第63話「あんたは隣に居続ける」
俺たちは、広場の隅に、天幕を一つ張った。
看板は、一枚。
【はなしを聞く所。無料。印のことは、聞かれない】
それだけだ。講習じゃない。診療でもない。掠れが怖い奴、消えた家族の話をしたい奴、誰にも言えない夜の話がある奴——来たら、座る場所と、白湯と、聞く耳がある。以上。
最初の三日は、誰も来なかった。
四日目に、リタと母親が来た。交換日記を見せに。五日目、その母親が、友人を連れてきた。六日目、その友人が、隣人を。
十日目には、天幕の前に、列ができてた。
聞く係は、交代制にした。ガルドは意外なほど聞き上手だった(「うむ」「であるか」「よう頑張ったな」の三語で人を三十分喋らせる)。ヴァーノは喋らせ上手だった(軽口で場を緩めてから、すっと引く)。俺は——俺は、まだ下手だった。直したくなる癖が、抜けない。それでも、座り続けた。
一番向いてたのが誰かは、次の話でする。
◇
天幕が二十日を数えた夜、来客があった。
仕立てのいい旅装。彫ってあるみたいな笑顔。
「——ご盛況ですねえ、先生」
サルヴァだった。
天幕には、俺一人だった。狙って来たんだろう。この男は、そういう精度で生きてる。
「妙な商売を始められた。無料で、話を聞く。……いやあ、参りますよ。うちの信者が、ずいぶん、そちらの列に並んでいるようで」
「商売じゃない」
「ええ、ええ、存じてますとも。だから、怖い」
サルヴァは、客用の椅子に、勝手に座った。
「先生。単刀直入に伺いましょう。——なぜ、私を暴かない?」
「————」
「上位印の原価。発症率の記録。私の口約束の数々。あなたなら、全部並べて、私をこの街から追える材料をお持ちだ。二十日もあれば揃えられたはず。なのに、あなたの天幕は、私の『さ』の字も出さない。印を外せとも言わない。……気味が悪いんですよ、それが」
「暴けば、あんたが勝つからだ」
俺は、白湯を一杯、男の前に置いた。
「あんたを悪党として吊るせば、信者は印を握りしめて、あんたを守る壁になる。ラドの奥さんが、俺にそう教えてくれた。……数字であんたに勝てないことは、去年、学んだ。だから土俵を変えた。あんたの商品と、同じ棚に、別の商品を置いただけだ。——値段は、こっちの方が安い」
「無料、ですからねえ」サルヴァは、笑った。「ですが先生、無料は続かない。あなたはいずれこの街を発つ。最終区画へ、地上へ。天幕は畳まれる。——そのとき、あの列の人々は、どこへ行くと思います? ……私の所ですよ。私は、居ますから。ずっと、ここに。あなたと違って」
勝ち筋を確信してる声だった。
そして、事実、その通りなんだ。俺は去る。この男は残る。時間はいつも、残る側の味方をする——
いや。
違う。
俺は、この二十日、ずっと喉に引っかかってたものが、今の男の言葉で、すとんと形になるのを感じた。
「……サルヴァ。あんた、今、自分で言ったな。『私は居ますから。ずっと』——」
俺は、白湯を一口、飲んだ。
「——あんたは、隣に居続ける。本物は、去る」
サルヴァの笑顔が、初めて、動きを止めた。
「俺の知ってる本物は、みんな去った。去ることで、俺に、俺の足を使わせた。……あんたは、去らない。客の足が自分の体重を思い出せなくなるまで、隣で支え続ける。——救いじゃない。永久に切れない、松葉杖だ」
「————」
「天幕はな、サルヴァ。畳むために張ったんだ。俺が去ったあと、あの列が行くのは、あんたの所じゃない。——お互いの所だ。……あんたの商売の急所は、俺じゃない。客同士が、繋がることだ」
長い、長い沈黙のあと。
サルヴァは、立ち上がった。
笑顔は、もう、彫り物に戻ってた。ただ、その目だけが、初めて、笑ってなかった。
「……先生。一つだけ、忠告を差し上げましょう」
天幕の出口で、男は振り返った。
「去る者は、美しい。ええ、実に。——ですがね。去られる側の夜を、あなたはまだ、勘定に入れていない。……いずれ知りますよ。あなたの周りの『本物』たちが、あなたに何を残して去ったのか。そして——あなた自身が去るとき、何を残すのか」
男は、夜の街に消えた。
翌週、サルヴァは店を畳んで、東の別の街へ移ったと聞いた。
勝った、とは思わなかった。あの男は、渇いた人間のいる場所なら、どこでも商売ができる。倒したんじゃない。この街の水位が、少しだけ上がって、あの男の商売に合わなくなった——それだけだ。
それだけで、いい。定石の壁の一枚目に、俺はそう書き足した。
——救いを売る男の攻略:討伐、不能。対策、隣。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。切れない松葉杖を売る奴の見分け方、教えてやる。──「私がいないと駄目」って空気を出す奴だ。本物は、お前が一人で歩いた日に、一番喜ぶ。




