第三十五話 お嬢様、思慮深くで御座います。
私、ラティ・フォン・アイゼンフェルトは、怒っております!
数日前のあの日、私と沙織が満身創痍で屋敷に着いた時の事ですわ。
荷馬車に揺られ、ようやく玄関前へ辿り着いた私達を待っていたのは——
「ヴィオレッタよ、お前にも誓おう。
……必ずだ、必ずこの仇は討つ!
たとえ神が相手であろうと、絶対だ。
このヴァルター・フォン・アイゼンフェルト、我が生涯を賭けて……必ずやこの無念、晴らしてみせる!」
そう述べるお父様の顔は怒りに歪み、その相貌には強烈な狂気が浮かんでおりましたわ。
「……お嬢様」
「……沙織」
「「……これは拙い!」」
あのヴィオレッタを泣くまで叱責する程だなんて……私は驚愕しました。
だって、普段は優しいお父様があんなに怒っているだなんて……屋敷を抜け出したくらいで理不尽な、とは思わなくもありませんが、この状況です。
私と沙織は冷や汗をかきながら、この後のお説教を考え震え上がっておりましたの。
ですから、二人支え合ってその場を逃げても仕方ない事だと思いますわ。
「……ここならば、屋敷の者達も来ない筈ですわ」
私達は、お互いに励まし合いながら、なんとか裏庭の池まで逃げて来ました。
逃げる途中、玄関前がかなり忙しなくなっておりましたが、私達は重傷の身の上ですから、逃げるのに精一杯で何を騒いでいるのかは知りませんですわ。
「……で、お主らは逃げて来たと申すか?」
「暫くの間、亡命を希望致しますわ」
「……ですです!」
私は、池に居たかめごんといぬっさん、あと森で会った魚さんに現在の状況を説明して、保護を求めることに致しましたの。
「まぁ、ワシもお主らの治療が終わっておらぬ内に人間共が来た故、気にしてはおったからのぅ。
まずは、治療が終わるまでは匿うと言う事で、蔵六も納得せぬか?」
魚さんが胸ビレをパタパタしながらかめごんを説得してくれてますわ。
その間にも、私と沙織を包む青い光がとても心地良くて、なんだか癒される感じ……実際、身体を苛んでいた痛みが少しずつ和らいでいくのが分かりますわ。
沙織なんて、私の隣で既に寝息を立てておりますしね。
「……ふむ。
我の考えでは、大人しく帰ってしまえば丸く収まると思うがのう。
……確かに、乗り掛かった船と言う奴か。
せめて治療が終わるまでは面倒を見てやろう」
そう言ったかめごんが首を空に向かって伸ばすと、辺り一面を覆う巨大な緑色の結界が形成されましたわ。
「ふむ、これで例え蛇でも見つけられまいて……」
「さすがはかめごん、主人として誇らしく思いますわ!」
「その名も、お主を主人とも認めて居らぬわっ!」
「……では、失礼して……お休みなさいですわっ!」
「まて!
お主、この流れで寝るんかっ!」
実際に、先程から抗い難い睡魔に屈服した私は、そのまま沙織に身を寄せて眠りにつく事に致しました。
草の香りに池を通るそよ風……最高のベッドですわ。
——その頃屋敷では。
屋敷の一室、品の良い調度品で彩られた八畳程の部屋。
古いサイドテーブルの上では、懐中時計が規則正しい音を刻んでいた。
その部屋のベッドにはセバスチャンが横たわり、その傍らに控えるカチェットは、屋敷の騒がしさに眉をひそめた。
「……何を騒いでいるのかしら?
折角、セバスチャン様が休まれているというのに……」
不満気な言葉を口にして、カチェットが改めてセバスチャンを見る。
真新しい寝具に包まれたその胸は規則正しく上下しており、その光景はカチェットの心に安堵を齎した。
「……では、私は仕事に戻りますね」
返事を期待しないその言葉は、どこか楽し気なリズムを感じられた。
カチェットが部屋から出て行く。
ドアが閉まる音と共に、セバスチャンの目がゆっくりと開かれた。
セバスチャンは、無言でかけられた毛布を剥ぎ取り、足元へと投げた。
上半身は裸で、その腹には包帯が厚く巻かれていた。
自身の状況を把握したセバスチャンが上体を起こそうとしたその時、明確な違和感と共に右脇腹付近を見ると——。
「……はぁはぁ、さ、最高……」
——息の荒い鳥が添い寝をしていた。
それから数分後、ベッド縁に腰掛けたセバスチャンの前には、器用に正座をした鳥が項垂れていた。
その項垂れている鳥を見下ろしながら、セバスチャンは問いかける。
「一応ですが……弁明を聞きましょう」
セバスチャンの言葉を聞いた鳥が、顔を上げセバスチャンを見ながら弁明を開始する。
「我が主人よ!
傷付き、倒れた伴侶の体を温めるは、人生を共に生きる伴侶として当然の事ぞっ!」
言葉こそ強いが、鳥の目は明らかに泳いでいた。
その様子を見たセバスチャンの口元が、僅かに弛んだ。
それに気付いた鳥の瞳が、歓喜に震える。
「……ついに、ついに主人が我にデレた!」
「違います、呆れただけです」
「なっ、何故っ?
我が身の献身に、ついにその乾き切った心に、潤いとときめきが芽生えたのでは?」
嘴をあんぐりと開け、愕然とした顔になった鳥を見て、弛んだ表情のままセバスチャンは何かを言いかけた。
だがその時、部屋の外から慌ただしく駆け回る使用人達の足音と、ヴァルターの怒号が聞こえてきた。
「……旦那様?」
聞こえてくるヴァルターの怒号に、不穏なものを感じたセバスチャンの表情が引き締まる。




