。乗ろう」
席に座ると、ジフンは財布を取り出した。映画のチケットを差し込み、お金を確かめているようだった。
「まさか、タクシー代を払おうとしてないよね?」
ジフンは、盗みを見つかったような目で、セハを見た。
「私の家に行くんだから、当然、私が払うよ。ジフンは、自分が帰るときに乗ればいいでしょ」
「そっか。わかった。でも、俺は最終バスに乗ればいいよ」
バスなら三十分以上かかる道を、タクシーは弾丸のように、十分で駆け抜けた。
公園の近くで降り、何か飲もうかとコンビニに寄った。迷っていると、ジフンがチョコ牛乳を指した。
「セハは、やっぱりチョコ牛乳?」
「うーん。今日は違うものにしようかと思ったけど、やっぱりチョコ牛乳!」
ジフンは二つ手に取り、カウンターへ行った。
「ストローもください」
牛乳を二つ受け取ると、一つを渡してくれた。ストローも袋から出し、渡してくれた。
「ふふ。ありがとう」
公園のベンチは、今日もセハを待っているようだった。十時を過ぎ、公園には人がほとんどいなかった。静けさに包まれると、心が少し楽になった。
「この前、ここで話したのを思い出すね」
セハが切り出した。ジフンは何も言わず、ストローでひと口吸い、タバコに火をつけた。
「私にも一本くれる?」
ジフンは、驚いた目でセハを見た。
「タバコ吸ってたの?」
セハは首を振った。
「吸ってるってほどじゃないけど、たまに吸いたくなるんだ」
ジフンは、箱とライターを一緒に渡した。セハは一本取り出してくわえ、火をつけて、深く吸い込んだ。ため息のように、煙が街灯の光の中へ散っていった。
「私の秘密、結構知っちゃったね」
「そうだね。いつの間にか」
「ジフンといると気が楽だからかな。いつも聞いてくれて、ありがとう」
「お礼なんて……」
ジフンは、また黙ってしまった。真っ暗な夜空が、よく似合う子だと思った。
「音楽聴こうか。ウォークマン、持ってるよね?」
ジフンはバッグを探った。今日は荷物が多いのか、しばらく探して、ウォークマンを取り出した。それから、イヤホンの片方を渡した。テープの回る音が公園の静けさを破り、音楽が流れ始めた。
……いっそ、心に映る自分の姿を描いていこう……
耳になじんだ歌が流れてきて、セハは静かに音楽に耳を傾けた。そして、心ゆくまで、あの人を思い浮かべた。
「デヒョンの、どこが好き……?」
ささやくような音楽に、ジフンの声が混じった。音楽と和音を作るような、低い声だった。
「どうだろう。人を好きになるのに、特別な理由はない気がする。面白いでしょ。大人っぽいときは、大人っぽいし」
歌が終わると、歌詞のない器楽曲が流れた。切なさのあとに明るい曲が続く、その構成が面白いと思った。
「一緒にいると、心強かったりもするし……ほら、この前ね」
セハは、しばらくデヒョンの話をした。その途中、器楽曲が終わり、テープが止まる音が聞こえた。オートリバース機能がなく、次の面を聴くには、テープを取り出して裏返さなければならなかった。ジフンは、テープを取り出す代わりに、イヤホンを外して話し始めた。
「でも、デヒョンなんだけど」
唐突な感じがして、セハもイヤホンを外し、ジフンを見た。どこか心配そうな目をしていた。ジフンはウォークマンを一度開けて閉じ、続けた。
「デヒョン、神学大学に行きたいんだ。神父になるって」
すぐにはのみ込めなかったが、その言葉の意味は、わかる気がした。
「そうなんだ……神父だなんて。教会に通ってるのは知ってたけど、ちょっと衝撃だね」
ジフンは答えなかった。セハは笑って続けた。
「何だか想像つかないな。じゃあ、恋愛はしないの?」
二人は、また一本ずつタバコを取り出し、火をつけた。吐き出す煙には、さっきより深いため息が混じっているようだった。
「それに、デヒョンには、ほかに好きな人がいる」
こんな話をするジフンの本心が、気になった。
「私の知ってる人?」
ジフンは、タバコを一本吸い終わるまで、何も言わなかった。セハは、落ち着いて待った。話し始めたからには、最後まで話してくれるのではないかと思った。ジフンの口から出る名前が、何となく浮かぶ気がした。
「ヒソル」
もう、気づいていたのかもしれなかった。認めたくないことだった。セハは、じっくりと、これまでの日々を振り返った。デヒョンの視線がどこへ向いていたのか、今になって、はっきり見える気がした。ジフンから聞いて、いっそう確かなものになった。
「そうだったんだ……」
ジフンは、片手で顔を覆い、何度も額をかいていた。きっと、してはいけない話だったのだろう。
「教えてくれて、ありがとう。私が傷つかないように、話してくれたんだよね?」
「俺も、よくわからない。ただ……もっと大きくなる前に、知ったほうがいいと思ったんだ」
セハは無理に笑い、また一本タバコを取り出してくわえた。今日はタバコがあってよかったと思った。二人はしばらく、何も言わず、タバコだけを吸っていた。
――私の入る余地は、ないんだね……。




