第17話 十字架に咲いた花(3)
デヒョンは、なかなか寝つけなかった。目を閉じて、黙想の時間にできなかった祈りを思い浮かべた。
葉の間から光が差し込む、木々の生い茂った森が見えた。光の粒が手のひらの上に散らばり、その周りを漂った。その光を追うと、老木の下で、小さな白い野の花が一輪、静かに眠っていた。
白い花の上に、一人の女の子の顔がちらついた。
デヒョンは目を開け、勢いよく起き上がった。体は痛むほど疲れているのに、頭はかえって冴えていた。同じ部屋の子たちは、もういびきをかき、闇に体も心も委ねていた。
水でも飲もうかと手探りしたが、ペットボトルは空だった。みんなを起こさないよう、そっと布団をよけて部屋を出た。廊下は昼間と違い、赤い間接照明だけがついていた。もう遅い時間だと警告しているようだった。
空のペットボトルを手に、給水機のある方へ歩いた。赤い光が足音まで呑み込んでいるようだった。
給水機のある共用スペースへ入ると、神父様がコーヒーを飲んでいた。あまりに静かに近づいたせいか、こちらに気づいていなかった。目が合った瞬間、手にしていたカップを落としかけた。
デヒョンは気まずくなったが、すぐにペットボトルを掲げてみせた。神父様は微笑み、給水機を指さした。
冷たい水をいっぱいに入れ、勢いよく飲んだ。胸を通り抜ける冷たさが、混乱した頭を少し落ち着かせてくれた。
「眠れませんか、トマス?」
よく知らない神父様に洗礼名を呼ばれ、デヒョンは驚いた。
「はい、神父様。でも、どうして僕の名前を……」
神父様はコーヒーに目を落とし、眼鏡をかけ直した。
「ブラジオ神父様から聞いていました。信仰の深い、老木のような子がいるとおっしゃっていたので、覚えていたんですよ」
口に残っていた水を飲み込み、デヒョンは軽く腰をかがめた。
「その子が、黙想の時間には別のことを考えているようだったので、意外でした」
飲み込んだはずの水で、むせてしまいそうだった。悪さをして見つかった子のように、どこかへ隠れたくなった。
「神父様……神父様も、祈っているのに、先に別のことが浮かんでくるときってありますか?」
返ってきた声は、穏やかだがきっぱりしていた。
「ありません」
あまりにはっきり言われ、デヒョンは照れくさく笑った。神父様は、いたずらっぽく続けた。
「……と言ったら、嘘になりますね。雑念も私たちの一部です。それも祈りなのだと思えば、受け入れやすくなるのではありませんか?」
その言葉に、気持ちが楽になった。雑念の混じる祈りも、そんな自分も、丸ごと抱きしめて眠れそうだった。
「ありがとうございます」
デヒョンは微笑んだ。神父様も笑みを返し、もう早く寝なさいと手で促した。軽く会釈をして、部屋へ戻った。
帰り道の赤い照明は、温かな色に変わっていた。眠気が差してきて、大きなあくびが出た。
ぐっすり眠ると、昨夜の記憶は夢のようだった。本当にあったことなのかもわからなかった。それでもデヒョンは、ご飯を口いっぱいに頬張りながら、知らず知らず周りを見回していた。
無意識に探してしまうものは、どこにも見当たらなかった。あきらめて残りを全部食べ、トレーを片づけた。
午前の活動は、聖句探しから始まった。敷地内に隠された聖句を探すゲームだった。黙想センターの敷地は広く、あちこち探し回らなければならなかった。去年もここへ来たデヒョンは、知っている場所から回ってみた。だが、今年は隠し場所がほとんど変わっていて、空振りばかりだった。
時間がたつにつれ、あちこちから歓声が上がった。デヒョンもペアになった子と二つ見つけ、得意げに戻ってきた。見つけた聖句の数に応じて、班ごとに賞品をもらった。
講堂に集まったみんなは、おしゃべりしながら次の時間を待った。班ごとに劇を準備する時間だった。
渡された台本は、ルカによる福音書の、迷える息子の物語だった。班のみんなは輪になり、配役を決めていた。
そのとき、隣の班の子たちが何か困っているようだった。
「どうしよう……いつからいなかったんだろう」
「他の班に行ってるんだと思ってた」
ざわめく講堂の片隅で、落ち着かない様子でひそひそ話していた。デヒョンはそちらに耳を傾けた。
「まずいな。先生たちに言ってくるよ」
みんな泣きそうな顔になっていた。デヒョンは立ち上がり、そっと近づいて尋ねた。
「何かあったんですか?」
「あ、デヒョン。うちの班の子が一人、いなくなったんだ」
高校生の班長が言い終えると、ようやく事態が飲み込めたのか、一人の子が鼻をすすり始めた。
「どの子ですか? ここは広いですけど、行きそうな場所は限られてると思います」
別の子が、泣いている子をなだめながら答えた。
「昨日の出し物で『アディオス』を歌った子です。聖句探しが終わって、他の班で遊んでるんだと思ってたんですけど……」
昨日の舞台と、あの子の姿が浮かんだ。風は強くなく、ふんわり積もった雪にも穏やかさが感じられる日だったが、冬は冬だった。どこかで震えているかもしれないと思うと、不安が押し寄せた。
デヒョンは、行きそうな場所をじっくり考えた。
「僕、探しに行ってみます。去年も来たので、道はよく知ってます。行きそうなところを何か所か回ってみます」
班長は任せてもいいものかと迷っていた。デヒョンは、声を落として伝えた。
「なかなか戻らなかったら、そのとき先生たちに言ってください」
班長は周りを気にしながら、鼻をすすっている子を懸命になだめた。
「頼むよ。山の方にいるんじゃないかな。今年はあっちには隠してないって、ちゃんと言ったんだけど」
言い終わるか終わらないかのうちに、デヒョンは足早に講堂を出た。山へ続く脇道は、慣れない子が入るには険しかった。
去年、姉はズボンをびしょ濡れにしながら、そこで誰にも見つけられなかった聖句を探し当てた。その話を聞いた子なら、山へ登っていったかもしれなかった。
いろいろな考えが頭を悩ませたが、足は止めなかった。




