第48話「おい、どう思う?」(第2部・最終話)
Aが、フードに手をかけた。
俺は——たぶん、もう、分かってた。
歩幅。癖。退路の確保。火の組み方。俺の声で話す黒獣を「消えない」と言い切った夜。二回目は楽だ、と言った朝。数えるのをやめた、という消失の回数。手の甲の、あの白い欠け。
材料は、全部、揃ってた。揃えたのは、たぶん、こいつ自身だ。少しずつ、俺が受け止められる速度で、一枚ずつ、配ってきた。
だから、フードが落ちた瞬間、俺は驚かなかった。
驚けなかった、が正しい。
俺の顔が、そこにあった。
◇
歳は、上だ。十か、十五か。目尻に皺があって、無精髭があって、こめかみに古い傷跡があった。でも、骨格も、目の形も、笑うと右の口角だけ先に上がる癖も——鏡で、毎日見てきたものだった。
「……よう」
俺の顔が、俺の声の、少し掠れた版で、言った。
「先輩冒険者、A。——本名は、まあ、お前と同じだ」
「————未来の、俺か」
「ん。まあ、半分正解」
Aは——いや、こう呼ぶのももう変だが——扉の前の岩に、腰を下ろした。
「察しはついてたろ。いつから?」
「……確信はさっきだ。疑いだけなら、黒獣の夜から」
「早えなw 俺のときより、二話……いや、二山くらい早い」
俺のとき。
その言い方の意味を、掴みかける前に、俺の口は、一番手前の結論に飛びついてた。
「——待て。あんたが未来の俺なら」
胸の中で、何かが、勝手に軽くなっていくのが分かった。
「俺は、生き延びるってことか。この先、何があっても。白紙病も、奈落も、越えて——あんたになる。結末は、保証されてる。だったら——」
「————その考え方が」
声が、変わった。
「——一番、危ねえんだよ」
Aは立ち上がって、俺の目の前に来た。同じ高さの目が、俺を射抜いた。
「いいか、一回しか言わねえ。俺は、お前の確定した未来じゃねえ。……無数にあるうちの、一本だ」
「無数——」
「お前が明日、酒の棚で手を止めなかった世界線の俺もいる。役所のドアを、四回目も素通りした俺もいる。ヴェラを怒鳴って引き留めて、もっと酷い形で失った俺もいる。……そして」
Aは、自分の右手の袖を、まくった。
手の甲の白い欠けは——手首まで、届いてた。皮膚が、書のページみたいに、掠れて、透けてた。透けた向こうに、焚き火の光が、見えた。
「——俺はな、ノボ。お前が選ぶたびに、濃くなったり、薄くなったりする。お前が俺の通った道を選べば、俺は濃くなる。別の道を選べば——俺は、消える」
「……消える」
「そ。んで、ここが笑うとこなんだが」
Aは、欠けた手の甲を眺めて、本当に、少し笑った。
「俺はここんとこ、ずっと薄くなってんだ。……お前がな、俺の知らねえ手を、打ち始めたからだよ。俺は、二十七通の封筒を、開けなかった。俺は、余白の男を、見捨てた。俺は——縁石で炭酸水なんて、飲まなかった」
風が、扉の隙間から、鳴った。
「お前は、俺より早い。俺より正直だ。だからお前はたぶん、俺じゃない何かになる。……それでいい。それが、いい。俺はそのために、来たんだ」
◇
「……一つ、聞かせろ」
「ん」
「あんたは——なんで、答えを教えなかった。最初から全部知ってたなら、定石も、罠も、ヴェラのことも、先回りして渡せたはずだ。なんで、質問ばっかり——」
言いかけて。
止まった。
昨日の夜の、自分の声が、耳の奥で再生されたからだ。
——何も、言わない。言っても、聞かない。順番は、飛ばせない。
Aは、俺の顔に答えが浮かぶのを、黙って見てた。
「……そういう、ことか」
「そういうことだw」
「あんたの質問は、全部——」
「ああ。——地獄にいた頃の俺が、誰かに聞いてほしかった質問だ。全部な」
ここはどこだと思う? お前はどう思う? 何が欲しい? 嬉しいか? 昔の自分に、何て言う?
誰も、聞いてくれなかった。答えを押し付ける奴と、心配の形で命令する奴と、見て見ぬふりをする奴はいた。ただ、問うて、答えを待ってくれる奴だけが——いなかった。
だからこの男は、過去の自分の隣に座って、一つずつ、聞いて回ってたんだ。答えを、渡さずに。答えが、あいつの中で育つのを、何ヶ月でも、待ちながら。
「……なあ、ノボ」
Aは、扉に手をかけた。
「この先で、お前は選ぶことになる。どっちの朝で目を覚ますか——って選択を、いつか、一回だけ、本気でやる日が来る。俺が消えるか、濃くなるかも、たぶんそこで決まる。……先に言っとくが、俺はどっちでもいい。消える側の未来ってのはな、意外と、悪い気分じゃねえんだ。俺の知らねえ道を行くお前を見るのは——」
言葉を、探して。
見つからなかったらしく、Aは、いつものやつで締めた。
「——まあ、いいわ。行くぞ」
扉が、開いた。
光が、溢れた。最上層の、白い光が。
その光の中に一歩踏み出す前に、Aは、振り返った。
「そうだ。最後に、恒例のやつな」
フードを、もう被らずに。
俺の顔で、俺の未来で、俺の消えるかもしれない一本の道で——あの男は、笑った。
「ここまでの全部——お前の底も、書も、消えた夜も、飲まなかった夜も、引き留められなかった朝も、全部ひっくるめてよ。
——おい、どう思う?w」
俺は、答えなかった。
答えの代わりに、一歩、光の中に踏み出した。それが答えだと、こいつには通じる。こいつは、俺だからだ。
——ああ、それと。
光をくぐる寸前、Aが、妙な方を向いた気がした。
俺じゃない方。焚き火でも、扉でもない方。誰もいないはずの——強いて言うなら、この記録を、ページのこっち側から覗き込んでる、誰かの方を。
あの男は、フードのない顔で、にっと笑った。
「……お前も、だぞ。
そこの、お前。今、これを読んでる、お前だよ。
ずっと読んでたんだろ、こいつの書。最初のページから、ずっとな。……なら、もう他人じゃねえわな。
——おい。どう思う?w」
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。今日のは、メモじゃなくて、本文の続きだ。もう一回だけ言うぞ。
——おい、どう思う?
答えは書に書け。お前のに。
(第2部 了。第3部「世界線編」に続く)




