幕間「ミナ」
西への旅路の、三日目だった。
雨上がりの谷で、悲鳴を聞いた。
斑蜘蛛の谷だ。ヴェラの壁で読んだ定石の場所——巣の糸は、雨の後にだけ濡れて鳴らない。つまり今だけが、通れる時間で。
その谷底で、五人のパーティが、糸に絡まってた。
乾いた時間に、突っ込んだらしい。振動で起きた斑蜘蛛の群れが、岩肌を、ざわざわと降り始めてる。
「行くぞ! 雨の定石が生きてる間に——」
言いかけて、俺は、隣のミナが、石みたいに固まってるのに気づいた。
目線の先。谷底の五人の、その装備の紋章を、彼女は見てた。
「————ミナ?」
「…………私の」
袖を、掴んでた。何ヶ月ぶりかに見る、あの癖で。
「私の、元の、パーティです」
◇
救出は、成立した。
濡れた糸の道を俺とガルドが拓き、ヴァーノの光が蜘蛛の目を潰し、ミナの守りが五人を包んで、引き上げた。全員、生きてた。呪印と、消耗と、軽い怪我。
そして、引き上げた五人のリーダー格——顎鬚の大男は、ミナを見るなり、こう言った。
「————は。ミナじゃねえか。生きてたのか」
礼の、前に。
「ちょうどいい、おい、治せ。全員だ。……相変わらずトロい面してんな。言っとくが今度は遅れるなよ。ゲルダの脚が駄目になったのは、お前の回復が遅かったせいなんだからな」
空気が、凍った。
ガルドの拳が鳴った。ヴァーノの口が開いた。俺は——二人を、手で制した。
これは、俺たちの戦場じゃない。
ミナは、俯いてた。袖を、掴んで。ああ、そうか。これか。これだったのか。手柄を他人の名前で書く子は、失敗を自分の名前で書かされ続けた子だったのか。誰かの脚の責任を、たぶん濡れ衣ごと、背負わされて——自分の名前は、罰の置き場だと教え込まれて。
ミナは、俯いたまま、五人の前に、進み出た。
そして、治した。
全員を。順番に。丁寧に。過去最高に、静かな光で。
終わってから、彼女は、顔を上げた。
「————ゲルダさんの脚のこと、ずっと考えてました」
声は、震えてなかった。
「あの日の私の回復は、遅くなかったです。手順も、量も、順番も、間違ってません。何百回も、思い返しました。書にも、全部書いて、検証しました。……遅かったのは、回復じゃなくて、あなたたちが私を呼んだタイミングです。自分の書を、読み返してみてください。あの日、あなたが『回復はまだいい』って二回言ったこと、あなたの書には載ってないんですか」
顎鬚の顔色が、変わった。
「な——おい、お前、誰に向かって」
「治療は、終わりました」
ミナは、頭を下げた。深々と。完璧な礼だった。
「お世話になりました。——さようなら」
それから彼女は、俺たちの方へ歩いてきて、俺の横を通り過ぎるとき、小さい声で言った。
「……行きましょう。西へ」
袖は、もう、掴んでなかった。
◇
その夜の野営で、ミナは自分の書を開いて、長いこと、何かを書いてた。
覗かなかった。覗かなかったが、翌朝、彼女は自分から見せてきた。
——本日の記録
——・五人、治した。私が。
——・私の回復は、遅くない。
——・さようなら、が言えた。
「……変ですか? 最後の行」
「いや」
俺は、首を振った。
「——一番でかい戦果だ」
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。昔お前に濡れ衣を着せた奴の声、まだ頭ん中で再生されてるだろ。──あれな、検証していいんだぞ。お前の書で。




