第76話「書き合った者たちは」
列が、白の海を渡り切るまでが——長かった。
こっちは限界の膠着、あっちは、一歩ずつ。俺たちは声も出せないまま、ただ、松明の数を数えて待った。三十。六十。……百。
松明の列は、百を超えてた。
先頭に、ヴェラ。西の荒くれども。その後ろに——中継街の連中がいた。食堂の爺さんが。天幕を継いだリタの母親が。リタが。講習の生還者たちが。胸元に聖印を光らせたままの、あの信者たちまでが。
「な、んで」俺は、駆け寄る金髪に叫んだ。「なんで白を通れた!? あれに触れたら——」
「通れたんじゃないわ」
ヴェラは、剣を提げたまま、こともなげに言った。
「白の方が、避けたのよ。——私たちを」
「————は?」
「途中で気づいたの。白はね、全部を消すんじゃない。……読まれてないものから、消すの。だから」
彼女は、自分の腰の書を、叩いた。
「読まれてる書は、消せない」
「西から——どうやって、間に合った」
「底鳴りは、西でも聞こえたのよ」彼女は、こともなげに言った。だが後ろの西の連中の顔は、全員、埃と隈で塗り潰されてた。夜通しで駆けた顔だった。「あの音の意味くらい、壁の人には分かるわ」
リタの母親が、進み出た。腕に、書を抱えてた。一冊じゃない。何冊も。
「天幕で、始めたんです。あなたが発ったあと。話を聞くだけじゃなくて——お互いの書を、読み合う会を。怖くて自分じゃ読み返せないページを、隣の人に読んでもらうんです。……そしたら、白が来た夜、読み合った書だけ、掠れが、止まってた」
「儂の食堂の帳簿もな」爺さんが、笑った。「姪っ子がいつも読んどるからか、一文字も掠れとらんわ」
俺は、白の海を、振り返った。
何百の「たすけて」。読まれなかった書の山。あれの正体が、そういうことなら——
武器は、剣じゃない。
「————全員、二人一組になれ!!」
俺は、斜面に向かって、吠えた。
「組んだ相手と、書を交換しろ!! 読め!! 声に出して読め!! 相手の一番古いページからだ!! ——ミナ、光は防壁じゃなくていい、読む連中の足元を照らせ!! ヴァーノ、風で声を通せ、朗読を白に聞かせろ!! ガルド、読めない奴の護衛!! ヴェラ——」
「分かってる。読み合いの陣形の管理でしょ。……半年ぶりの号令が、それ?」
「悪いか」
「いいえ」彼女は、笑った。「——合理的じゃないわ。押し寄せる白を前に、百人で本を読むなんて。どの兵法にも載ってない。————だから」
剣を抜きながら、彼女は言い切った。
「——あなたらしいわ」
夜明け前の斜面に、百の朗読が、始まった。金牌も、銅牌も、木牌も、黒牌も、なかった。読む声に、階級はない。
ガルドの武勇伝を、西の若いのが読み上げる。——三割盛りの箇所に、差しかかった。「『儂は洞鬼十体を、同時に、片手で』……十体!?」「よ、読むなァそこは!! 盛っとる!! 三割……いや五割盛っとる!!」本人が白より先に悶絶した。だが妙なことに、その瞬間、周囲の白の圧が、僅かに緩んだ。……羞恥は、白にも効くのか? 誰か検証しといてくれ。爺さんの三十年の帳簿を、リタが読む。信者の書を、講習の生還者が読む。ヴァーノの——本文の一行目を、ヴェラが読んだ。「私は、三節までしか使えない」。ヴァーノが「うっせ!」と叫んで、泣いた。
そして斜面の下から、台帳の山を荷車ごと押して駆けつける影があった。ロゼだった。
「し、死んだ人の、分もっ——読めますっ!! 百年分、ぜんぶ、私、読んでますからっ!!」
ギルドの台帳。死んだ冒険者たちの、誰にも読まれなくなった記録。彼女は一冊ずつ開いて、名前から、読み上げ始めた。
「——ラド。討伐数、生涯で四百十二。娘の名は、リタ。口癖は、『まず飯だ』……!」
読み上げる声は、震えてて、それでいて、よく通った。百年分を読んできた声だ。誰に聞かせるでもなかった夜の朗読が、初めて——戦場のど真ん中で、聞き手を持った。一冊読み終えるたび、彼女は表紙を、ぽん、と撫でた。よくできました、みたいに。
台帳の朗読が響く一帯だけ、白の圧が、目に見えて、たわんだ。——死者の記録は、まだ、結べる。
白の、前進が。
初めて——止まった。
先輩冒険者Aのメモ
※短いぞ。──読まれてる書は、消せない。以上だ。今夜、誰かのを読め。




