第26話「攻略講義・白紙病編」
「——以上が、予兆の三段階だ。枠線の短縮。固有名詞の掠れ。書き味の変化。一つでも出たら、その日から対策を始めろ」
中継街の広場。俺の前に、五十人からの冒険者が座っていた。
白紙病の講習。言い出したのは俺じゃない。食堂の爺さんだ。「あんたの観測記録、儂の三十年より詳しい。——喋ってやってくれんか。この街は、あの病に怯えて生きとる」
だから、喋った。全部。出し惜しみなしで。
予兆の観測方法。進行の速度の測り方。そして、消えても残る三つのもの——身体が覚えた技術。作った仕組み。他人の書に書かれた自分。だから、対策はこの三つを太らせることだ。技は反復で身体に落とせ。仕組みは紙に書いて人と共有しろ。そして——
「——仲間と、いろ。お前の今日を、誰かの書に書いてもらえ。それが一番硬い保存先だ」
自分で言って、少しだけ、喉の奥が詰まった。ミナの書の一行を思い出したからだ。あの話は、しなかった。
◇
講習は、回を重ねた。
十日目、成果が出た。受講した若い斥候が、自分の書の枠線の短縮に気づき、講習通りに対策を組み、消失の朝を——仲間の書と身体の技術で、三日で乗り切った。
史上初の「事前対策の成功例」だった。
広場が沸いた。斥候は泣きながら俺の手を握って、「先生のおかげです、先生の」と何度も言った。後ろで母親らしき人が、深々と、頭を下げてた。
爺さんが、俺の肩を、何度も、何度も叩いた。
「ようやった。……ようやった、兄さん。儂は三十年、見送ることしかできんかった。あんたは初めて——止めたんじゃ」
皺だらけの掌の力が、痛いくらいだった。
誇っていい場面だ、と頭では分かってた。認められてる。感謝されてる。全部、事実として観測できてる。——観測できてるのに、胸の一番奥のあの場所は、今日も、しんとしてた。必死に受け取ろうとして、受け取り口が、見つからなかった。
だから俺は、外側から借りた。沸いてる広場の音を。ミナの跳ねる声を。ガルドの誇らしげな鼻息を。爺さんの掌の熱を。俺の嬉しさの形が分からない分、みんなの嬉しさを証拠として、書に写させてもらった。当面は、それでいい。それで、回る。……回してるうちに、いつか。
怯えていた街に、初めて「白紙病はどうにかなるかもしれない」という空気が流れた。
変化の兆しは、実はその数日前からあった。講習の席に、見慣れない御守りを胸に下げた受講者が、ぽつぽつ交ざり始めてた。聞けば「南から来た行商が」と言う。その時は、気に留めなかった。俺の敵は、病だと思ってたからだ。
——その帰り道だった。
「……素晴らしい講義でした」
声は、後ろから来た。
振り向くと、男が立っていた。仕立てのいい旅装。柔らかい物腰。歳は読めない。笑顔が、顔に最初から彫ってあるみたいに、綺麗に安定してた。
「予兆の観測、消えても残るもの。実に、実に誠実だ。……ですが、先生。一つだけ、あなたの講義には欠けているものがある」
「……何がだ」
男は、笑顔のまま、懐から小さな金属の印を取り出した。
鈍く光る、手のひらサイズの、聖なる何かの形。
「——希望ですよ。その病、完全に防げる御守りがあると言ったら?」
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。「完全に」って言葉が出てきたら、財布を仕舞え。──本物は、完全なんて言わねえんだ。




