第三十三話 お嬢様、お迎えに参りました。
薄暗い森の中、全身を包む金属鎧の音と荒い呼吸音と草木を掻き分ける音だけが聞こえる。
二十名の男達が無言で進む中、ヴァルターは辺りの変化を感じ取る。
(これは……魔物どころか小動物すらおらぬか)
辺りには、微かに草の香りの中に腐臭と血の匂いが混ざっていた。
前方、少し距離をあけて先行する斥候役の背の低い、革鎧を着込んだ男が片手を上げ、後方へと合図を送る。
予め決められたその合図に、全体が停止して即座に円形陣を組み抜刀して構えた。
戦士達が辺りを警戒する中、斥候役の男が静かに戻ってくると、待ち兼ねた様子のヴァルターがすぐに歩み寄り報告を求める。
「何が見えた?」
「この先に、拓けた異様な空間があります」
「……異様なとは?」
「まるで暴風で薙ぎ倒された木々と穴だらけの岩場に、猿型の魔物の死骸が至る所に転がっておりました。
さらに、その死骸がまるで力任せに鈍器で殴りつけた様なものばかりでした」
「それを成す化け物が居たか?」
「いえ、辺りに動く物は確認出来ません」
男の報告を受け、ヴァルターが数十秒ほど熟考する間、男はジッと黙ってヴァルターの判断が下るのを待った。
(ふむ、これは……あ奴らが出て来た可能性があるな)
「まずは確認だ、部隊から何人か選んで辺りの安全性を確保せよ。
その間に、残りを率いて私がその現場を確認する。
何が出るかわからん、総員最大限の警戒をして事にあたれ!」
「「「——はっ!」」」
ヴァルターの指示に短く応えて、戦士達が慌ただしく動き始めた。
集団から十名程が斥候役の男の指示に従って辺りに二人一組で散って行く。
残ったヴァルター含む十名も、辺りを警戒しながら先へと進む。
やがて報告にあった拓けた場所へと出たヴァルターは言葉を失い、ただ立ち尽くした。
ヴァルターの視界に映るは、死と暴力の世界。
千切れ飛び、潰れ、地面へとめり込んだ猿達の死骸。
巨木は薙ぎ倒され、岩場には無数の穴と亀裂が刻まれ、窪みには血溜まりが出来ている。
そして濃密な血の匂いと腐臭……そこに生はなかった。
(これは……)
「……なんだ、これは!」
ヴァルターの呟きに、側にいた戦士が青ざめた顔で呟く。
「まるで巨大な怪物が暴れ回った後ではありませんか……」
ヴァルターは、険しい表情で呟く。
「猿共が相手にならん化け物か……」
ヴァルターは隣で息を呑む歴戦の部下へ視線を向けた。
「一体、どの様な化け物ならこんな事が出来るのでしょうか?
私も長い事戦場に出ておりますが、こんな惨状は……」
戸惑い、剣の柄を強く握る部下を流し見たヴァルターが、警戒しながら用心深く歩こうとするが、その歩みは部下によって即座に止められた。
「ヴァルター様、何がいるかわかりませぬ。
今はまだ、斥候共の調査をお待ちくだされ!」
年季の入った兜鎧から覗く有無を言わせぬその視線に、ヴァルターは大人しく従う事にした。
「……では、せめてこの辺りを調べるくらいなら良かろう?」
「はい、この辺りでも猿共の死体はあります故、多少は何かわかるかと」
部下が納得したのを確認したヴァルターは、少しだけ感じていた煩わしさを隠す様に、近くに生えている巨木へと近付いた。
近付くと、その木の大きさが良くわかり、その幹の太さはヴァルターが両腕で抱えても足りぬくらいはあった。
その巨木の幹にも高さ一メートルくらいに生々しい傷跡が刻まれており、少し上にある枝は何かによってその半ばから圧し折られていた。
「ふむ、傷跡に毛がついておらぬ……猿以外の何かがやったと見れるな」
(……ここは、一度撤退すべき状況と言えるが、目的を果たすまでは撤退だけは有り得ぬ。
せめてラティだけは助け出さねば、私はクラウディアに顔向け出来ぬ)
ヴァルターが幹の傷跡を見るとも無しに見ていたその時だった、拓けた空間の先から一人の戦士がこちらへ慌ただしく走りながら叫ぶ。
「目標、発見致しましたぁぁあっ!」
「まことかっ!」
すぐさま、近くに控えていた部下が走ってくる戦士へ大声で確認する。
辺りに控えていた部下達も、その状況に浮き足立つ。
「——鎮まれっ!
貴様等、それでも栄光あるアイゼンフェルト子爵家の戦士か!」
ヴァルターの大喝に、落ち着きを取り戻した戦士達が背筋を伸ばして見守る中、ヴァルターの下へ通された戦士が息を整えぬまま、ヴァルターの前で報告をあげる。
「斥候のガレスです。
ここから百メートル先の岩の窪みにて、ラティお嬢様と使用人と思われるメイド一名を発見、いま——」
ガレスの報告が終わる前に、ヴァルターは走り出していた。
「……いかんっ!
総員、ヴァルター様に続けぇぇぇえっ!」
慌てた戦士団がヴァルターを追いかけ走り始めるが、ヴァルターの勢いは凄まじく、その距離は離れるばかりであった。
ヴァルターは走る、途中までは斥候の男の報告を聞いていられたが、いざラティが発見されたと聞いた瞬間、ヴァルターの体はすでに動いていた。
理屈も何も無く、ただ体が動く……だが、ヴァルターにとっては、それが当たり前の行動だと腑に落ちていた。
(……今行くぞっ!)
暫し走ると、岩場近くで戦士が一人、武器を構え辺りを警戒していたが、猛然と突っ込んでくるヴァルターを見て驚きに固まっていた。
「——ラティっ!」
大きな岩が二個、互いに寄り掛かる形で立つ岩の窪みにて、少女とメイドが横になっていた。
一目見て、それがラティと沙織だと認識したヴァルターが慌ててラティの側に膝をつき、その体を確認する。
十一歳にしては背が低く華奢な体。
その体を保護するべき衣服はぼろぼろで、血や土に塗れていた。
明らかに異常を示すその姿を見て、ヴァルターの頭の中が白くなり、ある一言だけが浮かぶ。
「……ラティ?
ぁぁ……そんな……あぁあっ」
頭の中の言葉を否定しようと、ヴァルターは涙で視界が滲むなか震える指先で乾いた血と砂が残る冷たい頬を触る。
遠くから自分を呼ぶ部下達の声がするが、ヴァルターの耳には届かない。
ただ、大事な宝物を扱う様にラティの髪を撫で続けた。
「……ヴァルター様、帰りましょう。
いつまでも、小さな子供をこんな場所に寝かせておくものではありませんぞ?」
「……」
部下達に促され、ヴァルターが無言で立ち上がるが、部下達が支えて何とか立てるという状態であった為、ヴァルターを近くの岩に座らせた部下達が簡易の担架を二つ組み立て、そこにまずは沙織の体から先に移そうとガレスが足を持ったその時——
「——貞操の危機!」
「——ぶへぇっ!」
不意打ち気味に沙織の蹴りがガレスの革鎧越しに鳩尾へめり込み、ガレスが不様な声をあげて悶絶する。
「……あれ、みなさんどうしました?」
悶絶するガレスに気付かずに、沙織がキョロキョロと周りを見回す。
「……」
誰もが驚愕の表情で沙織を見る中、沙織がハッとした顔をすると、隣に横たわるラティの肩を揺さぶる。
「お嬢様、みなさんが迎えに来てくれましたよ!
いつ迄寝てるんです、起きて下さいっ!」
「お、おいっ!」
沙織の予想外の行動に、動揺しながらも周りの部下達が沙織を止めに入る。
「なんですかっ!
嫁入り前の乙女の柔肌に、勝手に触れないで下さいよっ!」
そう言われて、慌てて手を離す部下達を威嚇した後、沙織が更に激しくラティを揺する。
「……その辺にしてやってくれ、ラティはもう……」
ヴァルターが沙織の様子に、悲痛な顔で声だけをかけると、沙織が首を傾げ不思議そうに答える。
「……でも旦那様、こんな所で寝かせていたら、風邪引いちゃいますよ?」
「ラティを安らかに寝かせてやりたいんだ……頼む」
「まあ、旦那様がそう仰るなら……あ、ちゃんと毛布か外套をかけて保温して下さい!
あと、体中が痛いので、私も運んで下さい!」




