第99話「四百字の岩」
百円のノートが、尽きた。
最後のページまで、書き切った。一冊まるごと、俺の字で埋まったノートってのを、俺は生まれて初めて、持った。
新しいのを買いに行った文具屋で、俺は、ノートの棚の前で、足を止めた。
いつもの百円のやつに、手を伸ばして——止めて——隣の棚を、見た。
原稿用紙が、あった。
四百字詰め。緑の枠線の、あれだ。
……枠線、か。
手に取ってた。枠の内が、今日である。今日を書け。書いた分だけ、世界は固まる——どこかの誰かの彫り文が、四百字の枠の上に、重なって見えた。
買って、帰った。
◇
机に、原稿用紙を置いて、俺は、長いこと、座ってた。
書きたいものは、決まってた。ずっと、決まってたんだと思う。倉庫で箱を運びながら、役所の待合で番号を待ちながら、母への十行を書きながら——頭の中で、ずっと、誰かが焚き火を囲んでた。誰かが薪を割ってた。誰かが「であるか」と頷いて、誰かが「四節だァ!」と叫んで、誰かが西の壁に紙を貼ってた。
あいつらは、いた。
俺の中に、確かに、いた。夢だったのかどうか、なんて問いは、もうどうでもいい。俺という書に載ってるものは、全部、本当だ。載ってるものが人を作るなら——あいつらは俺の骨組みの、かなりの部分を作ってる。実在の定義として、それ以上、何が要る。
ただ——載ってるだけじゃ、届かない。
俺は、知ってる。読まれなかった書が、どうなるかを。どこに積もって、何になって、どんな声で「たすけて」と言うのかを。
だったら、俺のやることは、一つだ。
書く。あいつらを。あの夜を。読まれる場所に。
どこかの、今まさに底で天井を見上げてる誰かが——いつか、読めるように。
『……お、始めるのか』
内側の声が、した。
「ああ」
『長くなるぞ、そいつは。百話は、下らねえ』
「知ってる。——刻むよ。一日、一枚からだ」
『はっw ……らしいわ』
ペンを、持った。
最初の一行は、決まってた。世界で一番、書き出しに向いてる文言が、俺の人生には、最初から用意されてた。
枠の、一番右の行に、俺は、書いた。
——ぼうけんのしょが破損しました。
——復元しますか?
(空白)




