第二十九話 お嬢様、常に冷静にで御座います。
ラティがカッツェと遭遇する一時間程前、魔の森入り口付近では、セバスチャン率いる屋敷の使用人達により殆どの魔物が駆逐されたところであった。
「セバスチャン様、魔物の大掃除無事完了しました!」
「ご苦労様です。
みなさんに、怪我をした方等はいらっしゃいますか?」
元気よく報告するカチェットにセバスチャンが尋ねると、カチェットは自慢げに胸を張って再度報告する。
「はい、全員無事です!」
「ならば問題はありません。
では、引き続き森の中心部へと進みます」
淡々と述べるセバスチャンの様子に、カチェットが驚き、二度聞する。
「えっ?
い、今すぐですか?」
「……何か問題が?」
そのカチェットの質問にも、セバスチャンは普段とは違い、圧のある言葉で返すと、カチェットが異議を申し立てた。
「いえ、問題と言う程ではありませんが……少しだけ疲労度が上がっているかと」
「……それが?」
「……いえ、今すぐ準備させます」
「……五分以内でお願いします」
言葉を飲み込み従うカチェットに対し、セバスチャンは彼女を見ようともしなかった。
ただ手元の刀を握り、今にも飛び出したい衝動を抱えたまま、ジッと森の奥を見詰めるだけであった。
——あれから急いで準備を整えたセバスチャン達は、ひたすらに森の中を突き進む。
定期的に斥候を担当する者達を放ちながら、休まず道なき道を歩く。
森に入り、全体が丁度奥へと向かう中間地点、小川のある少し開けた岩場に辿り着くと、小川の傍らに男が一人、楕円形の禍々しい瘴気を纏った三十センチくらいの石を抱いて座り込んでいた。
一見すると、ただ若者が川辺で休んでいるだけに見えるが、その姿はドス黒い何かに濡れており、漂う空気には鉄の匂いと僅かな腐臭がしていた。
「……セバスチャン様」
セバスチャンの隣に来たカチェットが、顔を顰めながら名を呼ぶ。
「皆さんはここで警戒を……」
カチェットの言葉の意図を察したセバスチャンが短く指示を飛ばし、自身はゆっくりと警戒しながら男に近付く。
ある程度近付いた所で、セバスチャンが男を見て訝しげに声を漏らした。
「……ケチノス家のボルテ様?」
セバスチャンが名を呼んだからか、ボルテが座ったまま首だけがセバスチャンの方を見る。
「……っ!」
ボルテと目が合った瞬間、セバスチャンが刀を抜きながら真後ろへと退避する。
抜き放った刀に何か硬いものが当たった音が響き、セバスチャンは体勢を整えながらも、刀を構えて警戒を強めた。
「けひ、けけくひけ……」
座っていたボルテが奇声を上げながら懐の石を撫でると、どこからともなく魔物達が集まって来る。
その中には、先程石を投げたであろう猿たちの姿もあった。
「セバスチャン様、囲まれています!」
「……今すぐ近接戦が出来る者達で円陣を組んで対応を!
円陣内部には遠距離攻撃が主力の者達が入りなさい!」
セバスチャンの指示に、救出部隊の面々が即座に反応して円陣を組む。
その姿を見ながら、カチェットがセバスチャンに尋ねる。
「セバスチャン様は?」
「……私は遊撃となります。
兎に角、あの石が厄介そうですので、先に私が対処します。
その間は貴女達だけで対処なさい!」
「……ご命令、拝領しました。」
少しだけ逡巡したカチェットが、セバスチャンの指示に従う意志を示すと、その姿を見て微笑みながらセバスチャンが追加の指示を出す。
「……無理はせず、駄目だと判断したなら速やかに撤退しなさい。
では、任せましたよ?」
「……はいっ!」
高揚感に少し頬を赤らめながら、元気良く返事を返すカチェットを一瞬だけ見詰めたセバスチャンは、振り返らずにボルテへと向けて歩き出した。
「さて、ケチノス子爵家のボルテ様とお見受け致しますが、これは一体全体どういう事ですかな?
場合によっては、当方としても軽く見る事は出来なくなりますが?」
先程の位置まで来たセバスチャンが、圧のある声色でボルテへと問いかける。
だが、ボルテはその言葉には反応せずに石を愛でるばかりであった。
そうこうしている内に、セバスチャンの後方ではカチェット達と魔物達の戦闘が始まっていた。
突っ込んで来る狼型と熊型の魔物、それらの突撃をそれぞれが手にした武器で受け止めると、二人一組になって斬り伏せる使用人達。
後方からは使用人達の弓矢や、猿たちの投石による援護が乱れ飛ぶ。
使用人達の気合いや魔物の咆哮、断末魔の叫びが響く戦場を背に、セバスチャンが動かないボルテに向かって歩く。
「……ふむ、困りましたね。
話が通じないですか……では、少々痛い目に会って頂きましょう!」
そう言いながらセバスチャンが、ボルテの持つ石目掛けて右の拳を突き出すが、ボルテが石と拳の間に自らの左腕を差し込んで石を防御する。
辺りに響く骨が砕ける音と、セバスチャンの拳に伝わる肉の潰れる感触……セバスチャンはそれらを驚きと共に受け止めた。
「……何を?」
「……けひっ」
セバスチャンの焦りからくる雑さとそれが招いた驚き、それが普段なら有り得ない致命的な隙を産んだ。
「——がふっ!」
深々と自らの腹に突き立つ、鞭のように伸びたボルテの腕、それはセバスチャンにとって信じられない光景であった。
——同時刻、アイゼンフェルト家裏庭。
アイゼンフェルト家の裏庭には、屋敷の使用人でも一部の人間以外近寄らない場所があった。
焼けた地面と木々の中にある拓けた空間、そこにある池に集まる三匹の生き物。
自分の体ほどもある長い尾を持つ赤く鮮やかな鳥、大きな甲羅を持つ亀、逞しく精悍な顔付きの犬。
彼女達が見据える視線の先は魔の森。
鳥が一声鳴き、亀がその首を伸ばし、犬がその牙を剥き出しにする。
その池には、先程まで居なかった青い鯉の姿があった。




