第30話「黄金の鎧が砕けるとき」
風哭きの大空洞は、名前の通りだった。
岩の、馬鹿でかい聖堂——って言えばいいのか。天井の見えない大空洞のど真ん中を、風の断層が裂いてて、それが獣の哭き声みたいな音で鳴り続けてる。合同隊、総勢二十四名。断層を渡る術式の要に、ヴァーノ。
「では——頼みますぞ、宮廷魔術師殿!」
「任された!」
詠唱が、始まった。
一節。流れる。風が、ヴァーノの杖の先に集まり始める。
二節。完璧だ。二十四人の頭上に、風避けの膜が伸びていく。
三節。膜が、断層の半ばまで届いた。渡り始める先発隊。いいぞ。あと一節。
四節——
声が、引っかかった。
ほんの一音。夜の岩場で百回聞いた、あの引っかかり。
膜が、震えた。断層の風が、その震えを見逃さなかった。裂け目から突風が牙みたいに膜を割り、渡っていた先発隊が宙で煽られた。悲鳴。誰かが断層の縁に叩きつけられる。
「膜を維持しろ!! 三節でいい、三節の範囲まで畳め!!」
俺は叫びながら走った。
ガルドが断層の縁に滑り込んで、落ちかけた男の腕を、片手一本で掴んだ。「離さんぞ!! 儂の握力を信じよ!!」男ごと引き上げる膂力に、悲鳴まじりの歓声が上がる。
ヴェラは、もう風の中にいた。乱流の切れ目だけを半歩で踏んで断層の縁を走り、宙で煽られた二人目の襟首を掴んで、岩棚側へ投げ戻した。着地まで三秒。神業を、涼しい顔でやる。
ミナは、あたふたしてた。「え、えっと、重傷の方から、あ、でもあっちの方も、わ、わわ」——あたふたしながら、その両手からの回復の光だけは、空洞全体へ、一瞬も切れずに広がり続けてた。口は混乱してるのに、光は迷ってない。あれが、あの子の本体だ。
ヴァーノは——維持した。
三節の範囲を、歯を食いしばって、維持し続けた。それは称えられていい粘りだった。だが四節の約束で組んだ渡河計画は崩壊してて、俺たちは全員を退かせるだけで精一杯だった。
負傷者、七名。死者、ゼロ。
ゼロだったのは、奇跡と、ガルドの腕と、ヴェラの目と、ミナの光のおかげだった。
◇
撤収地点で、それは起きた。
「……どういうことか、説明していただこう。宮廷魔術師殿」
隊長たちが、ヴァーノを囲んでいた。
「四節詠唱と、伺っていたが」
「い、いや、あれは、風の断層の乱流が想定より」
「宮廷の風壁術は乱流にこそ強いのが売りのはず。……そもそも、だ。宮廷魔術師?」
一人の老魔術師が、進み出た。
「儂は若い頃、三年、王都におった。宮廷魔術師は代々十二名。顔と名は全員言える。——貴公の名は、その中にない」
風の哭き声だけが、鳴っていた。
「……宮廷魔術師? どこの?」
ヴァーノは、何か言おうと口を開けた。
いつもなら、ここから三倍の嘘が出てくる。宮廷の別枠だとか、極秘の任だとか、彼の口は、そういうときのために鍛え抜かれた口だった。
開いた口から、何も、出てこなかった。
負傷者の呻き声が、した。ヴァーノはそっちを見た。自分の膜が割れて、落ちかけて、今、腕を吊られてる男たちを。
口が、閉じた。
次の瞬間、ヴァーノは走り出していた。囲みを割って、装飾を鳴らして、伽藍の出口の闇へ。
「待て!」「逃げるか、詐欺師!」
俺は追わなかった。追えなかったんじゃない。先に、見つけてしまったからだ。
あいつの立ってた場所。
岩の上に、ぼうけんのしょが、落ちていた。
開いた、まま。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。今日と明日は、続き物だ。──逃げた奴の話を、最後まで見てから決めろ。




