第三十話 お嬢様、油断大敵で御座います。
「——がふっ!」
深々と自らの腹に突き立つ、鞭のように伸びたボルテの腕、それはセバスチャンにとって信じられない光景であった。
それと同時に自らの不明を恥じいる。
「私としたことが……がはっ!」
セバスチャンの喉を伝い、血が吐き出される。
その血を見て歓喜に震えるボルテの口元は大きく歪み、その感情の大きさを伝えていた。
「セバスチャン様っ!」
カチェットが叫びながら目の前の熊型を切り捨て、セバスチャンへ向かって走り出そうと体の向きを変えると、その進路を塞ぐ様に、エイダが箒を魔物の群れと戦う仲間達へと向けながら諭す。
「……カチェットの仕事はあっち、アレはセバスチャン様の仕事。
履き違えるのは良くない」
「でもっ!」
「——良くない」
暫しエイダを睨み付けていたカチェットだったが、ため息を一つ吐いてからエイダに話しかけた。
「……わかったわ」
「わかれば良い……あそこは人外の領域。
私達はまだ人間辞めてないからねぇ」
「……ありがと」
肩を竦めながら軽口を叩きつつ、戦場に戻って行くエイダの背に、カチェットが小さく言葉をかけた。
「……きひひひひひっ!」
ボルテが奇声を上げながら、セバスチャンの腹から腕を引き抜き、更なる追撃を仕掛ける。
鞭の様にしなる腕を振り回しながら、何度も叩きつけてくるボルテの攻撃を両手でいなすセバスチャン。
腹の傷からは血が絶えず流れ、その顔には僅かながらもはっきりとした疲労が滲み出ていた。
(……我ながら、なんとも無様な姿ですね。
とてもお嬢様にはお見せ出来ません)
自嘲気味にそう考えたセバスチャンの脳裏に、ラティの姿が映る。
刹那、セバスチャンの両腕が光を纏い、左眼に赤い光が灯る。
腰に差した刀をゆっくりと抜き、切先を水平より少し下げた低い位置に構える。
「……アイゼンフェルト家筆頭執事の力、お見せ致しましょう」
刀を構えたまま動かないセバスチャンに、ボルテの伸びた腕が襲いかかる。
二度、三度……セバスチャンが体を僅かに逸らす度に、近くの地面に拳大の穴が穿たれ、爆発にも似た炸裂音が響く。
「……単調な攻撃ですね。
獣以下とお見受け致します……」
そう述べたセバスチャンが刀を一閃する。
——キンッ
静寂の中、納刀の音が響く。
……ボトリッ……ボルテの腕だったものが地面に落ちた。
「ひぐっ!
……ひっふひっ?」
悦楽に歪んでいたボルテの顔が苦痛に歪む。
絶叫したボルテが『顔を真後ろに向けたまま』いつの間にか治っていた左腕を背中側に腕を畳んでから大きく膨らませる。
「……最早人体の動きではありませんね」
やや呆れた様な顔で呟いたセバスチャンが、体勢を低くし、ボルテを睨む。
刹那の時間、セバスチャンが地面スレスレを飛ぶ様に駆ける。
「……ひぐっひぃっ!」
耳元まで裂けた大きな口を愉悦に歪ませ、ボルテが膨らませた左腕を、セバスチャンの目の前に放り投げた。
それは、風船の様に跳ねる事は無く、地面にべちゃりと音を立てて落ちた。
急に目の前に現れた肉塊にも驚く事なく、セバスチャンが冷静に居合に似た抜刀術で肉塊を細切れにして吹き飛ばしながら、尚も速度を落とさずにボルテに迫る。
「……お眠り下さい」
セバスチャンの双眸に赤い光が灯る。
手にした刀に青い光が宿り、裂帛の気合いと共に振り抜かれる。
一瞬の静寂の後、斬撃が光へと変わり前方へと放たれた。
ボルテに迫る光は地面を岩ごと抉り、光に触れたボルテの肉体が粒子となって蒸発していく……
光はその強さを増し、木々や魔物など、その通り道全ての物を消し去って行った。
光が収まった跡には、長さ100メートル程の剥き出しになった抉れた地面しか無かった。
「……何あれ、終わってる」
その光景を見たエイダが、ドン引きした顔でぼやくが、周りにいた誰もがただ頷き、一瞬憑き物が落ちたかの様な顔をした魔物達は次の瞬間、恐慌状態で逃げ始めていた。
「……セバスチャン様?」
刀を振り抜いた体勢で動かないセバスチャンに、走り寄ったカチェットが近付き声を掛けてみるが、反応は無かった。
その事を訝しんだカチェットが、セバスチャンの肩に手を置こうとしたタイミングでセバスチャンの体が揺らぎ、そのまま前に崩れる様に倒れ込んだ。
「セバスチャン様っ!」
倒れ込んだセバスチャンを慌てて抱き留めたカチェットが声をかけるが、セバスチャンの反応は無かった。
「エイダっ!
ちょっと……は、早く来てっ!」
「はいは〜いっ、今すぐ行くよぉ……」
慌てたカチェットが大声でエイダを呼ぶと、トタトタと走ってきたエイダが状況を確認する。
エイダの表情が引き締まり、セバスチャンを寝かせると手際良く襟元を開く。
その後、カチェットに膝枕をさせて気道を確保した後に、腹部の傷の応急処置を始める。
「……ど、どうなの?」
「……正直言って良くない、今すぐ屋敷の治癒室で治療が必要。
もしくは、高位の司祭クラスの治癒魔法が必要」
「……そんなにっ?」
眉根を寄せてそう答えるエイダに、愕然とした表情で驚くカチェット……その揺れる瞳は、セバスチャンの白い顔だけを捉えていた。
——時間は戻り、森の奥惨劇の跡地。
動くものの居ない荒れ果てた地に、鈍い音が響く……。
「ぐあっ……ひぐぅ……」
(……何の音ですの?)
暗闇から浮上し始めた意識が捉えた音が、ラティの思考を刺激する。
「あはぁっ、貴女も……良いわぁ……」
何かを殴る音、愉しげな男の声……聞こえてくる聞き覚えのある女性の苦痛に歪んだ声……。
朦朧とする意識で暗闇を漂いながら、ラティは纏まらない思考を抱え、ただ流されていった。




