第54話「岬の毒」
三日目も、俺は岬に立った。
四日目も、立った。
見たのは、無数の道だ。役所のドアを四回目も素通りした俺。ヴェラを怒鳴って引き留めた俺——最悪だった。あの道のヴェラの顔は、思い出したくない。二十七通を、開けないまま燃やした俺。ヴァーノの書を、拾わなかった俺。最下層で、走って出口を探して、黒犬に——
見れば見るほど、分かってくることが、あった。
分岐は、派手な場所にないんだ。
運命の大一番、みたいな場面で道は割れてない。割れてるのは、いつも、クソみたいに小さい場所だった。列が伸びたか、伸びなかったか。ドアの前を、三回で入ったか、四回素通りしたか。一行、書いたか、書かなかったか。缶に、指が触れたか、触れる前に何かが挟まったか。
俺という現象は、その小さい分岐の集積で、今の形をしてる。誇れる話じゃない。俺が選んだというより、選ばされた偶然も、山ほど混ざってる。
だから俺は、五日目も、岬に立った。全部の分岐を、特定したかった。俺を俺にした偶然と選択の、完全な一覧表を——
「——ノボさん!!」
肩を、掴まれた。
振り向くと、ミナがいた。ミナの顔が、真っ青だった。
「な、んだ。どうし——」
「どうした、じゃ、ないです!!」
初めて聞く、ミナの怒鳴り声だった。
「五日ですよ!? 宿に、ほとんど帰ってきてない! 帰ってきても、飯を三口で、目がずっと、こっちにいない! ガルドさんが呼んでも、ヴァーノさんが呼んでも、生返事で! それで——」
ミナは、俺の右手を、掴んで、持ち上げた。
「——これ、いつからですか」
手の甲が。
白かった。
小指の付け根から、一筋——皮膚が、書のページの端みたいに、掠れてた。
Aの手と、同じ欠け方で。
「…………」
「Aさんが、言ってました。他人の道を見続けると、自分の道が薄くなる、って。ノボさん、それを聞いてたのに——なんで!」
なんで。
答えは、簡単だった。簡単すぎて、口に出すのが、恥ずかしいくらいだ。
止まらなかったんだ。
他の道の俺を見るのは、苦しくて——苦しいのに、視線が剥がせなかった。沈んだ俺。独りの俺。最悪のヴェラの顔。見るたびに、胸の奥が抉れて、抉れることが、どこかで——罰みたいで、正しい気がしてた。
泉だ。
これは、泉と同じ構造だ。岬は、過去への渇きを配ってる。見れば見るほど、渇く。渇くほど、見る。イヴォの束を読んだ俺が、知って近づいて、五日で、手の甲まで浸かってた。
「……すまん」
「謝る相手が、違います」
ミナは、俺の手を離さないまま、言った。
「私たちにじゃなくて——薄くなった、ノボさん自身に、謝ってください」
◇
あとで知ったが、あの日の突入は、ミナの独断じゃなかった。
ガルドが「五日目なら、儂が担いででも連れ戻す」と期限を切り、ヴァーノが「いや、先鋒はミナだ。大将、ミナの言葉だけは無視できねえもん」と順番を組んで、ミナが志願した。作戦だったんだ、あれは。俺を攻略する作戦。……俺の隊は、いつの間にか、俺の攻略法まで定石化してた。
ついでに書いておく。その週、ギルドの最上層支部から、妙に俺向きの軽い依頼が二件、名指しで回ってきてた。日帰りの、飯付きの、断りにくいやつが。差出人の欄は、空白だった。……誰の采配かは、考えないことにした。
その夜、俺は岬に行かなかった。
宿の卓で、五日ぶりに、飯を全部食った。ガルドが黙って粥をよそい直し、ヴァーノが「おかえり」とだけ言った。どこにも行ってないのに、おかえり、が正しく聞こえた。
寝る前、書を開いて、五日分をまとめて書いた。最後に、一行。
——岬の定石:問いは一つまで。答えを見たら、帰る。
——俺の道は、俺の足元にしかない。
書きながら、気づいた。手の甲の白い筋が、消えては、いなかった。
Aの手首を、思い出した。
あの男は、いったい、何年——誰の道を、見続けてきたんだろうな。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。「あの時ああしてれば」は、一日一回まで。──過去ってのは見物料に「今日」を取ってくる。払いすぎるな。




