第62話「隣に座る」
娘は、十二歳だった。名を、リタといった。
書には、掠れが三箇所。初期も初期だ。進行は遅い。観測と、身体の技の反復と、仲間との記録の共有——打てる手は、全部ある。俺の頭の中で、対策表は三十秒で組み上がった。
組み上がった表を、俺は、一旦、しまった。
そして、リタの隣に、座った。
「……掠れ、怖いか」
リタは、母親の袖を掴んだまま、こくりと頷いた。
「そうか。怖いよな」
それから俺は、しばらく、何も言わなかった。ただ、隣に座ってた。座り方は、この半年で、少しは覚えた。岬から俺を引き戻した手や、峠で先に行ってくれた足音や、薪割りの音に、教わった。
先に口を開いたのは、リタだった。
「……せんせいも、消えたって、ほんと?」
「ああ。二回な」
「……こわかった?」
「怖かった」
正直に言った。強がりは、この子の役に立たない。
「一回目は、膝が落ちた。立てなくなった。……でもな、リタ。俺は今、ここにいる。消えて、戻って、飯を食って、ここに座ってる。——それだけは、作り話じゃない。触って確かめてもいいぞ」
リタは、少し笑って、俺の袖を、ちょん、と触った。生きててあったかいのを、確かめるみたいに。
「……ほんとだ」
「だろ」
それから俺は、対策の話をした。三十秒の表を、一時間かけて、リタの言葉で。観測は「掠れの見張り番ごっこ」に、技の反復は「体に書く練習」に、記録の共有は「お母さんの書と、交換日記」に、翻訳して。
帰り際、母親が、玄関で深く頭を下げた。
「……あの。印のこと、本当に、何も仰らないんですね」
「ああ」
「なぜ、ですか。あなたは、効かないと、証明までしたのに」
俺は、少し考えて、答えた。
「——あんたが崖から飛んで、俺に頭を下げた夜に、印まで取り上げたら、あんたの手には何も残らない。……順番だ。先に、別の掴まる場所を増やす。印を手放すかどうかは、その後で、あんたとリタが決めることだ」
母親は、長いこと黙って、それから、小さい声で言った。
「……サルヴァ様は、話を聞いてくださったんです。誰も聞いてくれなかった夜に、あの方だけが」
「ああ」
「あなたたちは……正しいことを言う人たちは、直そうと、してくれただけだった」
聞いてくれた男と、直そうとした男たち。
女はその二つを、正確に、言い分けた。俺は、その言葉を、書に刻むために、何度も頭の中で復唱しながら帰った。敵の強さの正体と、俺の負けの正体が、一つの文の中に、両方入ってた。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。「聞く」と「直す」は別の仕事だ。──で、たいてい先にやるべきなのは、報酬の出ない方だ。




