第19話「黒牌」
大階段を登り切った先の上層は、別世界だった。
天井が高い。光る鉱脈が走ってて、道が見える。そして、人がいた。奈落最大の冒険者拠点〈中継街〉。
「「「わぁ————……」」」
声が、揃った。ミナが目を輝かせて固まり、ガルドが「都ではないか!!」と吠え、ヴァーノが「文明!! ただいま文明!!」と両手を広げた。石積みの家々、市、酒場、道具屋。屋台の焼き串の匂いが流れてきて、全員の腹が、同時に鳴った。
串を、人数分買った。歩き食いの串は、涙が出るほどうまかった。最下層の岩陰から始めた身には——都だった。
「まずはギルドだな」とヴァーノが言った。「冒険者組合。依頼も報酬も階級も、全部あそこで管理してる。登録してねえと、この街じゃ野良扱いだ」
階級、というのがあるらしい。
木牌、鉄牌、銅牌、銀牌、金牌。実績に応じて上がっていく識別牌で、受けられる依頼も、酒場での扱いも、これで決まる。ちなみにガルドは銅牌、ヴァーノは鉄牌(「大人の事情でな」)、ヴェラは銀牌だった。
「大将は新規登録だから、木牌からだな。ま、実力ならすぐ上がる——」
◇
ギルドの受付で、事件が起きた。
「登録ですね! 経歴をどうぞ!」
受付の娘だった。金色の髪を、きっちり結い上げた、笑顔のよく動く娘で、胸の名札に「ロゼ」とあった。ちなみに後で知ることだが、この娘、百年分のギルド台帳を全部読破してるという筋金入りの台帳マニアだ。「読む人がいない記録って、かわいそうじゃないですか」だそうだ。……いい趣味だ、と思ったのを覚えてる。
「経歴……最下層から、登ってきた」
「はい?」
「最下層で目が覚めて、そこから、ここまで」
ロゼの笑顔が、固まった。羽根ペンが、ぽろりと落ちた。
「さ、最下層!? 生還者!? ちょ、ちょっと待っててください、これ私の権限じゃ処理できな——ギルド長ーーー!!」
奥がにわかに騒がしくなり、俺は別室に通され、質問攻めにあい、ガルドとヴェラが証人として呼ばれ、俺の書の記録が検分され——半刻後、白髭のギルド長が、震える手で、一枚の牌を置いた。
黒い牌だった。
「————黒牌。最下層からの生還者にのみ与えられる、規格外の階級じゃ。……儂も、実物を出すのは初めてよ。台帳によれば、百年ぶりじゃな」
言ってから、ギルド長は、声を落とした。
「——ただし、表向きの登録は、銀牌とする。黒牌の実物が出た、と知れれば、騒ぎの方が牌より大きくなるでの。……持っておれ。懐にな。見せる相手は、選ぶことじゃ」
受付が、ざわめいた。新規で銀牌だって。最下層からの生還だって。おい見ろよ、あれが。
俺は、牌を受け取って、光に透かした。艶消しの黒に、細い銀の縁。
「……黒か」
悪くない。
いや、正直に書こう。かなり良かった。俺の外套は灰色で、短剣の柄は黒革だ。つまり——合う。装備に、合う。
「大将、今、階級の重みより配色の話してなかったか?」
「してない」
してた。
◇
銀牌(表向き)の効果は、絶大だった。
依頼は選び放題、酒場は最上席、道具屋は卸値。歩けば道が空き、囁きがついてくる。正直に書くが——最初の三日は、ちょっと、いい気になってた。牌を提示するとき、少しだけ、ゆっくり出す癖がついてた。我ながら、しょうもない。
四日目に、爺さんの食堂で鼻を折られた。
「ほう、黒牌かい。大したもんじゃ。——で、牌で飯は炊けるかの?」
「…………炊けない」
「なら皿を運べ。混んどる」
皿を運んだ。黒牌が、前掛けの下で揺れた。それで治った。
◇
治らなかった問題が、一つあった。
受付のロゼだ。
「ノボ様! 今日の報告ですね! はい、こちらどうぞ! あ、お茶淹れますね! 座ってください!」
来るたび、距離が近い。書類を渡すとき、手が触れる位置で渡してくる。しかも今日は、俺の外套の袖に、勝手に糸くずを見つけて、取った。取った拍子に、結い上げた金の髪から、ふわりと、いい匂いがした。……観測は、そこで打ち切った。それ以上の観測は危険だと、勘が言った。
「ふふ。ノボ様の装備、いつも手入れが完璧ですよね。私、そういうの見てて分かっちゃうんです。——素敵だと思います」
「…………」
待て。落ち着け。これは何だ。分析しろ。受付業務の一環か? 黒牌への営業か? それとも——
目が合った。ロゼが、笑った。営業の笑いと違う角度で。
——え。
かわいい。どうしよう。
「……ノボ様?」
「————報告は以上だ」
声が、半音、裏返った。俺は書類を置いて、退却した。撤退の定石も何もない、ただの敗走だった。背後でロゼが「またあしたー!」と手を振ってた。
ちなみにこの数日で、受付の隅に「ノボ様専用」と書かれた湯呑みが誕生してた。俺は頼んでない。断ったら、「じゃあ毎日、使って断ってください」と笑顔で言われた。理屈が、おかしい。おかしいのだが——反論の定石が見つからないまま、俺は毎日、その湯呑みで茶を飲んでる。敗北の形をした日課だった。
ギルドの外で、ミナが、じっとりした目で待ってた。
「……ずいぶん、長い報告でしたね?」
「業務だ」
「お茶、二杯目まで出てましたけど」
「……業務だ」
ヴェラは何も言わず、実に面白そうに、俺の顔を観察してた。やめろ。観察は俺の仕事だ。
◇
名は、勝手に広まった。
銀牌の化け物。最下層から来た男。教えを乞えば断らない男。依頼と質問が押し寄せて、俺は全部に答えた。定石は先人の公共物だ。出し惜しみはしない。教えた奴が生きて帰り、帰った奴がまた教えて、街の壁に俺の定石の写しが貼られ始めた。
ある夕方、若い冒険者が駆け込んできた。半月前、赤竜の谷への迂回路を教えた奴だ。
「先生! 帰れました! 隊の全員、無事です!」
男は涙目で俺の手を握って、何度も礼を言った。周りが沸いた。ロゼが受付から身を乗り出して拍手してた。いい光景、なんだと思う。
俺は「よかったな」と言った。
言えた。正しい言葉を、正しい場面で。
ただ、それだけだった。胸のあたりに、何かが動くべき場所があるはずで、そこが、しんとしてた。黒牌をもらった日も、道が空いた日も、ロゼに袖の糸くずを取られた日も——表面はちゃんと騒がしいのに、一番奥のそこだけが、ずっと、静かだった。
「——よう。有名人w」
夜、宿の屋根の上に、Aがいた。
「見てたぞ、最近のお前。黒牌、行列、先生呼ばわり、あと受付の娘なw」
「見るな」
「……で、嬉しいか?」
即答、できなかった。
「………………分からん」
「だろうなw」
いつもの返しなのに、今夜のそれは、笑ってなかった。
◇
部屋に戻って、書を開いた。
妙だった。ページが、増えてる。この十日、書く量は変えてないのに、記録が勝手に分厚くなってる。教えた相手の名前。生還の報告。依頼。俺の書は、かつてない速度で育ってた。
……いいことの、はずだ。
なのに、ページをめくる指が、なんでか一度、止まった。
ーーーーぼうけんのしょーーーー
本日の記録
・生還報告、三件
・黒牌の色は、装備に合う
・嬉しいか、に即答できなかった
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先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。周りが騒がしくなるほど、胸の奥が静かになる時期ってのがある。──あの静けさ、放置すんなよ。あれが一番、あとで効く。




