第二十二話 お嬢様、知識を使ってこその貴族で御座います。
「――では、本日の講義はここまでと致します。
明日は刺繍の実習となりますので、デザインを幾つか考えてみて下さい。
勿論、私の方でも幾つか考えますので、宜しいですね?」
飾り気のない、シンプルな深緑色のドレスに身を包んだ女性は、眼鏡越しの目を光らせてラティを見据える。
「……はぁい」
午後の日差しと気怠い空気によって、かなり眠気を感じる顔のラティが間延びした返事を返す。
……ヴィオレッタの眼鏡が光を反射する。
「……なんですか、そのお返事は?」
「だって刺繍は嫌いですわ」
軽く口を尖らせ、不満を漏らしたラティを、ヴィオレッタが優しく嗜めた。
「……良いですか、これは好き嫌いでは御座いませんよ?
貴族令嬢たる者、刺繍や音楽に絵画など、嗜んでいて当たり前です。
社交界では、それらの話から様々な話へと繋ぐのが仕来りで御座います。
お嬢様は当家のご令嬢、逆に社交界では見本となるくらいで無ければ――」
「――わかった、わかりましたわ!
ヴィオレッタ、私わかりましたから!」
「そうで御座いますか?
ならば、私はこれにて失礼致します」
くすりと笑いながらそう言うと、ヴィオレッタは一礼してから部屋を出て行った。
同時刻、使用人寮の一部屋で、女が手にした紙を握り締め、机に手をついて俯いていた。
女はまだ若く、屋敷のメイド服を着こなし、後ろで一つにまとめた黒髪もとても艶やかであった。
だが、その表情は絶望に染まっていた。
「……またですか、昨年はエイラ、先月はルーナ、そして今月は……アストリッドまで!
この、裏切り者たちめぇぇえっ!」
女の絶望感を良く感じる、魂からの叫びであった。
「また結婚の報告?
……沙織もいい歳だもんねぇ?」
同室のエイダがお菓子を食べながら間延びした声でそう話すと、沙織がゆっくりとエイダの方を向いた。
「ひ、ひぃっ!」
その形相に思わず悲鳴を上げたエイダが、手にしたクッキーを落とす。
沙織が目を見開いたまま、ツカツカとエイダの前まで来ると、そのままエイダの顔を覗き込む。
「「……」」
「……さ、沙織?」
「私、今年で二十一になるんです」
「そ、そうなの?」
「私の同期は、アストリッドを除いて、みんな十代で結婚しているんですよ。
……アストリッドとは、一緒に式をあげようって約束していたんです。
これは魂の契約です。」
「な、仲の良い友達なのねぇ?」
何とも言えない圧を感じたエイダは、取り敢えず事なかれ主義で乗り切る事に決めたのか、作り笑顔で相槌をうちはじめた。
「でも、契約は破られた……。
アストリッドは……奴は裏切ったんです!」
「……き、きっとアストリッドさんも仕方なかったのよ。
裏切りたくて裏切ったんじゃないと思うわ。」
「裏切り者には死を!
魂の契約を破りし者に、正義の鉄槌を!」
拳を高々と掲げ、物騒な事を言い始めた沙織に、作り笑顔が崩れ始めるエイダ。
「えっと、沙織?」
「そうです、正義です!
お嬢様に訴えて、正義の裁きを受けさせましょう!」
沙織の本気さを感じたエイダが、沙織の腕を掴んで必死に止めに入る。
「やめなさいっ!
あの子がやっと幸せを掴んだんだから、貴女も祝福してあげなさいよ」
「裏切り者は裏切り者です!
私は正義をなすだけ……」
尚も言い募る沙織に、エイダは禁断の質問を投げかけた……。
「正義って……本音は?」
「ずるいっ!
羨ましい!
私に半分寄越せっ!」
半泣きで叫ぶ沙織を引き攣った笑顔で見るエイダ。
「……私はドン引きだよ」
――それから数分後には、ラティの部屋に沙織とエイダの姿があった。
「――と、いう訳で、私も幸せになりたいです!」
必死な顔で、歴史書を広げるラティの机に両手をついて直談判する沙織と、その腰にしがみついて必死に止めるエイダ。
二人を見て、ラティは呆れ顔で問いかける。
「……正義が云々という話じゃなかったの?」
「うう……周りだけが幸せに……」
ラティの言葉に、今度は両手で顔を覆って泣く沙織の姿に、困り顔でラティが溢す。
「別に結婚だけが幸せじゃないと思うのだけど……」
「なら、お嬢様は私が結婚するまで、待ってくれますよね?」
ラティの言葉に反応した沙織が、顔を近付けて問いかける。
「私はお父様次第だと思いますが?」
ラティが困惑気味に答えると沙織は――
「じゃあ、旦那様にお嬢様を結婚させない様に言って来ます!」
元気いっぱいでそう宣言すると、意気揚々と部屋を出て行こうとしたが、その行手を遮る者がいた。
「行ってきますではありません。
何を訳の分からない事を言っているのですか?」
非難めいた目で沙織を見ながら、セバスチャンが面倒臭そうに嗜める。
「セバスチャンさん、何をするんですか!
これでは、お嬢様が私より先に結婚してしまいます!」
「少し落ち着きなさい。
それに、お嬢様と貴女の結婚は関係ありません」
興奮する沙織を落ち着かせようと諭すセバスチャンだったが、その言葉に、沙織が目の色を変えて食い付いた。
「では、私が先に結婚出来るのですね?」
沙織とセバスチャンのやり取りを聞いたラティが、不思議そうな顔でセバスチャンに確認してくるが――
「セバス、そうなのですか?
ガサツで、食い意地が張っていて、お給金を殆ど食い道楽に注ぎ込む、行き遅れの沙織でも結婚出来るのですね?」
――その内容に、沙織が膝から崩れ落ちた。
「……うわぁ」
一人、ドン引きでラティを眺めるエイダ。
セバスチャンも、さすがに気まずそうに沙織を見る。
「……お嬢様、さすがにもう少し柔らかい表現を……」
「でも、事実ですわよ?」
ラティが困惑気味に首を傾げ、何かを言おうと口を開きかけた時――
「……これは何の騒ぎですか?」
眉間に皺を寄せたヴィオレッタが入ってきた。




