第三十六話 お嬢様、寝るには早よう御座います。
アイゼンフェルト家の屋敷のエントランスで、数人の使用人達によって、後ろ手に取り押さえられた男達が並んでいた。
その中の一人、ガレスが険しい顔で立つヴァルターに対して抗議していた。
「ヴァルター様、確かに目を離した部下達にも非はあります。
ですが、まさかあれだけの怪我をした沙織殿が、子供とはいえお嬢様を抱えて逃げるとは思えないでしょう」
「御託は良い、ラティを……我が娘を連れ戻すのだっ!」
「……わかりました、最善を尽くします。
大分お疲れみたいです。
お嬢様の事は我々に任せて、ヴァルター様は一度お休みください。」
ガレスの言葉に、ヴァルターの動きが止まる。
拳を強く握り、自身の太腿を軽く叩くとガレスに向かって小声で述べる。
「……すまぬ」
「……長い付き合いですから、気にしませんよ」
そう軽口を叩き、ガレスが部下達を連れて屋敷の庭へと去って行った。
その一部始終を部屋から聞き耳を立てていたセバスチャンの目に、思慮の光が灯る。
……あの沙織さんがお嬢様を連れ去る?
逆ならばまだ理解出来ますが、沙織さんにはあのお嬢様を連れ去るのは無理でしょう。
どうにも違和感を感じたセバスチャンは、一人考えにふける。
(……お嬢様が、多少の怪我で亡くなるとは思えません。
実際に、そんな柔な訓練は施しておりませんし……)
「これは、調べてみる必要がありますね」
「主人よ、何を調べるつもりだ?」
上目遣いでそう聞いてくる鳥を見て、セバスチャンの口角が上がる。
「ふむ、これはある意味都合が良いですね。
鳥さん、私は見ての通りあまり無理が出来ません。
ですので、鳥さんにお願いがあるのですが……」
「ま、任せよ!
主人の願いならば、我の全霊を以て果たしてみせようぞ!」
「はは、そんなに難しい事ではありませんよ。
実は——」
セバスチャンが顔を近づけ、小声で依頼内容を伝える。
鳥は長い尾羽をゆらゆらと揺らしながら、鼻息荒く頷いた。
そして、両の翼を広げてアピールしながら話す。
「——ふむ、そのくらい容易い事ぞ!
た、ただのぅ……これを熟したら、我にご褒美を頂きたいのだが……」
「……結婚とかはダメですよ?」
冗談気味に、目だけは鋭くセバスチャンが答えると、少しだけ動揺しながらも、モジモジしながら鳥が訴えた。
「そ、そこまでは求めぬ。
ただの、その……我は一度でもいいから、主人とでえと、なるものをしたい!」
「あぁ、そのくらいでしたら検討するのは構いませんよ?」
「ま、誠か!
誠に検討してくれるのだな?」
セバスチャンからの意外な答えに、鳥が鳥肌を立てる。
「はい、検討するくらいならば構いませんよ?
私と鳥さんの仲ではないですか?」
いつもと違い、とても胡散臭い笑顔でそう述べるセバスチャンの様子に気付かず、有頂天になった鳥が叫ぶ。
「我が世の春ぞっ!
先程の件、大船に乗った気持ちで任せよ!
では、行ってくるぞっ!」
「……はい、頼みましたよ」
鳥が意気揚々と部屋の窓から飛び立つのを確認したセバスチャンはベッドから起き上がり、いつもの執事服へと着替えると、懐中時計を大事そうに懐に仕舞い、そのまま部屋を後にした。
セバスチャンがエントランスへと向かうと、その姿に気付いたカチェットが慌てて近寄ってきた。
「セバスチャン様、何をしているのです!」
「あぁ、カチェットですか……旦那様はどちらに?」
カチェットの慌てようが滑稽になる程、落ち着いた雰囲気のセバスチャンが問いかける。
「旦那様は……今は誰ともお会いしないと仰って自室に下がっております」
セバスチャンの問いに、表情を曇らせながら答えるカチェット。
その様子を見てセバスチャンは、落ち着かせる為にその手を優しくカチェットの肩に置きながら、更に尋ねる。
「……随分と荒れたご様子でしたが?」
「……それは……」
セバスチャンからの問いに、なんと答えるべきか言葉を探していたカチェットに、セバスチャンから鋭い問いが刺さる。
「お嬢様の件ですか?」
「……っ! 気付いておられたのですか?」
まさか気付いているとは思っていなかったカチェットが激しく動揺すると、セバスチャンは肩に置いた手で優しく肩を叩いて落ち着かせながら、普段よりゆっくりと微笑みながら話す。
「旦那様が取り乱すのは、いつも家族の事だけですから……まぁ、今回は杞憂と言うものですがね」
「……セバスチャン様? 一体何を……」
「旦那様が部屋から出て来ましたら、セバスチャンが応接室で待っていると、お伝え下さい。
私は、これからちょっと準備する物がありますからね」
「……畏まりました」
「頼みましたよ?」
そう言うと、セバスチャンは厨房へと向かうのであった。
あとには、忙しなく動く使用人達と、首を傾げるカチェットが残されていた。
——それから暫く後、裏庭。
ラティと沙織がすやすやと寝息を立てる中、いつの間にかラティに枕代わりにされたいぬっさんが、あきらめ顔で寝転んでいた。
「……何でボクが」
そうボヤくいぬっさんは、それでも何だかんだと不満は漏らすが、動かずにじっとしていた。
「不満ならば、さっさと避ければ良いと言うに……」
やや呆れ顔で亀がいぬっさんを見て言うと、鳥が訳知り顔で亀を諭す。
「蔵六よ、アレがつんでぇれというヤツぞ?」
「……なんと、そうであったか!」
珍しいものを見たと言わんばかりに、亀が叫ぶ。
「……なんかさ、イラッとするから!
そう言うのは、ボクの居ない所で話して!」
いぬっさんが寝転んだまま、前足で地面をテシテシと叩きながら叫ぶ。
「で、一人抜け駆けをした鳥よ?」
「なんぞ? 出し抜かれた間抜けな蔵六よ?」
鳥と亀が池の岩の上で睨み合いを始めた。
それを見ていた魚が、ふよふよと浮きながら疑問を口にした。
「で、鳥は何をしに来たんじゃ?
慌てて来た割には、先程から蔵六と戯れるばかりじゃが?」
魚の指摘通り、鳥は池へ降り立った瞬間こそ胸を張っていたが、蔵六の顔を見るや否や、いつもの調子で口論を始めていたのだった。
「……我、何かあった気はする」
「……歩いたからの」
「……歩くと忘れるとは、鳥でもあるまい……鳥じゃったな」
呆れ顔の亀と魚の視線を受けた鳥が翼をばたつかせて慌てる姿を、興味なさそうにいぬっさんが見ていた。
そして、鳥が叫んだ。
「我、思い出したぁぁあっ!」




