第17話「先人の階段」
登るほど、世界に色が増えていくのが、分かる。
鉱脈の光は濃くなり、水の音が増え、すれ違う冒険者の数が日ごとに増えた。最下層の、あの音のない灰色を思えば——俺たちは、確かに、登ってる。景色が、それを毎日教えてくれる。悪くない教科書だった。
そして、大階段は、噂より、でかかった。
中層と上層を繋ぐ、唯一の縦道。幅は城門ほど。一段の高さが膝まであって、見上げても見上げても、灰色の薄闇に消えるまで段が続いてる。
そして、その登り口の壁面に——それは、あった。
「……なんだ、これは」
ガルドが、声を落とした。
壁一面に、紙が貼られていた。
何百枚。何千枚か。古いのは岩と同化しかけて、新しいのはまだ白い。全部、ぼうけんのしょの写しだった。誰かの書の、一ページずつ。
〈定石の壁〉。
引き出しが、名前を寄越した。今度は、名前と一緒に、妙な感情も付いてきた。懐かしさに似た、正体不明のやつが。
近づいて、読んだ。
——影スライムは殴るな。核が浮く。浮いた時だけ、硬いもので。
息が、止まった。
俺が最下層で「知ってた」定石。一言一句、同じじゃない。もっと生々しい。文の後半が、震えた字になってる。その紙の隅には、日付と、こう書いてあった。
——相棒のドルンがこれで死んだ。殴ったからだ。次の誰か、頼む。殴るな。
隣の紙。
——黒犬は追うな。倒すと倍になる。ゼタとロイで検証した。ロイの分まで書く。
その隣。
——洞鬼、三撃目まで避けろ。避けきれば勝てる。俺は左腕で学んだ。あんたは無傷で学べ。
中には、定石ですらない紙もあった。
——ここの三十段目、座るのにちょうどいい。眺めもいい。以上。
それだけの一枚。誰かが、ただ、いい休憩場所を見つけて、嬉しくて貼ったらしい。何百年前のか分からないその一枚の言う通り、後で三十段目に座ってみた。……ちょうどよかった。眺めも、よかった。以上。
その近くには、もっと古くて、もっと意味の分からない一枚もあった。
——剣ハ分カツ。鏡ハ映ス。玉ハ結ブ。三ツ揃ヒテ、一ツノ書トナル。
定石でも、遺言でもない。何かの教えの断片か、ただの落書きか。分からないまま、なんでか、書き写しておいた。分からないものを写す趣味は、ないはずなんだが。
壁の前で、俺は動けなくなった。
俺の引き出しの中身。最下層で、当たり前みたいに使ってきた手順たち。
全部——誰かの、これだったんだ。
誰かが死んで。誰かが片腕を置いてきて。誰かが相棒の名前と一緒に書き残した、一行ずつ。それが集まって、磨かれて、俺の中のあの引き出しになってた。
「……ノボさん?」
ミナの声で、我に返った。どれくらい立ち尽くしてたのか、分からなかった。
「大丈夫だ。——読んでた」
◇
壁の定石を突き合わせると、大階段の攻略経路が浮かび上がった。
何段目に罠があるか。どの踊り場で夜を越すべきか。水はどこで補給できるか。全部、先人たちが一枚ずつ置いていってくれてた。俺は書き写しながら、一枚ごとに、頭の中で手を合わせるような気分になった。
出発の前、俺は壁の一番奥へ行った。
最古の一角。紙はもう繊維の影みたいになって、文字はほとんど読めない。
その中央に、一枚。
他のどれより古い、最初の一枚らしきものが貼られていた。文字は完全に消えてる。読めたのは、書式だけだ。本日の記録、の枠線。俺たちが毎晩書いてる、あの形式の、たぶん原型。
署名の位置に、文字はなかった。
代わりに、黒く変色した、小さな染みがあった。
インクじゃない。
「……ヴェラ。これ」
「ええ」彼女も気づいてた。「血ね。それも、署名の形に置いてある。偶然じゃない」
最初にこの壁に紙を貼った誰かは、名前の代わりに、血で署名した。
なんでだ。名を残したくなかったのか。残せなかったのか。それとも——名前より確かなものを、置いていったのか。
「行きましょう。日が落ちる」
ヴェラに促されて、俺は壁を離れた。
一段目に足をかけて、振り返る。
何千枚の書が、灰色の光の中で、静かにこっちを見ていた。
登れよ、と言われた気がした。
ーーーーぼうけんのしょーーーー
本日の記録
・定石の壁、発見
・俺の引き出しは、誰かの血だった
・大階段、登攀開始
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先輩冒険者Aのメモ
※現実世界の諸君へ。お前が今日タダで使った「やり方」、最初に見つけた奴は無傷じゃなかったはずだ。──たまには手を合わせろ。




