第75話「夜明け前」
戦況は、時間とともに、悪化した。
理由は、分かってた。分かってたから、余計に、性質が悪かった。
夜明けが、近い。
夜明け前——書が一番掠れる時刻。魔獣が一番昂る時刻。この世界の全部が、一番弱る時刻に向かって、白は、一番強くなっていく。
ミナの光は、もう斜面の最後の段まで下がってた。ガルドの籠手は白に舐められて、左の小手が、輪郭を失いかけてる。ヴァーノの声は嗄れて、四節どころか三節も、限界だった。
「————ぐ、」
ミナが、膝をついた。
光の線が、揺れた。
白が、押し込んでくる。濁流が、雪崩れてくる。潰れた声。澱んだ願い。誰のものとも分からない嗚咽の塊が、鼓膜じゃなく、胸の内側を直接、殴ってくる——
その声の圧の中で。
俺は、聞いた。
聞き覚えの、ある声を。
——金を、貸してくれ。
白の波の、一番深いところから。
——世界を、変えられるんだ。
足が、止まった。剣が、下がった。
あの声だ。玄関先の。波の頂点の。母がドアの内側で聞いてた、獣の声。あれも——あれも、沈殿してたのか。当たり前だ。消したくても消えない記憶ってのは、消せてないんだから、どこかに積もってる。積もる場所は、決まってる。
白の中から、声は、続けた。俺の声で。あの頃の、全能の抑揚で。
——なんで、誰も助けてくれないんだ。
——なんで。
「————ノボ!! 呑まれる、下がれ!!」
Aの声で、我に返った。白の先端が、目の前まで来てた。飛び退く。一瞬遅れて、俺の立ってた岩が、白く掠れて、消えた。
膝が、笑ってた。
戦えない。あの声と、戦えない。剣で斬る? 何を? 助けてくれと言ってる過去の俺をか?
布陣が、崩れ始めた。
夜明け前の、一番暗い時間が、来てた。
——そのときだった。
白の海の、遥か向こう。奈落の下の方の闇に、光が、見えた。
一つじゃない。
点々と、連なった、松明の列。
列は、白の海を、割って——割って? 白を、割って、登ってくる。先頭の光の下に、金色が、揺れた。
見間違えようが、なかった。
「————ヴェラ!?」
先輩冒険者Aのメモ
※短いぞ。──夜明け前ってのはな、一番暗いんじゃねえ。一番、援軍の火が見える時刻なんだよ。




