第98話「列」
数ヶ月が、経った。
仕事帰りの、コンビニだった。
カゴに、飯と、炭酸水。レジに並ぶ。前に、二人。夕方の、なんでもない列だった。
ふ、と。
香った。
前の誰かの袋から。ふわりと。
——知ってる、匂いだった。
足の裏から、うなじまで、静かな電流が走った。俺は、動かなかった。目線も、上げなかった。レジの液晶の、合計金額の数字だけを、見てた。
前の客が、会計を終える。
小銭を、財布にしまう、微かな音。
それから——ドアの方へ、歩き出す、足音。
その、すれ違いの一瞬。
「ん。」
と、聞こえた。
……気が、した。
夕方のコンビニの、レジの音と、冷蔵庫の唸りと、外の車の音に混ざって——世界に出席を取る、あの一音が。
俺は、振り返らなかった。
検証は——しない。
検証の男が、人生で数えるほどしか使わない、裏の定石だ。振り返って、確かめて、名前をつけたら——あの夜の「たまたま」が、死ぬ。こっちの世界の、たまたまも。恩は、名づけない。あっちで最後に覚えた定石は、こっちでも、効く。
会計を済ませて、外に出た。
夕方の街には、もう、誰の背中も、それらしくは見えなかった。それでよかった。
家に帰って、炭酸水を開けて、俺は、百円のノートに、今日の分を書いた。
——本日の記録
——・列に、並んだ
——・いい列だった
内側で、誰かが笑った気配がしたが、何も、言ってこなかった。あいつも、作法は知ってる側だ。
(空白)




