第14話 背の低い空の下で(2)
「ジフンは、何かになりたいとか、ないの?」
ジフンは口を固く閉じた。目を動かし、少し考えてから、セハに答えた。
「なりたいものって、夢……とか、そういうこと?」
「うん。えへへ。小学生のときの夢みたいなのじゃなくて、もう少し現実的で具体的なもの」
ジフンは短い髪を何度もなで、困った顔をした。
「それは……まだないかな。いや、あるかもしれないけど、現実的なのかはわからない」
気になって、聞き返した。
「ほんと? 何? 聞かせてもらってもいい?」
「ただ……小学生の夢みたいで、ちょっと笑われそうだから。それで……」
「そっか。じゃあ、これ以上は聞かないね。でも、話したくなったら、必ず教えて」
「じゃあ、セハは? 目標みたいなの、ある?」
その質問を待っていたように、セハはにこりとした。
「うーん、現実的すぎるかな。私は、とりあえず獣医学科に進もうと思ってる」
「獣医学科? 何それ?」
初めて聞く言葉に、戸惑いを隠せなかった。
「あはは。獣医学科に入ると、獣医になれるんだよ。私、動物が好きだから」
「ああ、すごいね。似合ってる!」
そう言われると、何だか元気が出た。
「じゃあ、白衣着るんだね。何か、想像できるよ」
「ありがとう。元気出た」
口元に笑みが浮かんだ。進学の目標を誰かに話す機会はあまりなかったが、そんな話の中でも、一番うれしくなる会話だった。
「元気を出してほしいな。時々、何となくつらそうに見えることがあるから」
つらそうに見えるときか。そう繰り返し、何かを思い出した。つらいと言えば、本当につらくなってしまいそうだった。だから、言葉を控えた。
「うん、何となくそう感じるんだ。いつも明るいけど、無理してるっていうか。勉強だけのせいでもなさそうで。俺にはよくわからないけど」
その言葉に、やわらかな温もりを感じた。見せたくなかった気持ちに、そっと気づいてくれたことがありがたかった。
何かを決めたように、セハは大きく息を吸い、言った。
「公園で、少し座って話してから帰らない?」
一歩ずつ歩いているうちに、いつの間にかセハの住むマンションの入口まで来ていた。二人は向きを変え、向かいの公園へ歩いた。この季節にはまだ早い羽虫が、明かりにぶつかっていた。その下には、薄茶色のベンチが、二人を静かに待つように置かれていた。
「ここ、座ろう」
セハはデニムのスカートをなでて整え、先に腰を下ろした。ジフンは斜めがけのバッグを前へ回し、隣に座った。
「実はね。いろいろ、気持ちが複雑なんだ」
「そっか。何となく言っただけなんだけど……いや、適当に言ったわけじゃなくて、さっきのは本当にそう感じたんだ。でも、踏み込みすぎかなと思うと、詳しくは聞きにくいっていうか。そういうの、あるじゃん」
慎重に言葉を選ぶジフンの話を、セハは最後まで聞いた。
「大丈夫。そう感じてくれたことが、ありがたいくらいだよ。不思議だよね。たいしたことじゃなくても、何だか心が落ち着かなくて」
「何があったのか、話したかったら話していいよ。聞くから」
話そうと決めたのに、いざ口にしようとするとためらった。だから、まずは軽い話から始めた。
「ねえ、ジフンは好きな人いないの?」
ジフンは少し体をこわばらせて答えた。
「いない」
「そっか。私、彼氏と別れてから、まだあんまり経ってないでしょ。そういうことも、気持ちを落ち着かなくさせるんだ」
「まだ、彼氏のこと忘れられないの?」
セハは強い口調で否定した。
「ううん、そうじゃないの。付き合ってるとき、すごくつらかったから。最初は、みんながあの子を慕ってるのがよかったんだ。それに、優しかったし。ちょっと大変な時期だったから、支えになってくれたんだと思う」
「そっか……いい子だったんだね」
ジフンは小さくつぶやき、話を聞いてくれた。空気をなでる風の音さえ、黙ってセハに耳を傾けているようだった。
「でも、あるときから変わっていった気がする。私への気持ちは変わってないって感じるんだけど、だんだん、私を息苦しくさせる人になっていったっていうか」
乾いた手をこすり合わせながら、セハは、目をそらさずに見つめてくれるジフンに、心が開いていくのを感じた。真っ黒な瞳のほかは、周りの景色がよく見えないほどで、まるで告解をしているようだった。
「だから、さっき言ってたでしょ。友達とは、この先も変わらないと思うって。本当にそうだったらいいなって思ったんだ。何かが変わっていって、それに振り回されると、すごく悲しくなるから」
ジフンはわかったというようにうなずいた。何か言いかけるように唇を動かしていたが、黙ったままで、考えをまとめているらしかった。
「たぶん……変わらないよ」
「え?」
声が小さすぎて、耳を傾け、聞き返した。
「たぶん、俺も友達も変わらないと思う。だから、悲しまなくていいよ」
セハはぱっと笑い、静かに続けた。
「それでね。実は、好きな人ができたみたいなんだ」
ジフンは何も言わなかった。ここまでは、あまり気にならないのだろうか。そう思っていると、手に持った牛乳のパックを少しへこませ、尋ねた。
「誰……? 俺の知ってる人?」
「うん」
セハは恥ずかしそうに空を見上げた。北極星だけが自分の場所を守っている、静かな夜だった。
雲一つない空の下で、二人は小さな秘密を分け合った。月明かりも、木々の間を落ちてくる花粉も、知らない話だった。
話を全部聞いたジフンは、少しためらってから、バッグの中のウォークマンを取り出した。
「音楽?」
セハは笑って尋ねた。ジフンは小さく笑い、片方のイヤホンを渡してくれた。
「何となく……この曲、思い出して」
エレキギターの音が澄んで広がり、公園に降りてきた。
セハは何も言わずにイヤホンをつけ直し、ストローをいじった。
……背の低い空には灰色の雲……雨でも降りそう……
にぎやかなジュミョンの家では、まだ残っている酒を、一つ、また一つと空けていた。酔って顔を赤くしたデヒョンが、何かを思い出したように勢いよく立ち上がり、冷蔵庫を開けた。
「おい、ここにあったチョコ牛乳、誰が飲んだ?」
「何のチョコ牛乳? なかったと思うけど」
「くそ、さっきは確かにあった気がするんだけど。ちょっと飲もうと思ったのに」
夜も今日を名残惜しむように、一日の最後を引き留めていた。




