第46話「上層の門」
門の開放日が、来た。
出発の朝、食堂で、爺さんが弁当を持たせてくれた。セレナは、いつも通り、薪を割ってた。
「行くのか」
「ああ」
「ん。いってらっしゃい」
それだけだった。武運を祈るでも、気をつけてでもなく、いってらっしゃい。買い物にでも行くみたいな声で。なのにその一言が、妙に、装備の一つみたいに、背中に残った。
◇
最上層への門は、岩でも、鉄でもなかった。
光の壁、としか言いようのないものが、通路の幅いっぱいに立ってた。表面に、文字が流れてる。定石の壁の文字と、同じ書体の。
俺たちの前に並んでた隊が、一人ずつ、壁に手を当てていく。
壁が、問う。声じゃない。手を当てた者の頭の中に、直接。
——汝、何を残したか。
通る者は、壁が水になったみたいに、すっと抜ける。通れない者は——弾かれる。派手にじゃない。壁が、ただの壁になる。それだけだ。弾かれた冒険者が、うつむいて列を離れていった。その中には、金牌の男もいた。——門は、牌を見ない。
「討伐数でも、階層でもない」ヴァーノが、緊張の声で言った。「『残したか』……何をだ?」
「知らん。が、盛っても無駄だろうな。あの壁、書と同じ材質に見える」
「うっ」
ガルドの番が来た。大男は壁の前で仁王立ちして、手を、当てた。
一拍。
壁が、水になった。
「——通ったぞ!」向こう側で、ガルドが吠えた。「何を聞かれたかは、分からん! だが儂の中の何かが、勝手に答えたわ!」
答えは、たぶん、見切りだ。根性しか知らなかった男が、根性の使いどころを変えた——その変化の分だけ、壁は水になる。俺は、そう読んだ。
ヴァーノが通った。三節の一行と、その後の全部で。
ミナが通った。手柄を、自分の名前で書けるようになった分で。
俺の番だった。
手を、当てた。
——汝、何を残したか。
来た。頭の中に、直接。俺は、答えを用意してた。定石。講習。回復所。事前対策の成功例。分散保存の仕組み。俺が残したものなら、書に几帳面に——
壁は、水にならなかった。
「————」
もう一度、当てた。
——汝、何を残したか。
定石の壁への追記。白紙病の観測記録。街の——
壁は、壁のままだった。
三人が、向こう側から、こっちを見てた。誰も、何も言えずに。
そして、三度目に手を当てたとき——問いの続きが、来た。今までの誰にも、続きは来てなかった。俺にだけ、壁は、こう言った。
——汝は、多くを変えた。
——汝以外の、全てを。
手が、壁から、滑り落ちた。
汝以外の、全てを。
ガルドを変えた。ヴァーノを変えた。ミナを変えた。街を変えた。定石を残し、仕組みを残し、生還者を残した。
俺は。
俺だけが——最下層で目覚めたあの朝から、何一つ、変わってないと。
この壁は、そう言ってるのか。
立ち尽くす俺の、頭の中で——何かが、小さく、音を立てた。
ひび、だと思う。
俺という殻に入った、ひびの音だ。俺はずっと、自分の外側を攻略してきた。岩も、魔獣も、病も、街も——全部、殻の外の課題だった。外の課題なら、俺は負けない。だが門は、外を見なかった。門が指したのは、殻そのもの。俺が「俺」と呼んで、一度も検証台に載せなかった、この輪郭だ。
世界で一番近くて、一番手つかずの、最後のダンジョン。
……ひびの入った殻ってのはな。
割れるまで、ずっと、痛いんだよ。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。他人の世話で埋まる日々ってのは、居心地がいいんだ。──自分の宿題が、見えなくなるからな。




