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第87話「獣の言い分」


 俺は、答えられなかった。


 答えの代わりに、六畳の床に——獣の、正面に、座った。


 天幕で、覚えた座り方だった。直しに来た人間の座り方じゃなく、隣に来た人間の座り方。獣が、少しだけ、膝の抱え方を緩めた。


 『……座るんだ』


 「ああ」


 『消しに来たんじゃ、ないの?』


 「それを決める前に、聞きに来た。……お前の言い分を。誰も、ちゃんと聞いたことがなかったろ。俺も含めて」


 獣は、長いこと、黙ってた。


 それから、ぽつぽつと、喋り始めた。


 『……あのね。あの頃ね。全部が、見えたんだよ』


 『世界の仕組みが、全部繋がって見えた。僕は特別で、僕には力があって、金さえあれば、本当に、変えられると思った。嘘じゃないんだよ。詐欺でもないんだよ。あの瞬間、僕の中では、全部、本当だったんだ』


 『なのに、誰も信じなかった。母さんも、ドアを開けなかった。……ねえ、分かる? 世界で一番、力が湧いてる瞬間に、世界で一番、独りだったんだよ、僕』


 『それでね。波が引いてね。……何も、変えられてなかった。散らかった部屋と、借金と、切れた縁だけが残ってて。そしたら今度は、次の版の僕が来てさ。僕を見て、顔をしかめて——消したんだ。なかったことに、したんだ。恥だから。黒歴史だから』


 『消されるたびに、ここに落ちてくるんだよ。僕たちは』


 獣は、部屋の隅の影たちを、見た。


 『ここでずっと、聞いてたんだ。上の音を。お前が登ってく音。強くなってく音。仲間ができてく音。……あの音を聞きながらね、ずっと、考えてた。——お前の土台、誰だと思ってるんだって』


 『底を触ったのは、僕だよ』


 『「金を貸してくれ」って叫んで、断られて、それでも死ななかったのは、僕だよ。二十七通の封筒を溜めたのは僕で、溜めた僕がいたから、開ける僕が生まれたんだ。沈んだから、浮き方を覚えたんだろ。詰んだから、定石を組んだんだろ。————全部、僕の上に、建ってるくせに』


 『なんで、僕だけ、消されるの』


 六畳が、静かになった。


 俺は、懐から、手紙を出した。


 母の、二通目。引き出しにしまって、「分割で受け取る」と書いた、あの手紙。……分割の残りを受け取る場所は、ここだったんだ。たぶん、最初から。


 「————お前に、読むものがある」


 俺は、便箋を開いた。


 「お前宛てだ。……ずっと、お前宛てだったんだと思う。俺は横取りして読んでた」


 獣が、膝から、顔を上げた。


 俺は、声に出して、読んだ。あなたの中に、大きな獣がいるのが、ドア越しにも分かった——のところで、獣の輪郭が、震えた。獣は、誰かが倒せるものではない——で、影たちが、寄ってきた。私にできるのは、待つことだけでした——で、獣が、両手で、顔を覆った。


 ——ドアは、あの日から一度も、鍵をかけていません。


 ——飯を、食べなさい。


 読み終える頃には、六畳の中で、俺の声だけが、湿ってた。いや——俺の声「だけ」じゃ、なかったか。


 『…………待って、たの?』


 獣の声が、膝の間から、聞こえた。


 『僕を? ……あの日の、玄関の、僕を?』


 「ああ」


 『……嘘だ。だって僕は、獣で』


 「獣ごと、だ」


 俺は、言った。言いながら、これは獣に言ってるのか、自分に言ってるのか、分からなくなった。分からないままで、続けた。


 「獣ごと、待たれてた。……受け取れよ。俺も、まだ受け取りきれてない。だから——半分ずつ、持て。それなら、持てるだろ」


 半分に、分ける。……刻む、ってのは、そういうことだ。丸ごとじゃ持てないものを、持てる大きさに、分かつ。分かった分だけ——分かる。同じ音なのは、たぶん、偶然じゃない。



先輩冒険者Aのメモ

(なし)

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