表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/25

第9話「宿屋を舐めるな」



 最初にそれを見つけたのは、ヴァーノだった。


 「……おい、あれ。建物じゃないか?」


 岩壁の窪みに、はまり込むように、それは建っていた。


 石積みの壁。木の扉。扉の上には、色褪せた看板。


 【宿】


 一文字だけ。潔い。


 「奈落に宿? 罠だろう」


 「罠にしては手が込みすぎだ。……いや、待て」


 俺の引き出しが、また勝手に開いた。今度のは、妙に温かい引き出しだった。


 ──奈落の宿は、舐めるな。


 それだけ。手順も注意書きもない。舐めるな、だけ。


 扉を開けると、暖炉の匂いがした。


 カウンターに、枯れ木みたいな爺さんが一人。俺たちを見ても驚かず、「三人かい」とだけ言った。


 一泊の値段は、拍子抜けするほど安かった。


 「泊まる。──三泊で」


 「「は!?」」


 ガルドとヴァーノの声が揃った。


 「三泊!? おい、先を急ぐんじゃなかったのか!」


 「僕らの路銀を勝手に……いや安いけども!」


 説明が難しかった。ただ、引き出しがそう言ってる。ここは、急ぐ場所じゃなくて、積む場所だと。


 ちなみに俺は、この宿の立地を分析して、全部、外した。


 「なんでこんな場所に宿がある? 客は下層帰りの生還者……いや、数が合わない。物資の搬入路も見当たらない。採算の取れる立地じゃない。となると、何か裏の——」


 「兄さん」爺さんが、皿を拭きながら言った。「考え事は、飯の後にしな。冷める」


 反論できなかった。その日、考察は全敗で、粥は全勝だった。


 夕飯は、爺さんの粥だった。


 具は、乾し肉の欠片と、白いキノコ。俺が三日炙り続けたのと同じキノコのはずなのに、味が三階層くらい違った。出汁ってものの存在を、俺は思い出した。ガルドは四杯食い、ヴァーノは「はー……」としか言わなくなり、俺は二杯で止めて、三杯目を我慢した理由を自分でも説明できなかった。うますぎるものは、少し、怖い。


 その夜、俺は久しぶりに、底の見えない眠りに落ちた。


 ——夢を、見た気がする。


 天井だった。岩じゃない。白っぽくて、平らで、隅の方に、雨漏りみたいな染みのある——知らない天井。知らないはずなのに、胸の奥が、変に軋んだ。懐かしい、に似た軋み方だった。


 目が覚めたら、中身はほとんど流れて消えてて、染みの形だけが、まぶたの裏に、少しだけ残ってた。


 ──翌朝。


 「なんだこれは」


 ガルドが自分の書を開いて、固まっていた。


 覗き込む。書のいちばん上、体力の最大値を示す数字が──増えていた。


 回復じゃない。最大値が、だ。


 「僕もだ! おいおいおい、何が起きてる!?」


 俺は自分の書を確かめて、静かに納得した。


ーーーーぼうけんのしょーーーー

 本日の記録

 ・とてもよく眠った

 ・器が、少し広がった

ーーーーーーーーーーーーーー


 削った体力は、飯と薬で戻る。


 でも、器そのものは──ちゃんとした寝床で、ちゃんと眠った夜にしか、広がらない。


 「急がば寝ろ、ってな」


 声がした方を見たら、いた。


 食堂の隅の席。フードの男が、湯気の立つ椀を前に、当たり前の顔で座ってた。


 「A!? お前いつから」


 「昨日から。お前らが値段に騒いでる頃には二泊目だったw」


 相変わらず、気配がない。


 「急がば寝ろ。……誰の言葉だと思う?」


 「知らん。ことわざだろ」


 「ふうん。まあ、そういうことにしとくかw」


 Aは椀の中身をすすって、それきりその話をやめた。


 三泊した。


 体の芯の、抜けたことにも気づいてなかった疲れが、抜けた。


 あと、妙なことが一つ。二泊目の夜、暖炉の前で、気づいたら爺さんに、水場の暮らしの話を延々としてた。岩の数まで。……何を喋ってんだ、俺は。初対面の宿の親父に。慌てて口を閉じたら、爺さんは「ほう」とだけ言って、粥のおかわりを、黙って置いた。


 あの暖炉には、何かある。検証は、しなかった。——したくなかったんだと思う。ガルドの素振りの音が変わった。ヴァーノの軽口の切れが増した。誰も損をしなかった。


 出発の朝、宿代を払うついでに、カウンターの帳簿がふと目に入った。


 古い宿泊客の名前が、ずらりと並んでる。


 その中のひとつに、目が留まった。


 読めない。掠れてる。


 インクが薄いんじゃない。紙ごと、その名前の部分だけが、白く抜けたみたいに掠れてる。


 なのに──俺はその名前を、知ってる気がした。


 喉まで出かかって、出てこない。夢の中で読んだ本の題名みたいに。


 「お客さん?」


 「……いや。世話になった」


 扉を出るとき、一度だけ振り返った。


 帳簿は、もう閉じられていた。



先輩冒険者Aのメモ

※現実世界の諸君へ。宿屋は舐めるな。今夜は寝ろ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ