第27話 君の笑い声だけ(1)
2001年6月、18歳のジフン
授業が終わると、廊下は下校する生徒たちで慌ただしくなった。まだ体力の有り余っている生徒たちは、校庭の片隅に集まっていた。部活のために集まっている一団もあった。
「先輩、今日も剣道部に来ないんですか?」
ポケットに手を突っ込み、とぼとぼ歩いていたジフンに、一年生の後輩が近づいて尋ねた。
「お前ら、いっぱいやっとけ。俺は一年のとき、手に豆ができるくらい、死ぬほどやったから」
「先輩が来てくれたほうが楽しいのに……」
二年になってから、ジフンが剣道場へ行った回数は、指で数えられるほどだった。
「悪いな。明日は行くから、部長と師範と、しっかり稽古しとけよ」
残念そうな後輩の頭をくしゃくしゃと撫で、足を速めた。友達は住宅街のどこかの隙間に、寄り集まっていた。
「ジフンじゃん。今まで何してたんだよ」
チョンウォンは、今にも用を足しそうな格好でしゃがみ込み、タバコの煙を吐いた。
「担任のやつ、タバコ吸ってるとこ見つけたら殺すってさ。くそ長え説教で、ビビったよ。一本くれ」
友達は、今日は何をしようかと、悩むほどでもない相談をしていた。
「ヤンジェ行って、PCバンにでも行こうぜ」
ほかに思いつかなければPCバン、それでなければカラオケという連中だった。同じ毎日の繰り返しのようで、毎日が違っていた。
「俺、行くとこあるから、お前らだけで行ってくれ」
ジフンがそっと抜けようとしても、みんなぼんやりした目で空を見ているだけだった。インスがふと我に返ったような目で尋ねた。
「お前に行くとこなんてあんのか?」
説明するのが面倒だった。説明すればするほど、気持ちが複雑になっていった。
「遊んでろよ。あとで連絡するかもしれねえから」
適当にごまかしたが、インスはそれ以上、詳しく問いたださなかった。
「ジフンが抜けたら、ちょうど二対二だな。俺、インスと組む」
ヒジェは、スタークラフトのチームを先に決めようとするように、すかさず口を開いた。インスは友達の中でいちばんゲームがうまく、いつも二対三の少ない側で相手をしなければならなかった。デヒョンが苛立った声で言い返した。
「くそ、二対二じゃチュ・インスにボコられるだろ。お前、片手でやれ」
くすくす笑う友達を残し、ジフンは先に別れを告げた。みんな座ったまま、叩くぞとでもいうように手を振り回し、まだ言い合っていた。
バスに乗ったジフンはウォークマンを取り出し、イヤホンを耳に差した。勢いよく後ろへ流れていく景色を眺めながら、流れる音楽に合わせて小さく口ずさんだ。二十分もすれば着くので、本は出さなかった。今日は鞄もずいぶん重く、探すのも面倒だった。やがて、塾の集まる一帯に着いたことを告げるアナウンスが流れた。バスを降り、ポケットから携帯電話を取り出してメールを確かめた。
『次で降りるよ』
そこまでの道のりはジフンのほうが遠かったが、先に着いた。同じバス停で降りるのだろうと思い、その場に立ってしばらく待った。ほどなく緑色のバスが停留所に入ってくると、耳の下までの、きちんと整ったボブに制服がよく似合うセハが見えた。ジフンは軽く手を上げた。
「ハイ」
「えへへ。ずいぶん待った?」
少し前、セハの家の前で話してから、二人の距離はぐっと縮まっていた。ときどきメールでもいろいろな話をするうち、セハが勉強を手伝ってあげると言ってくれた。
「ううん。俺も今来たとこ。今日、塾の初日だね」
「そうだよ。楽しみ?」
塾の授業が楽しみなはずはなかった。期待に満ちた表情が向いている先は、明らかに別のものだったが、考えても仕方のないことだった。
「楽しみってほどじゃ……。でも、中学以来、初めて塾に行くんだよね」
「じゃあ、やっぱり楽しみなんじゃない。先に軽く何か食べよっか」
先に歩き出したセハについていった。まだ塾に通うとはっきり決めていなかったので、友達にも話していなかった。セハと二人で通うなどと言えば、またどんな余計なことを言われるかわからなかった。けれど、セハはもう一緒に通うものとして、ごく自然に話していた。ジフンもひとまず、親に塾代をもらってきていた。
「急にどうして塾なんて言い出したの? お母さんはうれしいよ」
母は快く塾代を用意し、封筒に入れて渡してくれた。
「息子が勉強するってのに、何がそんなに気になるんだよ」
ぶっきらぼうに言ったものの、勉強しようとする息子をいつでも応援してくれる母が、やはりありがたかった。
このあたりに詳しくないジフンは、周囲を見回した。
「お腹すいてる? 何か食べよう。何がいいかな」
「えへへ。私についてきて」
セハに導かれるまま、古いマンションの地下商店街へ入った。にぎやかな地下商店街は、売り場の間まで買い物客でいっぱいだった。さまざまな店が忙しく商売をしていて、そのいちばん奥に軽食屋があった。
「軽食屋だね。俺、トッポッキ好きだよ」
「ほんと? よかった。ここの、すごくおいしいんだよ。よく食べに来るの」
店も学生であふれていた。座る場所を探すのも大変だったが、ちょうど二人分の席が空いているのを見つけ、急いで座った。
「ここに座ってて。注文してくるね」
「うん。これ、お金」
「いいよ。今日は私のおごり。塾の初日だから」
セハは片目をつぶって笑い、座っているように手を振った。ジフンは少し照れくさくなり、財布をポケットへ戻した。
「何教科にする? 今日行く塾では、私は国語と英語を取ってるんだ」
「うーん……とりあえず、国語だけにしようかな」
「へえ。やっぱり文学少年だから、国語が好きなの?」
また聞こえてきた、文学少年という言葉が、澄んだ音で響いた。同時に、少し重荷でもある言葉だった。
「そういうわけじゃないけど、数学よりはましだし……理科よりも好きかな」
「そっか。テストの点、聞いてもいい? だいたいわかってたほうが、方針も決めやすいから」
ジフンは宙を見た。どこまで話せばいいのかわからなかった。全部言うのは恥ずかしくて、自信のあるものだけを選んだ。
「国語が八十六……英語が九十……」
セハは目を丸くした。そのとき、注文したものを取りに来るよう、店のおばさんが声をかけた。
「えっ、何それ。できるじゃん。ちょっと待ってて。トッポッキ取ってくるね」
ジフンはセハを座らせ、自分が先に動いた。お金はセハが払ってくれたのだから、料理くらいは自分が取りに行ったほうがいいと思った。
「座ってて。取ってくるのは俺がやるよ」




