第十六話 お嬢様、全てにおいて準備が大事で御座います。
領都から馬の足で四日程かかる街道沿いの草原では、ヴァルター率いるアイゼンフェルト子爵軍が、魔物の群れを討伐する為に天幕を張り駐屯していた。
数ある天幕の中で、一際大きな天幕に領都から急報が齎された。
「――伝令!」
天幕の入り口で立哨する兵に、伝令兵が必死な様子で懐から一通の手紙を取り出して見せると、ヴァルターへの取り次ぎを求める。
外の騒ぎに副長が反応し、軽いボディチェックを行った後、伝令兵を天幕の中に入れた。
「……何事か?」
中で床机に座り、部下に作成させた簡易地図を見ていたヴァルターが、誰何する。
やや緊張した面持ちで、伝令兵が声を張り上げる。
「はっ!
領都より急報!
『現在、領都に魔物の群れが襲来、その数多く至急来援を乞う。』との事!」
「し、子爵様!」
その報せに、天幕内にいた側近達が動揺し、ざわつき始めたのを見て、ヴァルターが叱責する。
「慌てるな!」
「し、しかし……領都には御息女が!」
副長が焦りながらそう口を開くと、ヴァルターは一瞬だが苦し気な表情を見せた。
「……わかっている。
だが、まずはここの魔物を処理せねばならん!」
「では、公爵様に話してせめて援軍の編成を……」
「公爵様も苦戦しておられる。
今現在、援軍に割く余裕はあるまい」
「そ、それでは領都が……」
食い下がる副長の言葉に、ヴァルターは一度目を閉じ、何かに耐えると、ゆっくりと自分に言い聞かせる様に話し出した。
「わかっておる、わかっておるのだ。
……それに、屋敷にはセバスが居る。
あの男ならば、最悪だけは回避する筈だ」
「では、このままここで戦うのですか?」
側近の意見に反論しようとしたその時、勢いよく天幕の入り口が開けられ、豪奢な鎧を着た男が複数の兵を連れて入ってきた。
「――それは困るな」
「……公爵様!」
突然の訪問者に、驚き固まるヴァルターを愉快気に見たレオルドが声を張り上げる。
「ヴァルター、今すぐ騎兵のみを率いて領都を救援せよ!
その為に必要な物資等は、好きにして構わん。
一刻も早く出発せよ!」
「しかし、公爵様!」
反論しようとするヴァルターの言葉を、レオルドが一喝して黙らせる。
「くどいっ!
いいか、これは正式な命令だ。
領都が落ちては、我が公爵家の沽券に関わる!」
「しかし、今回の魔物の動きには不審な所が御座います。
まずはそこの調査が必要かと」
尚も食い下がるヴァルターに、レオルドが諭す様に語り掛ける。
「わかっておる、そのくらいの調査ならば貴様で無くとも出来る。
だが、問題は領都の方だ。
領都と同時に発生した魔物の群れ……今回の動き、あの時と似ておらんか?」
「……確かに似てはおりますが、あの時とは規模も魔物の強さも違います」
「確かにな……だが、似ていると言う事は偶然ではあるまい?」
「……」
「裏に必ず何かがある。
故に、貴様を行かすのだ。
……わかるな?」
「……畏まりました。
この、ヴァルター・フォン・アイゼンフェルト、主命に従い必ずや成果を上げてみせます」
ヴァルターが部下と共に天幕を去った後、レオルドは一人静かに佇む。
「何か、か……」
天幕を夕日が赤く染める。
遠くでは魔物の咆哮が響いていた。
ヴァルター達が領都へ向かって駐屯地を出立した二日後、領都では未だに戦いが続いていた。
「いいか、敵はそんなに多くは無い、ちゃんと狙って撃つんだ!」
外壁の上で兵長が声を張る。
セバスチャンが魔物を掃討してからというもの、戦いの趨勢は明らかに領都側に傾いていた。
「しかし兵長、コイツら、いつまで経っても湧いてきますね?」
「ああ、普通ならここまで減ったら逃げるんだがな。
やっぱり何か変だと思うが、俺達みたいな下っ端にはわからんよ」
「ですよねぇ」
「まあ、最初の頃みたいな状況では無くなっただけ、まだ有難いさ」
「特別手当ても付くでしょうしね」
「その為にも、しっかり働けよ?」
「わかってますよ、兵長」
その頃、領都から半日の街道沿いに、ひたすらに馬を走らせる一団がいた。
替え馬を引きながら先を急ぐその集団の先頭には、薄汚れたヴァルターの姿があった。
そのヴァルターが右手を上げると、集団が徐々に速度を落とし、やがて立ち止まる。
全体が落ち着いたのを確認すると、集団を見て声を張る。
「今日はここで休む事とする。
各自予定通り、設営作業に入れ。
……副長、領都へ三名偵察に出せ。
無理をする必要は無いが、戦況の確認と、可能ならば魔物の構成の確認をさせろ」
「……はっ!」
短くそう返事をし、兵達の下へと走っていく副長を見ながら、ヴァルターは領都がある方角の空を見上げた。
――屋敷の裏庭。
そこでは、月明かりの下、大きな岩に座ったヴィオレッタが、満面の笑みを浮かべていた。
その手元には一頭の子犬……いぬっさんが全身隈なく撫で回され、だらしがない顔で腹を見せていた。
「……如何ですか?」
「さ、最高……」
「ふふふ、それは良う御座いました。
いぬっさんにはあの二匹の監視、いつもご苦労様です。
ささ、こちらも解して差し上げましょう……」
「アァアッ!
さ、最高……溶ける……」
「……なんて愛らしい生き物でしょう」
ヴィオレッタによるマッサージはその後、セバスチャンが迎えに来るまで続いた。
「……これ、癖になるぅ」
ヴィオレッタの意外な一面を見たセバスチャンは、なんとも言えない気持ちで、執務室の窓から星空を眺めていた。
「旦那様は、上手くやっておられるでしょうか……」
当初の予定ならば、既にヴァルター達は屋敷に帰還しており、拙いながらもラティと家族の会話を楽しんでいる筈なのだ。
だが、現実は……
「外でも、何かがあったと見るべきでしょうね。
明日一日様子を見て、何も無ければ一時的にでもあそこに避難した方が良さそうですね」
誰も返事を返さない一人だけの部屋で、セバスチャンは考えを纏めていた。
「大冒険をしましょう!」
自室のベッドの上で何事かを教えていたラティが、突然ベッドから飛び上がると、沙織に向かってそう叫んだ。
「……へっ?」
「大冒険です!
最近、セバスチャンも屋敷のみんなも、何だかピリピリしていて良くありません。
ですから、私が屋敷の皆さんをびっくりさせるんです!」
「……ちょっと何言っているかわかりません」
「ならば、私の完璧な作戦を教えて差し上げますわ!
ちょっと耳を貸しなさいな」
沙織がラティのそばに寄ると、ラティは沙織の耳元で計画を囁いた。
その計画を聞いた沙織は――
「――それ、また怒られるんじゃ?」
「大丈夫です!
これは正義の行い……つまり、正義だから問題ありません!
……それに、お父様に……」
最後は尻窄みに聞こえなくなったが、ラティの言葉に沙織の顔から笑顔が溢れてくる。
「ならば、お嬢様の為に私も頑張ります!」
やる気に満ちあふれた二人は、その日遅くまで計画を話し合ったのだった。




