コンビネーション・アタック.1
「【狩人】?」
雪花はオウム返しに聞き返してきた紅葉に、【狩人】――アーチャーがクラスアップしたジョブの説明を行った。
「アーチャーっていう弓矢を使うジョブの進化版だよ。射程が長くて、命中精度が高い。それと、この間は話さなかったけど、クラスアップした後のジョブには、【ジョブスキル】が解放されるんだ」
「【ジョブスキル】?どういうものなの」
「狩人のスキルは【血の追跡者】。一発でも攻撃が当たった戦姫に対して、より遠くの距離からでも攻撃ができるようになるっていうものだよ」
「…厄介ね。遠くに行かれたら、私の剣は届かないわ」
鋭い目つきでそう告げる彼女は、すでに戦姫としての眼差しをたたえている。
紅葉は絶対に嫌がるだろうが、彼女が一番、誰よりも敵を倒すことをリアルに考えている。
今、相手の息の根を止めるために何が邪魔になっているのか。
どうすれば、命に手がかかるのか…。
指示を待つのではなく、自ら考え、行動している。
雪花が紅葉の氷のように冷ややかな横顔に魅入っていると、日良李が心配そうに手を合わせて呟いた。
「ということは、お姉ちゃんと大神先輩は一方的に攻撃されちゃうってことですか?」
前髪の隙間から覗く黒目がちな瞳が不安に揺れる。それをなんとか払拭してあげたくて、雪花は不敵な笑みを浮かべた。
「そうなるね」
「そんな…」
「安心して、日良李。――それは相手の懐に入れなかったらの話だから」
きょとん、とした顔で日良李が小首を傾げる。小動物チックで可愛らしい仕草、これが真莉愛の庇護欲をそそるのだろうか。
雪花が誇らしげな顔で説明を続けようとしていると、紅葉が独り言みたいにその先の言葉を取った。
「そう、アレを使うのね」
物分りの早い反応に、さすがは紅葉だ、と頷いて返す。
「アレ、ですか?」
「そう、アレ」
雪花は、未だに困惑顔を崩さない日良李にウィンクしてみせると、改めて二人に説明を始めた。
「日良李、【うさぎ穴】だよ。アレがあれば、目測だけど狩人の後方か側面に飛べる」
「あー…アリス、さんの」
アリスの名前に敬称を付けるのはどこか日良李らしいと思いつつ、雪花は向こう側の二人に合図を送ろうと試みた。
今もどこかでこちらを観察しているだろう敵に、作戦内容がバレるわけにはいかないから声は出せない。
何度かのジェスチャーゲームを経て、ようやく真莉愛が深く頷いた。ただ、伝わったというより、自分のいつもの役目だけは理解した、という様子である。
重厚な盾を軽々と構えた真莉愛が、軽く頷いて準備ができたことを知らせてくる。
矢面に立つことを恐れない彼女を頼もしく思う一方、ますます不安そうな顔つきを見せる日良李に申し訳無さも覚える。
「ごめんね、日良李。真莉愛先輩を盾にしちゃって」
「…いえ、いいんです。そういう役目ですよね、分かっています」
表情はぎこちないが、精一杯強がって微笑んでくれた。こういうところからは、真莉愛と同じ強い精神力を感じる。
雪花は軽くお礼を言うと、じめじめとした暑さのせいで額に浮かび続ける汗を拭い、物陰から静かに様子を窺っていた紅葉のそばへと移動した。
「紅葉、前にも言ったと思うけど、うさぎ穴を通れるのは二人だけだから」
「分かっているわ。貴方も来るの?」
「うん。目で見て分かる範囲に敵を収めたい」
「そう」
「万が一にも敵が固まっているところに出たら、紅葉には一応、私を守ることを最優先に動いてほしい」
「そうでなければ?」
「それはもちろん…」
――叩き潰して。
頭に浮かんだ言葉を口にしかけたとき、雪花は紅葉の黒々とした瞳に宿る美しい輝きを見たせいでそれができなくなってしまった。
人を傷つけることを誰よりも恐れ、非道なことだと嘆く彼女にこれを伝えれば、また苦しめてしまうと分かっていたからだ。
「えっと…」
雪花が言葉に迷っているうちに、紅葉が能面のような表情のまま言った。
「言いなさい、雪花」
鋭く、孤独な影が言葉を通じて二人の間を駆ける。
「――私は、大丈夫だから」
嘘だ。
無表情でも、今にも泣き出しそうな声。
それなのに、どうしてそんな嘘を吐く。
そこまで考えて、雪花はぎゅっと拳を握る。
(…そうしなきゃ、みんなが死ぬから…そういうところに、私が連れてきたからだよね…)
とどのつまり、自分のせい。
きっかけは自分ではない。だが、このメンバーの中で最初に回り始めた歯車は間違いなく自分だ。
こんなとき、綺麗事を吐くのはあまりに残酷で、根性がない。
俯きそうな顔を気合で上げて、じっと紅葉の横顔を見つめる。
(今の私に必要なのは、クラスメイトと『仲良しごっこ』するときみたいに善人の仮面を被ることじゃない。一緒に、手を汚す覚悟だ)
そのための仮面がいるなら。
私はどれだけでも、『頭のおかしい人』であることを受け入れよう。
「紅葉」
もう一度、彼女の名前を呼ぶ。
紅葉は歪んだ表情のままで、こちらを振り返った。
「最優先は狩人。紅葉の速さなら、間合いさえ詰めれば絶対に勝てる」
「分かったわ」
「躊躇しないで、紅葉」
「…分かっているわ」
「それで守って。私を、みんなを」
重なり合った視線の先で、黒曜石が大きく見開かれる。それから、ほんの少しだけ唇を動かした彼女は、何か思い留まったみたいに唇をつぐむと、すうっと目を細めた。
何かが、紅葉の中で切り替わった…ような気がした。
そのうち、心配そうに日良李が二人を見つめるなか、紅葉は立ち上がった。
彼女は、もう何も答えなかった。
無視されたとも取れる紅葉の態度に、「大丈夫でしょうか」と日良李がそっと尋ねる。
「うん。大丈夫だよ」
言語化し難い確信を胸に、雪花は頷いた。
作戦は日が暮れてから開始された。闇に乗じたほうがいいと提言したのは誰あろう紅葉だった。
樹海を覆う橙色の光は、夜の呼び水に自らがなろうとするみたいに端のほうからその色を失っていく。
時折、物陰から様子を見ていた紅葉曰く、相手の狩人も頻繁にこちらの様子を窺っていたそうだ。
積極的に攻めてくるタイプではないのか、それとも、他の戦姫は回り込んでいるのか…。それにしては動きがなさすぎる気がするが、警戒するに越したことはない。
辺りに湖底に広がる闇のような黒と静寂が広まった頃、紅葉が無感情に告げた。
「そろそろ行くわよ。雪花、二人に指示を出して」
「うん。任せて」
あくまで指示を出すのは自分でありたいものだが、紅葉の戦いに関する勘は侮れない。彼女にタイミングを委ねるのは合理的なはずだ。
雪花がハンドサインを見せれば、すぐに真莉愛は大盾を構えて立ち上がった。慌てて灰里も彼女の後を追うが、その顔には緊張が走っている。
「上手くいくでしょうか…」
不安全開の日良李が、物陰から身を現した姉を見てそう呟く。
「相手の戦力が把握できてない以上、分からないとしか言いようがないけど…それは相手も同じはず」
それに、紅葉クラスの戦姫はそうそういないはずだ。あまりこのゲームと『四姫戦姫』を同一のものとして考えるのは危険だろうが、似通っている部分は非常に多い。
そうやって考えると、紅葉の力はブレイドとして明らかに異様だ。
今までの相手の中に、彼女みたいな突出した戦姫は見たことがない。固有スキルの力には何度か驚かされたが、所詮は一時的なもの、その存在自体が脅威という感じではなかった。
「真莉愛先輩と、紅葉を信じよう」
真莉愛が静かに前進を続けていると、何の前触れもなく鋭い一矢が彼女の大盾に直撃した。
「小町姉、攻撃だ!」
「分かっているわ。焦らないで」
ほんの少し動きが止まっていた真莉愛は、灰里の声にも沈着に応え、また前に進み出す。
さすがは真莉愛。落ち着き方が尋常ではない。
紅葉を送り出すタイミングとしては、敵の陣形が十分に把握できたときか、真莉愛が持ち堪えられなさそうになったとき、十分に接近できたときが的確だろう。
とにかく、今は我慢のときだ。
誰よりも辛そうに姉の姿を見守る日良李の肩に手を置き、三人は真莉愛と灰里の背中を見つめていた。
真莉愛の大盾に当たった矢の数が両手の指では足りなくなったとき、ようやく相手に動きがあった。
赤い光と共に真莉愛の左右に現れたのは、『駒』。
「おい、なんだよこいつら!」
叫んだのは灰里だ。血相を変えて二体を見比べている。
「落ち着きなさい、ただの木偶人形よ!」
そう、戦姫に比べればただの木偶人形だ。ただ、相手の狙いはそこではない。真莉愛にそれを処理させて、隙を生み出すことが目的だ。
「そうはさせない…」
冷静に、しかし、素早く画面をタップ。
雪花は相手と同じように駒を配置した。力の拮抗している駒同士はぶつかり合い、やがて崩れ落ちる。
その間も、真莉愛は黙々と前進を続けていた。
いつか救いの日が来ることを信じて祈り続ける、敬虔なシスターのように。
文句も弱音もなく、ただ、愚直に前へ。
次は三体の駒が召喚される。こうなってくると、残弾が乏しいこちらが不利だ。
(紅葉を送り出すべき…?いや、でも、リスキー過ぎる…――だったら、真莉愛先輩、これに気づいて!)
祈りと共に駒を真莉愛の正面に召喚する。
位置はちょうど、真莉愛と狩人の中間。射線を塞いだのだ。
(この隙に、真莉愛先輩が駒を倒してくれれば…!)
しかし…真莉愛の動きが明らかな困惑のために止まってしまった。意図を汲み取れなかったのである。
(しまった、悪手だったか…!)
プレイヤーでもない彼女に、これは伝わらなくても仕方がない。自分が過度な期待を寄せてしまった。
「もう行くべきよ、雪花!」
紅葉から早口に言われ、さすがの雪花も賛同しようとしていたそのときだった。
「小町姉、今なら射線が通ってない!」
叫んだのは灰里だ。
的確な指摘に、「でかした!」と口にできたのも一瞬のこと。すぐに彼女が続けた言葉に仰天することとなる。
「つまり――突っ込むなら今ってことだ!」
「そうね!合点承知よ!」
灰里が真っ直ぐ指さした方向へ、止める間もなく真莉愛が突貫を始める。
「ちょ…、ちがぁう!」
あろうことか味方側の鉄騎士を跳ね飛ばした真莉愛は、戦車を彷彿とさせる勢いで狩人に迫った。
敵の駒もそのまま跳ね飛ばした真莉愛に追いつこうと、左右の駒が動くが、さすがに遅い。
「お姉ちゃん!」
姉の猛進ぶりに感化されたのか、日良李も物陰から飛び出す。もしかすると回復魔法の射程から出たのかもしれないが、迂闊過ぎる行動だ。
「待って、あ…ひ、日良李まで!」
あっという間に遠ざかっていく三人の背中に頭痛を覚えていると、すぐさま紅葉が声を張り上げた。
「雪花っ!」
「あぁもう!なんでこうなるかなぁ、本当に!」
どうせもう、止められない。
坂を転がりだしたボールに追いつけないように、この流れは止められない。
だったら、自分も乗るだけだ。
「行くよ、紅葉!」
天高く手を掲げ、雪花は従者の名を叫んだ。
「アリスっ!」
ふわり、と姿を見せたアリスが挑発的な微笑をたたえ、桜色の唇を動かす。
「御意のままに」
【うさぎ穴】の位置はちょうど自分たちの真下だ。




