コンビネーション・アタック.4
日光はうららかに、一同を照らした。
頬を撫でる暖かな薫風。
少し離れた場所から聞こえてくる、ボール遊びに勤しむ子どもたちの楽しげな声。
足元には可愛い猫のキャラクターがプリントされたシート。
今の自分たちを写真に収めれば、きっと、仲間と花見を楽しむ学生以外には見えないことだろう。いや、まさにそのままなのだが…バックグラウンドが普通ではないのだ。
「桜、やっぱり散っちまってるな」
ほとんど何も残っていない桜の木を見上げ、どこか物悲しそうにそう告げたのは狐塚灰里だ。あっという間にメンバーの中に馴染む彼女が、雪花は少し信じられなかった。
「当たり前でしょう?もう五月なのよ、狐塚灰里」
ワンピース姿の真莉愛がそう呟く。いつか日良李が言っていたように、彼女はどんな服装でもそつなく着こなしていた。自分では、ああも上品には映らないことだろう。
「あー、分かってるよ。言ってみただけだろ」
「ふふ、分かっていて言ったってことは、意外と趣がある人なのかしら?」
「ちっ。思ってもみねえこと言うな」
不貞腐れた様子で灰里が言えば、愉快そうに真莉愛が笑う。心なしか、数日前の一戦でタッグを組んで以降、少しだけ打ち解けているようだった。
「…コーヒー。冷めちゃうよ」
それを見ていた日良李が淡々とした口調でタンプラーの蓋を開ければ、ほのかにコーヒーの良い香りが広がる。
風に乗ってここまで届く芳香に、気がつけば深く呼吸していた。
「あら?保温機能があるのだから、そうそう簡単に冷めないでしょう?」
「…分かんないじゃん」
日良李がどうして不満そうなのかは分かるよ、と心の中だけでぼやきつつ、雪花は靴を脱いでシートに上がり、ゆっくりと腰を下ろした。
空は快晴、絶好の行楽日和だ。これからしなければならない話に対し、これでもかと言うほど不似合いである。
今日はゴールデンウィークの最終日。
春の章を生き延びた祝い――というと、少しニュアンスが違うが…とにかく、一つの節目として、一度みんなで集まらないか…そんなふうに真莉愛が声をかけたことで、喫茶コマチの近くの公園にこうして集まっていた。
本来、誰も連絡先を知らないうえに、まだ現実かどうかの見当もついていないはずの灰里はメンバーに入れていなかったのだが、翌朝、生真面目な顔で喫茶コマチに彼女が現れたことで予定が変わった。
灰里は、ほとんど確信に近い表情で真莉愛たちに事情の説明を求めたそうだ。当然、真莉愛らも隠す必要はないと判断し、詳細を説明したそうだが、今度は自分を殴れとは言わなかったらしい。
喫茶コマチのメニューの一つであるサンドイッチと、いつものコーヒー(とはいえ、今日は店主ではなく、真莉愛が淹れてくれたものらしい)を用意した一同は、円を作ってシートに腰を下ろした。そうしていないのは、小難しい顔をした紅葉だけだ。
「紅葉?」
眉間に皺を寄せて自分と日良李の間を見つめている紅葉に、雪花が小首を傾げて声をかける。
「座らないの?」
紅葉は問いかけに反応することなく、わずかに顔を逸らした。
今日の紅葉は、上の空になっている時間が多かった。
話しかけても反応が鈍いし、下手をすると返事もしない。無視している、というより思惟に耽っているという感じだった。
前回の戦闘では、鏡花や時音を斬ろうとしたことが吐き気を催すくらいにショックだったみたいだから、それが尾を引いていると思ったのだが…。
(うっ…もしかして、問題はそこじゃないのかも)
紅葉の態度から嫌な想像をした雪花は、自分が傷つかないように先んじて口を開く。
「あ、分かった。『どうして貴方の隣しか空いていないの?』って言いたいんでしょ。いやぁ、本当に嫌われてるなぁ、私――」
いつぞやのことを思い出し、嫌味半分、防御的な意味半分で雪花が言葉を紡いでいると、やおら紅葉は顔を険しくし、すぐに靴を脱いで二人の間に座り込んだ。
「誰もそんなことは言っていないでしょう。この皮肉屋」
苛立ちを込めてそう吐き捨てた紅葉の横顔は鋭く、冷たい。しかしながら、雪花はそれ以上に、自分の言葉を即座に否定されたことのほうに驚いていた。
「あ、違うんだ…」
脳内だけに留めるつもりだった言葉が、桜色の唇からぽろりとこぼれる。
「勝手に人の心を読んだ気にならないで。不愉快だわ」
研ぎ上げられた言葉の刃に面食らったのも束の間、すぐに雪花のほうも苛立ちを露わにして紅葉の端正な横顔を睨みつけた。
「はぁ?どうしてそこまで言われなきゃいけないわけ?心配してあげたんじゃん」
「誰も心配してなんて頼んでいないわ」
「うわっ、出た」
「何が出たのよ。そもそも、あれのどこが心配なのかしら」
ふぅ、とため息を吐き出した彼女は、軽く首を左右に振りながら続ける。
「全くもって、皮肉屋の貴方の考えることは理解できないわ」
「紅葉もたいして変わんないでしょ…」
急に饒舌になった紅葉のことを怪訝に思いつつも、いつも通りのやり取りに内心ではホッとする。
やはり、紅葉はこうでなければならない。
(…鬱っぽい顔も嫌いじゃないけど、こうして唇を尖らせてくれてるほうが、よっぽど紅葉らしくて安心する)
いつの間にか雪花は、無意識のうちに口元を綻ばせて紅葉を見つめていた。
彼女も自分が見られていることに気づいたのか、すっ、と視線を雪花に向けると寸秒、視線を交わし、やがてまた鼻を鳴らして顔を背ける。
そうしているうちに、言葉では言い表せない感情がこの慎ましやかな胸に募る。
熱いような、ぬるいような…ぎこちない感じが残る…そう、春の終わりに相応しい温みだ。
桜の花は散ってしまっているけれど、色とりどりのパンジーは公園のあちこちに咲いている。色鮮やかなその姿は、まさに、自分と呉越同舟にある仲間たちそっくりに思え、顔を上げた。
「え?」
雪花が頓狂な声を上げたのは、紅葉を除く全員の視線が自分に集まっていたからだ。
苦笑する灰里に、顔を赤らめて伏し目がちにこちらを見つめる日良李、そして、全てを察しているような穏やかな微笑みを浮かべる真莉愛。
「え、え?なに、なに?みんなして、どうしたの?」
困惑した雪花の声に反応して、紅葉も一同を見やる。とはいえ、彼女も何が起きているかは分からないらしく、眉間に皺を寄せている。
「どうしたのって…ねぇ?」
真莉愛が訳知り顔で両隣の二人に視線をやれば、日良李は顔を逸らし、灰里は、「おい、野暮なこと言うなよ、小町姉」と真莉愛を制した。
「ええ、分かっているわ」
優しい微笑みを浮かべた真莉愛に質問を重ねてみせれば、何度かの往復の後、彼女はあどけなさの抜け切れない顔で困ったふうに笑って、「きっと、パッドを見てみたら分かるわ」と言った。
「パッド…?」
何のことだか分からず、言われたままにパッドを点灯し、色んな画面を渡り歩く。
真夏を前にした向日葵みたく、伸び伸びと向上していく真莉愛のステータスを始めとして、各々のページをめくっていれば、やがて雪花は、「あ」と声を上げた。
変動した数値に、まさか、これのことを言っているのか、と視線だけ上げて真莉愛を見やれば、彼女はまるでこちらが見ているものが分かっているみたいに笑顔で頷いた。
「あー…もう、人が悪いなぁ」
ガシガシと頭をかいて照れ臭さを誤魔化そうとしていると、それを訝しんだ紅葉が横からずいっと身を乗り出して、画面を覗き込んできた。
「一体、何の話をしているの」
「あ、ちょっと、駄目だって!」
反射的にパッドを隠したことで紅葉もムキになったのか、素早く、そして、遠慮のない動きで雪花の腕や肩に触れ、無理やりそれを奪い取った。
「貸しなさい」
「あ!」
その拍子に、紅葉の指が彼女の分身に触れる。
『…はぁ。不器用なのね、雪花も』。
とても静かな嘆息と共に放たれた言葉が一同の間に響けば、自然と波紋のように沈黙が広まった。
チビ紅葉の台詞が変わっている。好感度がまた一つ、上がったのだ。
妙な居心地の悪さと気恥ずかしさで全身が火照り、身悶えしたくなる衝動を雪花がどうにか抑えていると、いつものように真莉愛が悪気があってかなくてか、口を開いた。
「うふふ、また仲良くなれたみたいね」
「あはは…そうみたいですね」恥ずかしがっては向こうの思うツボだと、あえて笑って見せる。「まあ、最近は一緒にいる時間も増えてますし。自然ではありますよ」
「あら、本当にそれだけかしら?」
こてん、と小首を傾げる真莉愛。
…これはわざとだ。悪気があるのだ。
「お、お姉ちゃん。いい加減にしなよぉ」と日良李が口を挟んだことで、真莉愛はようやく軽く謝罪し、二人をからかうことをやめた。灰里は好感度システムを知らないため、終始、不思議そうな顔をしていた。
小一時間ほど一同はコーヒーとサンドイッチを片手に言葉を交わした。
紅葉だけはからかわれたことがよほど気に入らなかったのか、ずっとそっぽを向いていたが、言葉をかけられれば反応はした。
子どもたちが親に連れられて公園を後にする頃、ふと、日良李が思い出したみたいにデスゲームの話をした。
「生き残っちゃいましたね、私たち」
語尾に後ろめたさがあるのは、日良李らしいと思った。しかし、この話題に先陣を切って触れたのは彼女らしくもないと思った。
「…ええ。そうね。幸運なことに…とは、軽々しくは言えないけれど…」
姉である真莉愛が続く。彼女の端正な面持ちが痛々しく歪んだ。
「真莉愛先輩、お気持ちは分かりますが…今は生き残ったことを素直に喜びましょう」
「…代償として、他人の生き血を啜ることになったわ」
気落ちした真莉愛のフォローのために言った言葉に、紅葉が無感情に呟く。
「紅葉ってば…」
和を乱すようなことを言わないでほしい、と苛立ち混じりに彼女を見やれば、その美しい黒曜石は閉じられており、目蓋の裏側に宿る暗闇をじっと見つめているところだった。
沈鬱な面持ちに何も言えなくなって、雪花も彼女らと同じように俯く。
彼女らと同じものを見ていない灰里だけが、居心地悪そうに一同の顔を順番に見つめていた。だが、ややあって、沈黙に耐えきれなくなると厭気が差したように口を開いた。
「なあ、本当にこんなゲーム、参加するしかないのか?やらなくていい手段はないのかよ?」
「それがなかったから、ああして戦っているのでしょう」
「け、警察とか、ゲーム会社に問い合わせるとかしたのかよ」
「そんなの、最初に巻き込まれたと分かった時点でやったわ。でも、頭のおかしい人間扱いされて終わり。無駄よ」
なんとなくそんな気はしていたが、紅葉が実際に確認していたことは知らなかった。
まあ、アリスの声はゲーム参加者以外には聞こえないし、パッドの画面も違うものに見えているようだったから、無理もないことだ。
どうせ逃げられない、と頭の中で誰かが言う。そもそも、退屈していたからちょうどいいのではないか、とも。
――すでに、三度。三度、他人の命を奪っている。
「もう、戻れない」
ぼそり、と誰かがそんな核心を突くようなこと言ったのが聞こえた。驚いて顔を上げれば、みんなして自分のほうを向いていた。
迂闊に漏れ出た言葉に内心で歯噛みしながら、こうなれば仕方がないと雪花は続ける。
「行くしかない、と思う。この道を」
「随分と簡単に言うわね。進めば進むほど、みんなの両手が血で染まっていくのよ」
「分かってるよ、紅葉。だけど、前にも言ったように、物事には優先順位をつけなきゃいけない。全部を平等に大事になんて、できないから」
すぱっ、と言い切ってしまえば、珍しく紅葉が口を閉ざした。
彼女なりに思うところがあるのだろう。
きっと、紅葉には誰にも話していないことがあるはずだ。
それを聞き出すのは、何かが違うと思ったから、雪花はあえて気にしないようにして、さらに続ける。
「正直、この間、降伏を促したのは自分でも合理的じゃなかったとは思ってる」
「だったら、殺せばよかったとでも言うつもり…!?」
「ストップ。違う、違うから、最後まで話を聞いて、紅葉」
噛み付いてくるだろうことを予測していた雪花は、即座に紅葉の言葉を遮った。努めて冷静に依頼したからか、ここでも彼女は大人しく矛を収めた。
「相手によっては、とんでもなくまずい選択だった。勝ち確から舐めプして負けるみたいに、最高に間抜けな敗北だってあり得た。…とにかく、ごめん。私一人でしていい判断じゃなかった。みんなを優先するって言っておいて、あれはない。人道的だったかどうかはさておき」
まくし立てる言葉に続くように、夏を前にした春風が一同の間を抜ける。
そろそろ春も終わりか、と関係のないことを考える。
「結局、何が言いたいかって言うと…二者択一である以上、私たちは選ばなくちゃいけないってこと。他人か、自分たちか。殺すべきか、殺されるべきか」
重くなる空気を振り切るように、雪花は立ち上がる。
散らばった砂鉄が磁石にくっつくように、みんなの視線がいよいよ自分に集まる。
どうしてだろう、少しだけ、興奮する。
注目を浴びたいという願望はないはずなのに…高揚感を覚えた。
「みんなは、どっち?」
たっぷりと十数秒、深い沈黙が目の前に横たわる。
雪花は、決して保守的ではない自分の言葉を受けて、みんながどう反応するのかを知りたいと思っていた。楽しみとすら、考えたのだ。
「…そうね。私はもちろん、日良李が一番よ」
真面目な顔つきで最初に答えたのは真莉愛だ。彼女なら、きっとそう言ってくれると信じていた。
「わ、私も、まだやりたいことがあるし…叶えたい夢だって、ある。それに、みんなと一緒にいたいとも思うから…」
真莉愛を一瞥した日良李がそう続くも、姉が嬉しそうな顔で自分を見つめ返してきた途端、「お姉ちゃんは別。そんな顔しないでよ、気持ち悪い」と冷たく言葉を切った。
どう見たって照れ隠しと思われるが、肝心の真莉愛はショックを受けた様子で言葉を失っている。
これだけ日良李のことを見ているのに、相手の本心を微塵も察せないとは…。大事なものは目には見えないとは、よく言ったものだ。
それから、灰里はため息混じりに諦めの言葉を吐いた。
「やれるかどうかは、そのときにならないと分かんねえけどな…」と独り言みたいに漏らした言葉は、ありのままの感情を表現しているようで好感が持てた。
そして、紅葉は――…。
「私は…」
長い沈黙。迷いが手に取るように伝わってきた。
「無理に答えなくていいよ、紅葉。ここで断言することが大事なんじゃない。大丈夫、分かってるから」
気遣いのつもりでそう言えば、紅葉は顔を歪め、ややあってから頷いてみせた。
(それでいいよ、紅葉。それでいい)
とにもかくにも、生き残ることはできたのだ。
春が終わる。
アリスが言うに、『夏の章』は6月の半ばから始まるらしい。
それまでは…今までどおりの時間を噛み締めよう。
もう一度、風が強く吹く。
目には見えない流れの中から、夏の匂いがするような気がした。




