深い森.2
時刻は零時五分前。
夜のしじまに、雪花は落ち着かない様子で寝返りを何度も打っていた。
眠れはしない。当然ではあるか…。
「はぁ…」
ため息を吐きつつ、パッドを手に取り、戦姫たちのステータス画面を確認する。
今更やれることなどほとんどないが、何もしないよりかはマシだろう。
紅葉、日良李、真莉愛、全員ともきちんとレベルが上がっている。日良李だけはジョブの都合上、牛歩ではあるものの、予想の範囲内。
一方、好感度に関しては伸びが芳しくない。
日良李は最初と同じ『3』のまま。真莉愛は『3』に上がったが、紅葉は『2』という低めの数字。
もしかすると、上がり方に補正があるのかもしれない。そうでなければ、最初から仲が良い人間が戦姫になった四姫者が圧倒的に有利と思うが…。
とにかく、ステータスの影響が重要であることは十分把握できた。しかし、個人のセンス、技量が戦闘に影響を与えることも、真莉愛と紅葉の対比で証明されている。
目に見えない数値が確かにある。全てがステータス準拠と捉えるのは危険だ。
「あとは…さっさと固有スキルが可視化できるといいんだけど…」
一戦目も二戦目も、あれに肝を冷やされた。こちらもあれを使えないことには、今後が苦しい。
「いや、待てよ…。紅葉のあの強さはもしかして、もう固有スキルのバフがかかってるとか?それだったら説明もつくけど…うーん…確証は持てないしなぁ」
やはり、好感度が上がらないことには机上の空論の域を脱しない。
改めて、紅葉のステータス画面を表示する。好感度『2』のゲージはまだ半分も埋まっていなかった。
「そんなに私が嫌いかね、紅葉さん」
つんつんとデフォルメされた紅葉をつつけば、彼女は眉間に皺を寄せた。
『ちょっと、調子に乗らないで!』
『勘違いしないで、貴方と仲良くなるつもりなんてないから』
「おぉ…!台詞が変わってる。っていうか、相変わらず本物の紅葉がしゃべってるみたい」
細やかな仕様に、思わず、感動して声を上げると、不意にパッド越しにアリスが話しかけてきた。
『雪花様』
「わ、あ、アリス。いつから見てたの」
『雪花様が可愛らしい顔つきで、お嬢様方のステータスを眺めているときからでございます』
「ほとんど最初からじゃん。もう、言ってよ、恥ずかしいなぁ」
『恥ずかしいことなどございません。強いて言うならば、『そんなに私が嫌いかね、紅葉さん』という発言くらいのものでしょう』
「ぐっ…アリスは口も悪ければ趣味も悪いね、全く」
『おや、これは心外でございます。私とて、好きで見ているわけではございませんとも』
嘲笑を浮かべてそう告げるアリスに、初めこそムッとした雪花だったが、段々と素の時間が増えているような気がして、それはそれで悪くない気がした。
(そういえば、従者にも好感度システムがあった気が…)
ちょっとした好奇心から、アリスの画面を開くも、そこに表示されたハート型の好感度メーターを目にした雪花はつい、カエルのような声を上げた。
「げぇ」
『下品な声でございますね。いかがなさいました?』
「いかがって…あのさ、アリスの好感度、酷いんだけど」
『あぁ…』
画面上に出された数値は、『0』。最低値である。
「ねぇ、私のこと嫌い?」
『普通でございます。我が主』
「…はぁ」
それなりにコミュニケーションを取っているつもりなのだが、と腹いせに画面に映ったアリスの頬をつつく。
『ひゃっ』
「うわ、可愛い声」
じろり、とアリス睨みつけられたところで、雪花の意識はチャンネルが変わったみたいに切り替わった。
急に上も下もなくなったみたいな感覚。何度体験しても慣れないものだ。
雪花は青と黒の世界に足を踏み入れると、アリスに声をかけた。
「アリス、どこにいるの?」
だが、答えはない。つまらないことで怒らせただろうかと悩んでいるうちに、他の三人がどこからともなく現れた。
ここに呼ばれると、自動で戦姫や四姫者の衣装に切り替わるのだろう。雪花自身、微妙な丈のスカートを履いた四姫者の衣装だったし、紅葉や日良李もいつもの服装だ。
しかし、今日は真莉愛だけがいつもとは違った。
青のラインが入った白銀の鎧。
手にした西洋槍は、より鋭く。
十字架のエムブレムが入った大盾は、ナイトの頃より更に大きく、重厚に。
ナイトのクラスアップ後の姿――【ホーリーナイト】の衣装だ。
「うわぁ、真莉愛先輩、似合いますね!」
闇の濃いこの場所でも、彼女の存在は際立って輝いている。
黙っていれば聖女然として見える真莉愛にはぴったりのジョブかもしれない。黙っていれば、だが。
「ありがとう。とっても綺麗な鎧よね。さすがは日良李が選んでくれただけはあるわ」
白銀に染め上げられた真莉愛は嬉しそうに破顔すると、目をきらきらさせて各所に施された装飾をチェックしていた。
「呑気なもんですよ、お姉ちゃんったら」
いつの間にか近くに来ていた日良李が、不服そうにそう呟く。
「まあまあ、いいんじゃない?実際、綺麗なんだしさ」
「先輩。それは鎧がですか?それとも、お姉ちゃんがですか」
「え?」じろり、とこちらを睨む日良李と目が合う。「ど、どっちもかなぁ」
「…へぇ」
日良李は、興味なさそうな相槌だけを残すと真莉愛のほうへと歩いて行った。声をかけられた真莉愛の様子から察するに、小言を言われているようだ。
何と言うのが正解だったのか。いや、そもそも正解などあるのか。
予想だが、日良李は自分が言いたいことを他人が言っているのが気に入らないのだろう。
「素直になればいいのに」と肩を竦めていると、紅葉が近寄ってきた。
「あの憎らしい子は?」
「アリスのこと?」
「ええ」
「んー…その辺にいると思うんだけど…」
紅葉の言葉に、周囲を見回してみる。すると、アリスの姿を見つけるより先に青い炎が燭台に灯り、続けて、遥か先に赤い炎が点灯した。
「これって…」
日良李の不安げな声と共に、一同が息を呑んだ。
「…始まる」
雪花がそう呟いたとき、ディープブルーの世界に強い輝きが生まれた。
宇宙創生を想起する光に目をつむる。
十秒ほど経ってからだろうか。
光が止んだ代わりに、鼻につく独特の臭いを感じ、雪花たちはゆっくりと目を開いた。
日差しを阻む、無造作に伸びた樹木。
葉の天蓋の下、どこまでも陰鬱に続く影の道。
飛び交う気味の悪い虫たちの羽音が、けたたましい鳥の声にかき消されることなく聞こえてきていた。
「…今回は、【樹海】だね」
【樹海】――鬱蒼とした木々が視界を奪い、道を阻むこのマップは、戦姫の命中率を下げる仕様が加えられていることから、ゲームの長期化を招くことが多い。そのため、プレイヤーからは敬遠されがちだった。
「これはまた、随分と視界が悪いところね」
隣に佇む紅葉が呟く。
「うん。索敵が大変になりそう。ゲームならお互いの戦姫が表示されるから困らないんだけど…」
画面に視線を落とすも、何も表示はない。
「やっぱり無理みたい」
「そうでしょうね。油断せずに行くわよ」
「うん」
適当に頷きつつ、雪花は改めて周囲を見渡す。試合開始の鐘の音が鳴るまでに、可能な限り地理を把握しておきたかった。
中央には巨木が立っており、その周辺に伸びる丸太のような根が、プレイヤーの進軍を阻む。分厚い茂みも点在しており、アンブッシュするのに最適なポイントがあちこちにあった。
そのため、今回は隠れて敵を迎え撃つかとも思ったが、機動力の低い真莉愛が陣形の中心になっている以上、そうもいかないと考え直す。
「いや、そもそも…」
雪花は呆れたふうに目を細めると、少し離れた場所で騒いでいる二人に視線をやった。
「きゃああっ!む、虫!お、お、大きな虫が飛んでるわ!」
「そうだね」
「そうだね、じゃなくて…日良李!なんとかして!」
「えー?大丈夫じゃない?お姉ちゃん、鎧着てるし」
「そういう問題じゃないの!気持ち悪いのよ、ぶんぶん、ぶんぶん。もしも、こっちに飛んできたら――」
「あ、お姉ちゃん、背中」
「いやああっ!」
叫び声を上げた真莉愛は、そのまま進行方向とは逆走し、こちらに駆け寄ってきた。
彼女の気高さを示す白銀の鎧が、ガチャガチャと大きな音を立てて迫ってくる。すさまじい威圧感だ。
思わず、一歩、後ずさるも、真莉愛が涙ぐんだ状態で飛びかかってくるものだから、受け止めざるを得なくなる。
「わっ!?」
鎧の確かな重みを感じつつ、彼女をどうにか支える。四姫者のステータスが貧弱とは言えど、多少の補正は入るらしい。そうでないと、この鉄の塊をまとう女性を抱きとめられるはずがないからだ。
「雪花さん、虫!虫、取って!」
「ま、真莉愛先輩…く、苦しい」
大盾やランスを軽々振るう今の真莉愛の腕力は、とてもではないが十代の少女ではない。窒息させられるのではないかという圧迫感に、雪花は白銀の装甲を何度も叩いた。
「いいから、早く取って!」
「こ、このままじゃ、取れない…」
「もう、意地悪しないで、雪花さん!」
「そういうんじゃ…」
女性に抱きしめられているというのに、なんという硬さだろう。いや、装甲越しだから当然なのだが…。
このままでは本当に絞め殺されるのでは、と雪花が青い顔をしていると、すうっと二人の横を追い抜いた紅葉がため息混じりに口を開いた。
「はぁ…何もついていませんよ、真莉愛さん」
「え?――もう、嘘を吐いたのね!」
紅葉の言葉に、ようやく真莉愛も我に返る。と同時に、紅葉と入れ替わりで近寄ってきた日良李がじっとりとした目線で真莉愛ではなく、こちらを睨みながら言う。
「お姉ちゃんったら、冗談に決まってるじゃん。皇先輩にまで迷惑かけて…。ほら、早くお姉ちゃんから離れて」
「…え?」
今度は、雪花のほうが頓狂な声を上げる。
「離れるのは、私じゃなくて真莉愛先輩だと思うけど…」
言い間違えたのかと不思議そうにまばたきをすれば、日良李も鏡映しにしたみたいに同じ動作を繰り返した。
やがて、彼女はかあっと頬を朱に染めると、「わ、分かってます。言い間違えたんです」と顔を背ける。
本当に間違えたのか怪しいところだ。なんとなく、途中から本心が漏れ出ただけではないのかと、離れていく真莉愛と、彼女に叱られて不服そうな表情を崩さない日良李を見て雪花は考えた。
「まあ、いいや…」
二人から離れ、紅葉の姿を探す。今日はいつもより鐘が鳴るのが遅い。
少し探せば、すぐにその姿は見つかった。巨木の麓に湧いた小さな泉の前で膝をつき、白魚のような指を清水に浸していた。
「紅葉、なにしてるの?」
「…別に。ただ、水の冷たさも現実そのものだと思っただけよ」
こちらを振り返りもせずに、彼女は答える。
足を折り曲げたことで、きわどいラインまで太ももが見えていた。灰里といい、どうしてこうも気を遣わないのかと不思議に思いつつ、ついつい、その艶やかな白を凝視する。
「あちらの二人は何を言ってもしょうがないでしょうから、私たちだけでも気を抜かずにいくわよ」
そこで、ようやく紅葉は顔を上げた。
彼女はすぐに雪花の視線の先に気がつくと、ぐいっとスカートの裾を伸ばしながら立ち上がり、仏頂面で雪花を置いて歩き出した。
「あ、紅葉!」
「…呆れるわね。命のやり取りをする前とは思えない人たちだわ」
「ちょ、ちょっと待って、勘違いだってば!」
「なにが」
「え…」
「なにが、勘違いなのかしら」
「…み、見てたと思ってるでしょ」
「…そう言うということはやっぱり、見ていたのね」
「あ、いや、誤解だってば!」
雪花は慌てて紅葉の後を追った。少し離れた場所では、日良李が未だに真莉愛から説教を受けている。
ようやく仲良くなれたと思ったのに、こんな誤解――じゃないかもしれないが、とにかく、悪印象を持たれるのは嫌だ。
しかし紅葉は、どうにか言い訳しようと追いついてきた雪花に対し、じろり、と鋭い刃の如き視線を向けると、「変態」と罵った。
あまりにストレートな批判の言葉に息が詰まる。とはいえ、以前のような軽蔑の言葉とは種類が違う気がするので、あの頃に比べれば多少はマシだ。
そのうち、それぞれが小言を口にしつつも、四人集合する。
「今日は、始まるのがやけに遅いね」と話題を逸らすべく紅葉に言った、その瞬間だった。
ふわり、と青い光が四人のそばに浮かび上がった。
光が形を成し、中からアリスが現れるより早く、雪花はその名を呼んでいた。
「アリス、どこに行ってたの?」
「申し訳ございません、我が主。少々、準備がございまして」
見た目にそぐわない、いつもの艶やかな微笑でアリスが小首を傾げる。
「準備って、なんのことかしら?」
「おや、真莉愛お嬢様。白銀の精神に相応しい美しき鎧、とてもお似合いでございますよ」
「…ありがとう、アリス」
真莉愛も雪花らと同様、得体のしれない少女との距離感を測りかねているらしく、遠慮がちに笑う。
それよりも、雪花には気になることがあった。
「準備って、もしかして…」
アリスは、自らが主と称する雪花の不安な表情に、とても満足げな歪んだ笑みを浮かべると、指先に青い光を灯してみせた。
「さすがは雪花様、頭の回転が速いこと…。我が主のご想像されているとおり、新しい戦姫の提供をさせて頂きたく準備して参ったのでございますよ」




