第55話「全部の俺へ」
最後にもう一度だけ、岬に立つ、と決めた。
今度は独りじゃない。四人と、番人が一人。ミナが「見張ります」と言って聞かなかった。ガルドは「引きずり戻す係だ」と拳を鳴らし、ヴァーノは「時間計るわ。一刻で終了な」と砂時計まで用意した。過保護か。……いや。これが、預けるってことか。
問いは、五日かけて、磨いてきた。
最強の俺を見た。沈んだ俺を見た。無数の分岐を見た。それで分かったのは、どの俺が正解か、じゃない。そんなものは、なかった。
聞くべきことは、逆だ。
「——全部の俺に、共通してたものを、見せろ」
霧が、これまでで一番、大きく動いた。
◇
景色が、来た。一つじゃない。何十、何百の泡が、同時に。
完全攻略者の、固有名詞のない書。
沈んだ男の、百円のノート。
腕のないガルドの世界の俺が、酒場の隅で、樽の底に書いてた、へたくそな文字。
ヴェラと最悪の別れ方をした俺が、破って、破って、それでも次の朝、新しい紙に書いてた、震えた行。
役所を素通りし続けた俺の、スマホのメモ帳の、誰にも見せない下書き。
最下層で黒犬に追われて、脚をやられて、洞穴で動けなくなった俺が——薄れる意識で、岩壁に、石で刻んでた、途切れた線。
全部の泡の中で。
全部の俺が。
書いてた。
◇
強い俺も、弱い俺も、賢い俺も、間に合わなかった俺も。書の形も、紙の質も、字の巧さも、全部バラバラで。内容も、噓だらけのやつも、白紙同然のやつも、たった一行のやつもあって。
それでも、書くことだけは、どの道の俺も、やめてなかった。
たすけて、の一行ですら——あれは、書いたんだ。あの男は。誰にも届かない部屋で、届かないと知ってて、それでも、ノートを買って、開いて、書いた。最後の最後まで、あいつの中の何かが、記録することを、降りなかった。
「————ぁ」
喉から、変な音が出た。
膝は、今度は、ついてなかった。立ってた。立ったまま——目から、落ちてた。
ぼた、ぼた、と。岬の岩に、音を立てて。
白紙の朝の、あれは——貰った涙だった。ミナの一行に、貰った。今日のは、違う。これは、こっちから出て行く涙だった。霧の向こうの、届かない全部の俺に向かって、胸の奥の、ずっと軋んでた場所が、決壊して、流れ出て行く——
「おい……大将、」
「わかってる」
声が、ぐしゃぐしゃだった。構うか。
「わかってる。干渉できない。届かない。知ってる。——それでもだ」
俺は、書を出した。
岬の突端で、霧の海に向かって、開いた。
届かないなら、せめて、こっちの道の記録に、残す。全部の俺の代わりに、届いた側の俺が、書く。それしか、できることを知らない。それが、できることの、全部だ。
——見た。全部の俺が、書いてた。
——強いのも、沈んだのも、間に合わなかったのも、全員だ。
——お前らの一行は、無駄じゃなかった。俺が読んだ。ここで、確かに、読んだ。
——書ける奴なら、他にもいるのかもしれない。もっと強いのも、賢いのも、霧の向こうに山ほど見た。だが、この道の、この続きを書けるのは——この道を歩いてきた俺だけだ。だから、俺が書く。代打は、いない。
——だから俺は、この道で、最後まで書く。
——全部の俺へ。……生きるのに、本気だったな。俺たちは。
書き終えて、顔を上げた。
霧の海は、何も応えなかった。泡は、浮かんでは、消えてた。それでよかった。応えなんて、最初から要らなかった。これは独参じゃない。点呼だ。
ただ——気のせいだと思うが。
一番遠くの泡の中で、六畳の男が、一瞬、ノートから顔を上げた——ような気が、した。
◇
帰り道、Aが、隣に並んだ。
フードの奥から、前を見たまま、あの男は言った。
「……『全部の俺へ』、か。————宛先、壮大すぎんだろw 世界線の郵便屋が過労死するわ」
「聞いてたのか。趣味が悪いな」
「番人だからなw ……なあ、ノボ。一個だけ、教えといてやる」
Aの声は、静かだった。
「お前が今日書いた宛先——『全部の俺』の中にはな。
……俺も、入ってんだぞ」
俺は、足を止めた。
Aは、止まらなかった。薄くなった右手を、ひらひらと振って、先を歩いて行った。
その背中が、今日は、少しだけ——濃く見えた。
ーーーーぼうけんのしょーーーー
本日の記録
・岬、最終日
・全部の俺が、書いてた
・宛先に、Aも入ってた
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先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。……今日は、俺からは何もねえわ。
お前の書に、お前が書け。宛先は——分かんだろ、もう。




