第四十一話 お嬢様、貴方はまだ御存知ありません。
——某日、魔の森最深部。
深い森に蠢めく魔物達が、唯一近寄らない場所があった。
そこは古の時代、時間の経過で崩れた建物群の跡が残る半ば森に埋もれた場所。
文明の跡だけが残るその場所に、不釣り合いな程大きな砦があった。
その石造りの砦の一室。
埃一つなく手入れの行き届いた室内で、二人はテーブルを挟んで対峙していた。
「……アタシもね、これでも忙しいのよ?
今回は貴方の依頼だから仕方がないけど……あ、ご依頼の品、竜の真核は指定の場所よ」
「卵はどうした?」
小さな体を覆う神官衣のフードを深く被り、表情の読めない男が大柄な体の男に問う。
「いやぁねぇ、卵は依頼に無かったから無いわよ?
だって、アタシの好物だもの……美味しかったわよ?」
「……蛇が竜の卵を喰らうか」
茶化して言う男に、神官衣の男が冷笑気味に言い捨てると、大柄な方の表情が消えた。
「……愛の使徒よ、そんな不粋な名でアタシを呼ばないでくれるかしら……殺すわよ?」
ドスの効いた低い声に、更なる冷笑をもって応える神官衣の男。
「やれるものならばな」
「あら、試してみる?
このアタシ、愛の使徒カッツェが、貴方を可愛がってあげても良くてよ?」
「……貴様が愛の使徒?
ふははは、変態の使徒の間違いでは無いのか?」
「……言ってくれるわねぇっ!」
カッツェの蹴りによって、二人の間にあったテーブルが天井に当たり砕け散る。
「愚かな男だ」
「アタシは、立派な乙女よぉっ!」
カッツェの拳をかわしながら、男がカッツェを煽る度にその拳は早く鋭くなっていくが、男は余裕をもってかわしていく。
「で、いつ殺してくれるのだ?」
カッツェの右拳を左手でいなした男が冷めた声色でカッツェを挑発すると、カッツェがバックステップで距離をとり、両の掌を上に向け肩をすくめた。
「相変わらず、ちょこまかと逃げるのはお上手ね。
……流石は、鼠だわぁ」
「ボクは鼠じゃない、博愛の騎士だっ!」
カッツェの揶揄いに叫ぶその姿は、少し幼さを感じさせた。
そんな男相手に、カッツェが呆れ顔で男の服装を指差しながら指摘する。
「騎士だって言うなら、せめて鎧くらい着なさいよ?
大体、なんで神官衣なんて着ているのよ。
訳わからないわっ!」
「騎士っぽい服だろうがっ!」
カッツェが言葉に、男は自らの胸に手を当てて不機嫌そうに叫ぶが、カッツェは溜息混じりに説明を始めた。
「だから、それは神官が着る服よ?
いい事、騎士が着るのはブレー(ズボン)とシュミーズ(シャツ)が基本よ。
その上に、チュニック丈の上着コットを重ねて、外歩き用としてシュールコーやマントル(外套)を羽織るのが基本なのよ?
貴方、まんま神官じゃないの、美的センス以前の問題よぉっ!」
「……そうだったのか……」
カッツェの説明に、肩を落として男が項垂れた。
その姿がカッツェの琴線に触れたのか、眉を寄せながらも、優しい口調で語りかける。
「……仕方ないわねぇ、今度アタシがコーディネートしてあげるから、元気出しなさい?」
「……うん、何時もありがと。
あと、カッツェ……さっきはごめんね?」
男のしおらしい態度に、少し驚きを感じたカッツェが、気恥ずかしさを隠しながら話を続ける。
「あら、そう言う素直な所、アタシは好きよぉ?
貴方とアタシの仲じゃないの!
それにあれくらい、何時ものじゃれ合いにもならないでしょ?」
「うん、だけどちゃんと謝る事は大事だって、前に首刈りも言ってたから……」
「あらまぁ、クーちゃんが?
あの子、首以外にも興味持てたのねぇ。
まぁ、アタシはアレと会うつもりは無いし、貴方もあまりアレとは接点持たない方が良いわよ?
今更貴方の事、忘れるのは好きじゃないしね」
意外な人物の名に、素直な感想を口にしたカッツェが軽口を言って部屋から出て行こうとしてドアの前で振り返った。
「そうそう、真核は地下の祭壇に置いてあるわ。
何に使うのか知らないけど、あまり物騒な事は貴方には似合わないと思うわよ?
これはオネェさんからの忠告、ちゃんと聞いてくれたら今度デートしてあげても良いわよ。
……それじゃあね?」
そう言うと、カッツェはそのまま部屋から出て行った。
その背が消えてからもジッとドアを見ていた男が呟く。
「……これであとは巫女だけ……あの女の娘だけ」
静かな部屋に、男のくぐもった笑い声だけが響いていた。
——所変わり王国南西部、グランディール公爵領、領都グランディールにて。
王国南西部、最大の人口を抱える領都グランディール。
その中心部にある広大な敷地に建つ、三階建ての砦と見間違うくらいに大きな屋敷では、当主であるレオルド・グランディールと、その妻であるエレノアに、後継のアルヴィンが応接室にて顔を合わせていた。
一階の角地にある応接室は広く、十名程度が一度に寛げる様に、大きなソファや金の装飾が施された調度品などが嫌味無く配置されていた。
そんな中、対面のソファに座り、何故か暖炉の近くに掛けられている初代の肖像画を黙って見ているレオルドに、ソファに腰掛けたアルヴィンが問いかける。
「……それで父上、王都から僕を呼び戻すくらいです。
何がありましたか?」
「……お前はアイゼンフェルト子爵家を知っているな?」
アルヴィンの問いには答えずに、レオルドは問う。
その態度にも、アルヴィンはいつもの事と気にせずに、問われた事に対して素直に、自分が知っている限りの情報を並べた。
「アイゼンフェルト子爵家ですか?
確か……我が家の寄子の子爵家で、母上が目を掛けている家だったと思いますが……それが何か?」
「そこの一人娘が来年、年明け早々にデピュタントを行う事になった」
レオルドからの情報で、ある程度の内容が読めたと判断したアルヴィンは、探りを入れる意味でも、ここは曖昧に反応する事にした。
「……はぁ、まぁ何と言いますか、おめでたい事ですね」
「アイゼンフェルト家当主と、その妻は私の友人なのよ。
特に今は亡きクラウディアさんとは、学生時代からの親友だったわ」
アルヴィンのその曖昧な反応を見たエレノアが、助け船としてなのか、追加の情報を提示する。
「なるほど、母上の親友の忘れ形見である娘さんが、デピュタントを迎えるのですね?
それは素晴らしい事ですね?」
「ええ、私個人として、大変喜ばしい事ですわ」
嬉しそうに話す母親を見て、アルヴィンの警戒心が僅かに下がる。
「ならば、そのデピュタントへの出席とかですか?
もしそうならば、その時は家の事は僕に任せてお二人揃ってご出席なさると宜しいかと」
そう軽口を返すアルヴィンに、レオルドがとんでもない決定を突き付けた。
「その前に、決めた事があるのだ。
アルヴィンよ、お前がデピュタントでラティ嬢の相手を務めよ」
「……父上、デピュタントで親族以外が相手を務める意味、おわかりだと思われますが……」
父親の言葉に動揺するアルヴィンが、聞き間違いかと思い問題点を指摘するが、横からエレノアによって否定された。
「そうよ、アルヴィンさん、貴方の婚約者となりますわ」
「ちょっとお待ち下さい!
確かお相手は未だ十一歳だったと思いますが……私は二十歳ですよ?」
信じられないといった顔で、アルヴィンがレオルドに反論するが、レオルドは……
「貴族ならば、良くある話だ。
別に問題はない。」
「そうよ、あくまでも婚約者であって、正式な婚儀はラティちゃんが大人になってからよ?
だから手を出しては駄目よ?」
夫婦揃っての追撃に遭い、益々訳がわからなくなり混乱したまま、この問題点しかない両親の決定に異議を唱える。
「出しません!
と、言いますか……失礼ながら我が家は公爵家ですよ?
いくら母上が目を掛けていると申しましても、子爵家の娘では釣り合いが取れません!
それとも、王家にでも養女に出してから降嫁させるおつもりですか?」
「……それは、ヴァルターが納得するまいな。
そもそも、彼奴がこの話に応じてくれるかも、まだわからんしな」
アルヴィンは、淡々とそう答えるレオルドの発言内容に、益々訳がわからなくなる。
「はぁっ?
子爵家ならば最上級の名誉でしょう!
どこの子爵家が、この話を断ると言うのですか!」
「そうねぇ、セバスチャンも納得してくれるかどうか……」
母であるエレノアまでが同じ調子の為、逆にアルヴィンは安堵して笑った。
「……あぁ、お二人共、私を揶揄っておられるのですね?
全く、いくら何でもふざけ過ぎですよ」
笑いながらそう述べるアルヴィンを見た二人の表情が、貴族のそれに変わる。
「あら、私達はふざけてなんかいないわよ?」
「そうだ、これはグランディール公爵家としての正式な決定だ。
それだけ、あの家……いや、あの血筋には価値があるのだ。
良いか、この婚約の失敗は許さぬぞ?」
「そうよ、何としてでもラティちゃんの心を掴むのよ!
アイゼンフェルト家には、既に使いの者は出してあるから、貴方は楽しみに待っていなさいな」
「そんな勝手なっ!」
「アルヴィン、お前も公爵家の人間だ……わかるな?」
「……はい」
最早、自分では覆せない事を悟ったアルヴィンは、表情を隠して返事をする。
「では、話は以上だ。
下がって良いぞ。」
「……では、失礼致します」
部屋から出てドアを閉めたアルヴィンの表情には、何とも言えない暗い影が生まれていた。




