第41話「見覚えのない一行」
現実の再建は、地味に、回り始めた。
朝——昼に近い朝だが——カーテンを開ける。開けられない日は、隙間だけ広げる。それも書く。
記録をつける。ノートを一冊、買った。百円のやつだ。書くことは、あっちと同じ様式にした。本日の記録。箇条書き。二、三行。
——カーテン、開けた。
——封筒、二通処理。
——洗い物、半分。
我ながら、ダメの見本市だ。でも、この見本市の陳列方法を、俺は最下層で確立済みだ。ダメを並べて、毎日一個ずつ売り切る。それしか知らないし、それでいい。
日雇いの仕事にも、一件、行った。
倉庫の仕分け。身体は、まあ、動いた。奈落で岩を上げてた身体の記憶が、三割くらいは、こっちでも使えた。日当をもらって、帰りに、コンビニに寄って——
酒の棚の、前に立った。
今日は、列は伸びてなかった。
レジは空いてて、財布には日当が入ってて、遮るものは、何もなかった。
喉が、渇いた。
渇きは泉が配っている。知ってる。頭では、全部知ってる。イヴォの束も読んだ。知って飲めば違う、が最初の嘘だってことも、知ってる。
俺は、棚の一番安い缶に、手を伸ばして——
止めた。
理由は、格好いいものじゃない。棚のガラスに、自分の顔が映ったからだ。手を伸ばしてる男の顔が。その顔が——泉のほとりで、水をすくってた、あの連中と、同じ顔をしてたからだ。
カゴには、炭酸水を入れた。
店を出て、駐車場の縁石に座って、炭酸水を開けて、飲んだ。
うまくは、なかった。喉には、まだ渇きが残ってた。
目の前の駐車場で、買い物帰りらしい親子の、小さい方が、盛大に転んだ。泣くな、と思った。泣かなかった。子供は地面に両手をついたまま、なんでか、けらけら笑った。親も笑った。俺は炭酸水を持ったまま、その意味の分からない笑いを、しばらく見てた。
……いいもん見たな、と思った。理由は、ない。
飲みながら、俺は今日の分を、頭の中で下書きした。
——酒の棚、接敵。討伐せず、後退。損害なし。
討伐数、零。
これ以上の勝ちが、あるか。……あの男の声で、そう聞こえた気がした。
◇
その夜、奈落で、俺は書を開いた。
昼間の回復所の稼働記録を書こうとして——手が、止まった。
書に、一行、増えてた。
俺の筆跡で。
俺が、書いた覚えのない一行が。
——今日は、飲まなかった。
俺は、その一行を、長いこと見ていた。
ノボは、書いてない。断言できる。奈落に酒はないし、この文脈は、こっちの記録じゃない。これは——向こうの、縁石の男の、今日の分だ。
書は、繋がってる。
二冊に見えて、どこかで、一冊なんだ。向こうの一歩が、こっちの道を開けたように。向こうの「飲まなかった」が、こっちの書に、載る。
俺は、その一行の下に、続けて今日の分を書いた。
消さなかった。
一番、俺らしい戦果の行を、消す理由がなかった。
ーーーーぼうけんのしょーーーー
本日の記録
・今日は、飲まなかった
・回復所、稼働
・書は、二冊で一冊(重要)
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先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。今日のお前の一番地味な勝ち、あるだろ。──書け。載るから。ちゃんと、明日のお前に。




