幕間「仕立て屋」
俺のマントが、限界を迎えてた。
黒獣の夜からこっち、繕いを重ねてきたが、生地そのものが疲れてる。裾は歩くたびに情けない音を立て、肩の縫い目は三度目の補修を拒否してた。
「——見てられないわ。行くわよ」
ヴェラに襟首を掴まれたのは、そんな朝だった。中継街の三番通り、仕立て屋兼防具屋〈針と金床〉。彼女の装備の直しの馴染みらしい。
「デ、デートですか!?」と見送りのミナが噛み、「樽か?」とヴァーノがぼけ、「装備調達だ」と俺が答え、ヴェラが「そうよ」と即答した。そうだよ。何を騒いでる。
◇
店に入って、三十秒で、俺は間違いに気づいた。
この店、いい店だ。
吊るされた外套の、縫い目の間隔が揃ってる。留め具の打ち方が丁寧だ。生地の棚が、派手な順じゃなく、目の詰まり順に並んでる。店主の親父の指先に、針だこと、革の色が染みてる。——本物の店だ。
「マントを。条件は四つ。目の詰まった無地、色は灰か鉄色、留め具は肩の可動を殺さない位置、裾は膝上二寸で走りを妨げない長さ」
「ほう」親父の眉が動いた。「兄さん、分かって物を言うね」
「あと縫い糸は表に響かない色で、ただし強度は落とすな。フードは要る。深すぎるのは要らない。視界の上端が切れる」
「——おい、生地見てくかい。奥に、行商が置いてった南の綾織がある」
「見る」
◇
気づいたら、一刻が経ってた。
俺と親父は奥の生地棚で、綾織の目の詰まりと撥水と重量の話で完全に出来上がってて、振り向いたら、ヴェラが店先の椅子で、腕を組んで、こっちを見てた。
実に、面白そうに。
「……悪い。待たせた」
「いいえ? ——ねえ、ノボ。あなた、服、好きなのね」
「————装備だ」
「ふうん。装備」彼女は、俺の襟元を指した。「その襟の折り返し、自分で縫い直したでしょ。強度に関係ない部分よ、そこ。……装備、ねえ?」
観察の女、恐るべし。
俺は観念して、少しだけ、喋った。理由は自分でも知らないこと。記憶の霧の向こうの、たぶんずっと昔から——どんな底にいた頃でも、一枚だけは、ちゃんとしたものを身につけてた気がすること。金がなくても、そこだけは削らなかったこと。見栄えの話じゃない。誰に見せるでもない。ただ、手入れされた一枚を羽織ると、背筋のどこかが「まだ終わってない」と言う。それだけの話だ。
「……変か」
「いいえ」
ヴェラは、少しだけ、笑った。
「——旗みたいなものでしょ、それ。降ろしてない、っていう」
旗。
そうか。旗か。この人はたまに、俺が十年かけて言えないことを、五秒で言う。
◇
仕上がったマントは、地味で、完璧だった。
会計のとき、事件が起きた。親父が「ついでに」と、ヴェラの外套の留め具も、同じ意匠の新品に替えてあったのだ。並べて見ると、どこからどう見ても、揃いだった。
「「————別々ので」」
声が、完全に重なった。
親父は、にやにやしながら、留め具を替え——なかった。「もう縫っちまったよ。ほれ、次の客が来る。お幸せに」
雑すぎる。この店の唯一の欠点は店主だ。
帰り道、俺たちは少し離れて歩いた。離れて歩いたが、肩の留め具は、鈍く同じ光り方をしてた。ヴェラは前を向いたまま、一度だけ言った。
「……いい買い物だったわ」
「ああ」
それだけの、午後だった。
それだけの午後が、後からどれだけ効いてくるかを——このときの俺は、まだ知らない。
先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。どん底でも一枚だけいい服を着ろ、とは言わん。──ただ、その一枚を捨ててない奴は、まだ降参してないんだわ。旗は、洗って干しとけ。




