現実はコーヒーと共に.3
五月寸前の風が窓から入り込み、生徒会室のカーテンを揺らした。
春の陽気に包まれた昼下がり。
つい数日前まで命を賭したゲームに参加していて、成り行きとはいえ相手の生命を手にかけたとは思えないほど穏やかな時間だった。
窓の縁に肘を置き、外を見やる。部活のない生徒たちが帰っていく様子がよく見えた。
「それで、いつまで貴方たちはここにいるの」
薔薇の棘みたいな紅葉の言葉が、雪花の鼓膜に刺さる。ちなみに、『貴方たち』とは雪花と小町姉妹のことだ。
「あら、いいじゃない。大神さん以外の生徒会役員は帰っちゃったわけだし」
「そういう問題じゃありません。ここは生徒会室。一般生徒が自由に出入りしていい場所じゃありませんよ」
「でも、貴方が許可を出したんでしょう?邪魔しないなら良いって」
「それは…こんなにも入り浸るとは思ってもいなかったから…」
確かに、真莉愛は部屋に入るとき、「あまり長居はしないから」と断りを入れていた。ただし、『長居』の具体的な時間は口にしていない。
「言質を取らなかった大神さんが悪いかなぁ」
風が気持ち良い、と思いながら何気なく口にすれば、カタン、とPCのエンターキーを叩きつける音が聞こえてきた。
「どうしてそうなるのよ」
振り向けば、職権乱用している教師陣からの仕事を、支給されたPCで処理している紅葉と目が合った。明らかに苛ついている。
「わ、冗談だって」
「貴方のそういう皮肉屋なところ、直したほうがいいと思うわ」
「んー、考えとく」
「またそういう…だいたい、貴方はどうしてここにいるのよ。あっちの二人は百歩譲って分かるけれど」
あっちの二人、というのは小町姉妹だ。長机に隣り合って真莉愛が日良李に勉強を教えているらしい。
「一緒にいたほうが好感度だって上がりやすいでしょ」
「それにしても、学校外ですればいいでしょう」
「あぁもう、しょうがないじゃん。私はもうあんまり人と関わらないほうがいいみたいなんだし」
そう言うと、紅葉の顔が苦しげに歪んだ。もしかすると、こちらの置かれた状況に同情したのかもしれない。
パッドを通してアリスから教わったことの一つに、戦姫の選出基準がある。
それは単純明快で、四姫者が直近で深い関わりを持った人間というものだ。
(なにをもってして、『深い関わり』って言うのか分からないのがネックだよなぁ)
もちろん、それを避ければいいという問題でもないらしいことはアリスから聞かされている。仮に誰とも関わらなかったとしても、最終的には無作為的に人が選ばれると。
ただ、気持ちの問題、自己満足で雪花は周囲との関わりを緩やかに拒絶することにしていた。
幸い、年代が大きく離れている相手は選ばれないらしかった。両親を巻き込まないで済むのは僥倖だ。
「私だって、話す相手が減って寂しいの。相手してとは言わないけど、せめて、みんなと一緒にいさせてよ」
「…しょうがないわね」一拍遅れて頷いた紅葉が、すっと書類の束を指さした。
「え、なに?」
「どうせいるなら、手伝いなさい。誤字脱字のチェックくらい、中の下の学力の貴方でもできるでしょう」
「うわっ、酷いなぁ、もう」
文句を言いつつも雪花は立ち上がり、紅葉が示していた書類の束を手に取る。
珍しく、彼女のほうから歩み寄ってきたわけなので、ここは変に意地を張らずに言われたとおりにするほうが仲良くなれる――もとい、好感度を上げることができるはずだ。
「う、想像より重い…。結構な量あるんじゃないの、これ」
「文句があるなら出ていきなさい」
「やるよ、やるってば」
紅葉のそばにある椅子にしれっと腰掛ける。普段だったらぶつぶつ言われかねない位置だが、今日は仕事に集中しているのか、何も言われなかった。
雪花は書類の一枚、一枚に目を落とすと、紅葉の作業に徹底してミスがないことに舌を巻いた。
(誤字脱字のチェック、って言っても…これはほとんどいらないよね。…ん、文法的に少し変かな、これ)
細かい言語の問題だなと思いつつ一応、報告する。すると、紅葉は少し不服そうに目を細め、「意外と細かいのね」と小言を漏らしつつ、『修正作業アリ』の山に紙を移した。
「ねぇ、これって大神さん一人でやらなきゃいけないの?」
ぴたり、と紅葉の手が止まる。
「どう考えても分担すべき量だよね?生徒会長が長期休暇に入ってるとは聞いたけど、他にも役員っているよね?」
「…みんな、忙しいのよ」
「忙しい?いや、同じ子どもなんだから、そうは言ってもたかが知れてる――…」
そこまで言ってから、雪花は紅葉がきまりの悪い表情をしているのに気づいて、ピンときてしまった。
「あぁ、頼めなかったんだね。大神さんコミュ障っぽいし」
「違うわよ!というか、貴方はどうしてそう人の神経を逆撫ですることばかり――」
衝動的に出た言葉が紅葉の逆鱗に触れたようだ、と雪花が肩を竦みかけたときだ。
「二人とも静かにしなさいっ!今、日良李が一生懸命勉強しているところでしょうがっ!」
声を荒らげた真莉愛に、紅葉も雪花も動きを止める。
まさか、こんなにあっという間に沸点を超えるとは思ってもみなかったので、二人は言葉を失って互いに視線を交わした。
「うるさいのはお姉ちゃんだよ!」
急に自分の名前を出された日良李は、机を叩きながら姉をそう叱りつける。
「ひ、日良李…?私は日良李のためを思って…」
「じゃあ、黙って勉強教えて!」
「え、ええ…ごめんね」
見飽きた姉妹漫才に苦笑していると、偶然、紅葉と目が合う。
もの言いたげに視線を行ったり来たりさせた彼女は、ややあって、目を固く閉じると、長息を吐いて独り言みたいに告げた。
「…私、コミュ障なのかしら」
その台詞に、雪花は思わず目を丸くする。
意外なことに、こちらの何気ない台詞を気にしているようだ。まぁ、彼女がコミュニケーションを得意としないだろうことは本心からの言葉だったのだが。
基本的に、紅葉は人との交流を好まない。
他の生徒たちに声をかけられている姿も多く目にするが、彼女のあまりに素っ気ない言動に、生徒たちは憧れを憧れのままにしておくことを選んでしまっているようだった。
適当なフォローを考えたが、紅葉に対して嘘は善くない気がした雪花は、思いの丈をオブラートに包んで伝えることにした。
「まあ、人間嫌いには見えるかな」
「嫌いなのは貴方だけよ」
「そ、そういうのを口にしちゃうところが、コミュ障な気がするよ」
「…心外だわ。本当」
キーボードのタッチ音が途端に静かになった。どうやら、指摘を受けたのが相当にショックだったらしい。
「気にしてるの?」
「ああいうことを言われて、誰も気にしないと思ったの?」
「ご、ごめん」
紅葉はツン、と唇を尖らせて、無理やり作業に戻ろうとしていたものの、結局は何度も手を止めていた。集中できていないらしい。
「あのさぁ」
「なにかしら」
「気になるなら、私たちで練習すればいいんじゃない?」
「…それは、コミュニケーションの練習ということかしら」
「そうそう。ほら、好感度がそれで上がる可能性もあるわけだし」
「馬鹿にしないで。必要なコミュニケーションは取れているつもりよ」
「必要最低限じゃなくて、ほら、もっとこう、親密なコミュニケーションというか…」
「親密なコミュニケーション…?」
不審がるような声色になった紅葉。
当然、そうなるだろうと自分でも思った。それくらい、なんだか気持ちの悪い単語だった。
(これは鼻で笑われて一蹴されるコースかな…)
そうして、内心で肩を竦めていた雪花だったが、意外にも紅葉は、「親密…」と繰り返し、そっぽを向いた状態で質問を重ねてきた。
「それは、具体的にはどういったものなの?」
「え」
「え、じゃなくて。具体的な案を寄越しなさいと言っているのよ」
そんなもの私のほうが知りたいよ、と首をひねれば、紅葉は途端に落胆の色を濃くした瞳をこちらに向けてきた。
がっかりしている様子が手に取るように分かった雪花は、無理矢理にでも言葉をひねり出した。
「な、名前。名前で呼び合うとか」
「名前?」
「そう。分かりやすくてよくない?」
笑顔で提案しつつ、ほんのちょっとだけ罪悪感を覚える。
理由はよく分からないが…これは、紅葉のためというより、自分の希望が強い気がしたのだ。
(な、なんか分かんないけど…無性に、大神さんに名前で呼んでほしい)
皇とか、フルネームだとか、貴方だとか…他人行儀な感じは嫌だった。命を預け合っているから、だろうか。
紅葉はしばらくの間、言葉もなく熟考していた。
押せば押されるかな、と考えた雪花は、沈黙が我慢できずに声を発する。
「も、紅葉…なんて」
突如、体全体が熱を帯びた。
羞恥の炎が内側でごうごうと揺らめいていて、いてもたってもいられなくなる。
(真莉愛先輩とか、日良李のときはこんなふうにならなかったのに…なんで)
紅葉はどんな顔をしているだろう、と顔を上げて確認してみれば、彼女は鳩が豆鉄砲を食らったみたいに目を丸くしていた。
だが、少しずつ目を細めると、苦虫でも噛み潰したみたいに吐き捨てた。
「勝手に下の名前を呼ばないで――不愉快だわ」
ピシッ、と空気が凍りつく音が雪花の耳には聞こえた。
(そ、そういうところがコミュ障なんだよ、畜生…!)
言葉にならない憤りを噛み砕き、「あぁ、そうですか!」と書類を紅葉の机に叩きつけて体を反転させる。すると、いつからこちらを観察していたのかも分からない小町姉妹と目が合った。
日良李はすぐに目を背けた。見てはならないものを見た、とでも言わんばかりの態度だった。
一方の真莉愛はというと…。
「…なんですか」
含みのある微笑みを浮かべていた真莉愛に、雪花が語気も強めに問う。
真莉愛はその質問には答えず、ただ、「振られちゃったわね。でも大丈夫、次があるわ」などと言うのだった。




