第61話「上位印」
西から中継街に戻ると、街の空気が、変わってた。
胸元の聖印が、増えてた。それも、前より大きく、前より飾りの多いやつが。
「〈上位印〉ってんだとよ」
食堂の爺さんが、苦い顔で教えてくれた。
「普通の印じゃ防ぎきれん場合がある、上位の加護なら万全だ——つって、銀貨三枚の印の上に、金貨一枚の印を売り始めた。買い替えた奴が、もう何十人もおる」
「……発症は」
「止まっとらんよ。当たり前じゃ。——で、な。ここからが胸糞でな」
爺さんは、声を落とした。
「発症した信者が、どうなると思う。『印が効かなかった』とは、ならんのだ。『信心が足りなかった』——そうなる。周りもそう言うし、何より、本人が一番、自分をそう責める」
効かなかった、なら商品の欠陥だ。信心が足りない、なら客の欠陥だ。あの男の商売は、失敗すら客に背負わせる作りになってる。完璧だった。反吐が出るほど。
「……先生よ。あんたの相手じゃ、正直、荷が重いかもしれん。あれは魔獣じゃない。魔獣なら、儂も定石を知っとるが」
◇
その夜、宿の前に、女が立ってた。
見覚えがあった。広場で、俺に「それでも人間か」と叫んだ女だ。ラドという連れ合いを亡くした——胸元に、聖印。その上に、真新しい上位印。
女は、俺を見て、何度か口を開きかけて、閉じて、それから、絞り出した。
「……娘の書に、掠れが、出たんです」
「————」
「印は、着けさせてました。ずっと。上位のも、買いました。なのに出て……サルヴァ様は、仰いました。『お母さんの祈りが、まだ足りないのかもしれませんね』って。だから私、毎晩祈って、でも掠れは増えて、私の祈りが足りないから、私のせいで、あの子まで——」
女の声が、崩れた。
「——助けて、ください」
俺に「人間か」と叫んだ女が、俺に、頭を下げてた。それがどれだけの崖から飛んだ行為か、考えるだけで、胸が軋んだ。
俺は、口を開きかけた。数字が、喉まで出かかってた。印に効果はない、祈りは関係ない、観測と対策を——
閉じた。
その道は、一度、負けた道だ。
「……明日の朝、娘さんのところに、行っていいか」
「え……は、はい」
「観測の道具は、持っていく。ただ、先に約束する。——俺は、印を外せとは、言わない」
女が、顔を上げた。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。人の縋ってるものを、正しさで叩き折るな。──折った瞬間、その手は二度と、お前の方に伸びてこねえ。




