第三十八話 お嬢様、足元こそ大事で御座います。
ここ、アイゼンフェルト家の執務室では、屋敷の上位者三名が揃って難しい顔をしていた。
重厚な調度品に囲まれた執務室の領主机で、実際に頭を抱えて唸るヴァルター。
応接セットを挟み、ヴィオレッタとセバスチャンは向かい合って座っていた。
誰もがたった一つの問題について、答えを出せずにいた。
その問題とは……寄親であるグランディール公爵家から来たラティのデピュタントに関する打診であった。
「……いい加減、問題から目を逸らすのは辞めよう。
セバスに、ヴィオレッタ、私はこの話を受けようと思う」
「「……旦那様っ!」」
ヴァルターの決定に、ヴィオレッタとセバスチャンが揃って声を上げるが、それを片手を上げて制すると、ヴァルターが二人に向かって話を始めた。
「確かに、二人が危惧する事は最もだと私も思う。
だが、考えてみて欲しい。
二人がこれまでに施した教育は、間違っていただろうか?
私は、二人のお陰で、娘には王国一の教育を与えられたと思っている。
これはお世辞なんぞではなく、私の実体験からくる偽りなき本心だとも」
言っている事が嘘ではないと示すかの様に、ヴァルターは自信を持って二人を見詰める。
「しかし、お嬢様の晴れの舞台で御座います。
ここは慎重に考えておかねばなりませんかと」
セバスチャンが控え目に言葉を選ぶと、ヴィオレッタが眉を顰めて心配そうに話す。
「……問題は、お嬢様のエスコート役を、公爵家子息で嫡子で在らせられるアルヴィン様が務めるというのが……」
ヴィオレッタの態度を見たヴァルターが、安心させる様に、少しだけ大袈裟に両手を広げて愉快そうに話しかけた。
「……大変、名誉な事ではないか?
たかが子爵家如きの一人娘の為に、寄親であるグランディール公爵家の、嫡子自らエスコート役を買って出て下さったのだ、公爵様からそこまで目を掛けていただけるなど、本来なら身に余る光栄と言えよう」
鼻息荒く話すヴァルターに、困り顔のセバスチャンが苦言を呈する。
「それはそうなのですが……お嬢様が、アルヴィン様相手に粗相をしないかが、一番の問題かと」
セバスチャンの苦言を聞いたヴァルターが、立ち上がり意気揚々と話す。
「……私のラティに限って、そんな事は有り得ないだろう?
私は逆に、アルヴィン様で大丈夫か心配なくらいだ。
……矢張り、ここは父である私がエスコートを——」
得意気に話すヴァルターの発案を、セバスチャンがピシャリと否定する。
「——それはなりません」
そのセバスチャンに追従する形で、ヴィオレッタが口を開いた。
「どこまで親バカを拗らせるおつもりですか……」
最初は呆れ顔で、
「この際、言わせて頂きますが……」
段々とその話に熱が籠り始め、ヴァルターとセバスチャンが気付いた時には、最早止まらなくなっていた。
結局この後もヴィオレッタの説教は止まらず、ヴァルターだけではなくセバスチャンも巻き込んで行くのであった。
——それから数日後。
未だに、ラティと沙織には外出許可が出ていなかった。
その事に、不満が溜まりに溜まっているラティの様子を見て、先程まで礼儀作法の講義を行なっていたヴィオレッタが声をかける。
「お嬢様、次は運動のお時間で御座います」
ヴィオレッタがそう言えば、あからさまにラティの機嫌が良くなった。
「やっと外に出れますのね?」
「セバスチャンが迎えに来ますので、動き易い服装にお着替え下さいませ」
ラティは飛び跳ねるかの様に軽やかに、側に控えるメイド達の所に向かう。
「あ、あのっ! 私は?」
「沙織さんは、怪我が治るまでは大人しく寝ていなさい」
ベッドに横になったまま、声だけ張り上げる沙織を見たヴィオレッタが、何とも言えない表情で沙織の乱れた毛布を直しながら、子供に言い聞かせる様に言う。
「……お嬢様だけずるいです。
同じ治療を受けたのに、なんでお嬢様だけすぐ治っているんですか!」
その沙織の言葉を聞いたラティが、振り返って沙織を見ると、ドヤ顔で胸を張る。
「鍛え方が違いますわ!」
「鍛え方って言うかぁ……お嬢様、セバスチャン様に鍛えられてるから、半分人外になっている気がします」
沙織が呆れ顔で言っている内に、さっさと着替えたラティが、臨時の側仕えを伴って部屋を出て行くと、ヴィオレッタが沙織を見て溜息を吐いて声をかける。
「……貴女も、相当な意地っ張りですね?」
「……このくらいなんとも有りません」
包帯まみれの右手を握り、ガッツポーズをとる沙織を見たヴィオレッタが、眉を顰める。
「このくらいと言える怪我では無かったと、私は思いますが……。
兎に角、お嬢様はもうこの場にはおりません、楽にして良いと思いますよ?」
ヴィオレッタの言葉に、ベッドにその身を横たえたまま、泣きそうな顔で沙織が言う。
「……滅茶苦茶痛いです」
「あまり無理をするものでは有りません。
実際、聞いた話では貴女、手足を全て再生する必要があったそうではないですか……」
ヴィオレッタは、その時の事を思い出したのか、沙織の頭を優しく撫でる。
「私は、その辺り覚えていませんが、魚さんに感謝です」
「しかし、魚が空を泳ぐなんて……長生きはしてみるものですね」
「鳥、亀、犬に魚、それにセバスチャン様……うちのお屋敷って、どうなっているんでしょうね?」
撫でるのをやめたヴィオレッタの手を名残惜しそうに見ながら、沙織が軽口を叩くと、ヴィオレッタがそれに答えた。
「少なくとも、魚さんはセバスチャンの知り合いみたいですよ」
「やっぱり、人外同士って顔見知りなんですねぇ」
しみじみとそう言う沙織の言葉に、ヴィオレッタも無言で頷くのであった。
——それから数日後。
王国王都の一画、石造りの歴史ある建物が並ぶ閑静な住宅地の一つに、二階建ての古びたカフェがあった。
その店は、元は食堂であった物を、現在の店主が流行りの木材を中心とした、小洒落た内装に変更した店となっていた。
その店のテラス席に、一人の歳の頃十代後輩から二十代前半くらいの男が分厚い本を片手に紅茶を楽しんでいた。
そんな男の所に、若いメイドが走ってくる。
「……若様!」
「……やあ、メリサ。
今日も暑い中大変そうだね?」
声をかけてきたメリサに、男が爽やかさを全面に出して和かに答えると、メリサは大きく溜息を吐いて腰に手を当て、不満を隠さずに話し始める。
「……アルヴィン様、いつも言っていますが、お出掛けになられる時は側仕えに告げてからにして下さい!
ここまで探しに来るの、以外と疲れるんですよ?」
大声による若干の息切れと共にそう告げるメリサに、アルヴィンは微笑んで優しく語りかける。
「そうかい、それは手間を掛けたね?
……そうだ、メリサも一緒にどうだい?」
「あ、それならケーキも良いですか?」
アルヴィンの誘いに即答したメリサは、近くにあったメニューを指差して聞いてきた。
「ああ、良いとも……。
店員さん、こちらの女性に紅茶とお勧めのケーキを頼めるかな?」
その後、紅茶のシフォンケーキを食べてご機嫌なメリサを見ながら、アルヴィンが尋ねた。
「そう言えば、最近母上が僕に帰って来いと煩いらしいね?」
「……んぐっ……そうですよ!
今日もお手紙来ていました!」
「……来てましたって……あはは、メリサは見ていて飽きないね?」
「……そうなんですか?」
不思議そうに首を傾げて見てくるメリサを見ながら、愉快そうに笑うアルヴィンだった。




