第40話 寄り道(1)
2001年6月、18歳のジフン
「それ、デートじゃねえの?」
ジフンの話をじっくり聞いていたインスが、眉をひそめて言った。
「いや、図書館で勉強するのが、何でデートなんだよ」
「同じことだろ。二人きりで遊ぶならデートだろうが」
「遊ぶんじゃなくて、勉強するんだって」
インスは、これ以上聞いていられないというように、ため息をついた。
「だから、バカ。はあ……くそ。もういい。デートだろうが何だろうが、何時間も図書館にこもって、勉強だけして帰ろうなんて思うなよ」
ジフンは短い髪を何度もなでた。ほかの人を好きなセハを、勉強以外のことに誘うのは、なかなか難しかった。
「わかった。何とかするよ。じゃあな」
二人は遊び場で別れ、それぞれ家へ向かった。ジフンは携帯電話を取り出し、メールを開いた。
『じゃあ、明日は十時までに図書館で会おう』
セハからのメールだった。何とか連絡しようと頭をひねっているうちに、期末試験まで一か月もないことに気づいた。それを口実に、一緒に勉強しようと誘うと、すぐにいいよと返事が来た。火曜日に一緒に塾へ行くのは、もう何週間か続いていたが、これといった進展はなかった。二人はほかの友達と変わらず、ふざけて笑い合い、セハはときどきデヒョンの話をした。胸の片隅の苦さを見せまいと、ずいぶん努力してきた。思いがけず兄に打ち明けてからも、もどかしさは消えなかった。
横になったジフンは、ラジオをつけた。このところ、家に帰るのはいつも十二時を過ぎていた。中学生のころ、毎日のように聴いていた十時の番組を、久しぶりに聴くことになった。ぼんやり聴いていると、何かがおかしいと感じた。驚いて起き上がり、周波数を確かめた。一度も変えたことのない、九十一・九メガヘルツのままだった。番組のDJは、イ・ソラに替わっていた。
――みんな、少しずつ変わっていくんだな。
独特の低い声で進める、イ・ソラの番組も悪くなかった。けれど、知らないうちにDJが替わっていたことに、心のどこかで名残惜しさも感じた。ジフンの意思とは関係なく、いろいろなものが変わっていった。映画館の名前も変わり、多くの人が待ち合わせに使っていたレコード店は、服屋になっていた。セハの気持ちも、変わるだろうか。あてもない期待を抱き、ラジオを子守歌にして、ジフンはいつの間にか眠っていた。
朝、目を覚ますと、不思議と気分がすっきりしていた。昨夜、眠る前にジフンを悩ませていた雑念は、朝の埃と一緒に、床へ沈んだようだった。
――なるようになるさ。
うとうとしている間に、そんな言葉を聞いた気がした。にぎやかな朝の番組が流れるラジオを消し、出かける支度をした。
「朝っぱらから、またどこ行くんだよ?」
朝食を作っていた母が、洗面所を行ったり来たりするジフンを呼び止めた。
「勉強」
「何の勉強?」
「学生なんだから、学校の試験勉強だろ。ほかに何があるんだよ」
ネズミの穴にも日が差す日はあるものだと、母は舌を鳴らしたが、内心、嬉しそうだった。
「おっかあ。俺、早く食って出たい」
「はいはい。先に食べて、行っといで」
ご飯もおいしかった。よく眠れたからだろうかと思った。
セハは、自分の体より大きなバッグに、ぎっしり本を詰めてきた。眼鏡までかけているのを見ると、しっかり準備してきたようだった。
「今日は眼鏡なんだ?」
「うん! 勉強しなきゃ。コンタクトだと、目が乾いちゃうから」
昨日のインスの言葉が浮かんだ。このままでは、間違いなく勉強だけして帰ることになりそうだった。それでも、焦りはなかった。勉強だけして帰っても、いい日だった。
「まずは、あそこに座って途中経過をチェック!」
静かな閲覧室に入ると、話はできなくなる。セハは、外に置かれたテーブルの前のベンチに座った。ジフンは、近づいている試験の範囲を見せた。
「共通数学もやるつもり? 今は期末試験の勉強だけでも大変だよ」
言われてみれば、そのとおりだった。ジフンは照れくさそうに、出した本をしまった。セハの学校とは教科書が違い、国語と英語の文章も、まったく違っていた。それでもセハは、何でも知っている博士のように、勉強の仕方を説明した。
「国語と英語は得意だから、こうやって少し見直すだけでも、もっと点が取れるよ」
顔ほどもある、大きな丸い眼鏡の向こうで、目がいたずらっぽく笑った。
「国語と英語は、まあ……何とかなるだろ。じゃあ、いよいよ数学と……」
教科書や問題集をたくさん持ってきたが、今日、全部見られるだろうかと思った。セハは、科目ごとの試験範囲を丁寧に確認してくれた。
「暗記科目は、実は教えられることがないんだ。教科書を丸暗記するくらい読んで、問題をたくさん解いてみて」
「数学も、問題をたくさん解けって言ってなかった?」
セハは声を上げて笑った。
「それは、高校生の宿命みたいなものだよ」
一時間以上続いた講義が終わり、自動販売機で飲み物を買って、一缶ずつ飲んだ。それから、いよいよ閲覧室に入った。勉強は尻でするという言葉を、あらためて実感した。セハは四時間、一度もトイレに行かずに勉強していた。少し休んでこようと声をかけるのさえ、申し訳ないほどだった。ジフンは途中、一、二度席を立ち、トイレに行ったり、腰を伸ばしたりしてきたが、タバコは出さなかった。本の匂いだけがほのかに漂う、静かな閲覧室で、歓迎されない客にはなりたくなかった。
ぐうう。
三時を過ぎると、突然、腹の中が騒ぎ始めた。今日は座っていただけなのに、もう腹が減っていた。
ぐうううう。
空気を読まない腹が、何度も知らせてきたが、ジフンは気にも留めず、本を読み続けた。
「くっ……くくっ」
妙な声が聞こえ、隣のセハを見ると、口を押さえていた。どうしたのかと思い、肘で軽くつついた。
「どうしたの。どっか痛い?」
「違う……さっきから、お腹鳴ってる」
セハは笑いをこらえていた。どうやら、腹の音はかなり大きかったらしい。笑いをこらえきれず、席を立ってしまったので、ジフンも急いであとを追った。
「くくくっ。ねえ、朝ご飯食べてこなかったの?」
「いや、食べてきたけど。そんなに大きかった?」
「うん。中にいた人、みんな聞こえたと思う」
ジフンも笑ったが、腹の音を聞かれたのが、恥ずかしかった。
「ご飯食べに行こう。もうこんな時間なんだね」
「そうだな。セハに合わせて勉強してると、時間があっという間だよ。何で一度も立たずにいられるんだ?」
「それも、ちょっとしたコツなんだ。止まると、流れが切れちゃうから」
得意げな言葉に、笑みがこぼれた。二人は中へ戻って席を片づけ、バッグを持って出た。
「あそこの軽食屋に行く?」
「いいね。何でも売ってるし」




