第51話「完全攻略者(前)」
霧が割れて、一本の道が、視界いっぱいに広がった。
そこにいたのは、俺だった。
俺で——俺じゃなかった。
◇
その男は、最下層で目覚めた朝、リグを助けなかった。
正確に言おう。助けると「効率が落ちる」と判断した。黒犬の群れに追われる男を、岩陰から観測し、黒犬の習性のデータだけを取って、見送った。悲鳴が消えたあと、男は書に書いた。——黒犬、群れの追撃パターン、確認。
その男は、ガルドと組まなかった。洞鬼に挑む大男を止めもせず、洞鬼の三撃のデータだけ取って、先へ進んだ。
ヴァーノと会わなかった。ミナを拾わなかった。ヴェラとは一度だけ共闘して、「単独の方が速い」と判断して、別れた。
そして——速かった。
圧倒的に、速かった。
最下層から大階段まで、俺たちの半分の日数。針の回廊、単独で三刻。風哭きの大空洞、術者なしで、風の呼吸だけを読んで、独りで渡り切った。無傷。全部、無傷。
戦闘は、芸術だった。認めるしかない。パーティの連携に割く思考を、全部、自分の一手に注げる男の動きだ。半歩の管理はヴェラより精密で、見切りはガルドより深く、地形の読みはヴァーノの知識を必要としなかった。
書は、俺のより、分厚かった。
定石の精度は、俺のより、高かった。
白紙病の予兆観測は、俺のより、三日早かった。消失のダメージは、俺のより、浅かった。——預ける仲間がいない代わりに、あの男は、書の写しを自分で七箇所に分散して隠してた。完璧だ。人間を信用しない分散保存。俺の仕組みの、上位互換。
景色は、あの男の栄光も、見せた。
単独で高難度の魔獣を落とすたび、街がざわめく。酒場で武勇が語られる。だが語ってるのは、いつも他人だ。当の男は酒場の隅で独り、記録の整理をしてて、その騒ぎが自分の話だと気づいてるのかどうかすら、顔から読めない。若いのが弟子入りを志願して、男は三秒で断った。「教える時間で、三体狩れる」。正しい。ぞっとするほど、正しい。
一度だけ——男が、酒場の喧騒の方を、長く見てた夜があった。
何かを計算してる目だと、思った。違った。あれは、計算の「振り」だ。振りをしたまま、男は視線を書に戻した。戻すのに、三秒かかった。……たった三秒。その三秒が、あの完璧な男の、二年分の何かだった気がして、俺は目を逸らした。
「……なんだよ、これ」
隣で、ヴァーノが、掠れた声で言った。
「大将の……大将より、強い、大将じゃんか」
そうだ。
これが、答えだ。俺が「一番強くなった道」。誰も助けず、誰にも預けず、誰のためにも足を止めなかった俺。
最強の、俺。
霧の中の男は、今、最上層の門の前に立ってた。俺たちより、二年も早く。
門が、問う。あの問いを。
——汝、何を残したか。
男は、手を当てた。
壁は——
水に、なった。
男は、通った。何の抵抗もなく。
「……は?」俺の声だった。「通った? あいつが? 何も残してないのに——」
「いいや、残しとるぞ」
ガルドの声が、低かった。
「——記録を、な。あやつの書を見ろ。あれ自体が、奈落最高の攻略記録だ。あれが後世に渡れば、何百人が助かる。……門は、噓を言うとらん」
汝、何を残したか。
最高の記録を。誰のためでもなく、結果として。
俺は、通れなかった門を、あの男は通った。
膝の下で、地面が、少しだけ、薄くなった気がした。
先輩冒険者Aのメモ
(続く。明日まで判断は保留しとけ)




