天秤は傾く.4
そこからの敵の動きは予測の範囲内だった。
駆け出したシーフは、逃げるわけでもなく、むしろこちらへと向かってきた。
狙うは四姫者である自分――ではなく、日良李だ。
「え?」急速で接近してくる敵の姿に、日良李がぽかんと口を空ける。
多勢に無勢。まともにやっても勝てない以上、彼女はまた小町姉妹の関係性を利用するに違いないと思っていた。だから、雪花は真莉愛と違って驚くことはなく、冷静に日良李の前に飛び出していた。
「す、皇先輩!?」
相手のほうも目を丸くして驚いている。だが、これを好機と素早くターゲットをこちらに変えてきた。
(大丈夫、大丈夫だ)
やたらとスローに感じるときの中、心の内でそう呟く。
用意していた短剣を構え、向けられた白刃に応じるも、真莉愛や紅葉のように格好良く防ぐことは叶わず、強い痺れと痛みが右腕を駆ける。
「うっ」
きちんと逸らし損ねた切っ先が二の腕を引き裂く。
これが現実だと思い知らされる未経験の痛みに、恐怖と緊張、そして、得も言われぬ興奮が生まれる。
(四姫者である私の防御ステータスで攻撃を受けてもこの程度で済んだってことは…私の読みは正しかったみたい)
小町姉妹の大きな声を背に受けても、雪花は違うことを考えていた。
この『シーフ』は、十中八九、『シーフ』ではない。
以前、紅葉に説明した従者スキルの一つ、『四姫者が他の戦姫に化ける』ものだ。ほとんど人気のない従者【木阿弥】のものだから、判断が遅れてしまった。
不意に、痛みが和らいだ。日良李が回復してくれているのだと直感的に察する。
指示がなくても最適解の行動を取ってくれる日良李に感心しつつ、雪花は真新しい感覚に一瞬だけ目を閉じる。
痛みが失われていく感覚。まるで、人間じゃなくなっていくみたいだ。
ドン、と体ごと突進する。
思わぬ反撃に敵は姿勢を崩し、握っていたナイフを落とした。
好機と悟った雪花はそのまま躊躇なく、短剣を水平に振り抜いた。
「あっ」
刃は敵の胸元を引き裂いた。
赤い血と肌色のコントラストが、雪花のプリミリティブな衝動を加速させる。
「…チェックメイト」
完全に痛みが無くなった腕で、鋭く、絶命の一突きを繰り出す。
ずぶり、と鉛色の刃が肉をわけ、臓腑に達したのが手元の感触から分かった。
ゆっくりと、相手の四姫者から抵抗する力が失われていく。
「…そっちだって、殺す気だったんだから、恨み言は言わないでね。――あと、日良李への暴言、正直言って不愉快だったよ」
躊躇いなく刃を引き抜けば、ごぽっ、と嫌な音がして返り血が自分にかかった。
「日良李の力があったから、先輩は死ななかったし、四姫者対四姫者で負けるはずがないって分かってた。日良李がお荷物かどうかを見誤ったのが、貴方たちの敗因だね」
相手の四姫者からは何の反応もない。
(もう、聞こえてないか)
ずるり、と自分になだれかかる形になっていた相手の体を、膝を曲げながら地面に横たえる。
マナーの悪い相手だったが、せめてもの礼儀はいるだろう。
すでに、高揚感は冷めてしまっていた。
ガタガタと、世界が揺れ始める。
ゲームは終わりだ。
ふと、雪花は血で染まった自分の指先が、カタカタと震えていることに気づく。
(私みたいなのでも、やっぱり、やってみると違う…か)
彼女らは能動的に殺しにきていた。
殺らなければ、殺られていた。
私たちは悪くない。
そのうち、夕暮れと血で赤く染まった地面に黒い影が差した。
顔を上げれば、そこには自分と同じように返り血を浴びた紅葉が立っていた。
「…大神さん」
凛としていながらも、悲愴に満ちた顔つきでこちらを見下ろす彼女が言う。
「どう?人を殺す感覚は」
「…気持ちよくはないね。少なくとも、感触は」
皮肉のつもりはなかったが、どうやら紅葉の神経を逆撫でしたらしい。端正な顔が怒りに歪んだ。
「皇雪花」
言葉と共に、紅葉が鞘滑りの音を発して手にした剣先を雪花の喉元に添えた。
冷えた白刃が、とても気持ち良い。
「なに?」
「私は、貴方が嫌いよ」
「そう、だろうね」
「でも、貴方が死ねば、私だけじゃなくて二人も命を失うなら…」
ゲームの終わりと共に剥離していく地面を、ゆっくりと小町姉妹が歩いて来た。彼女らは、膝をついたまま動かない雪花の両脇に佇むと、心配そうに二人を交互に見比べる。
紅葉は二人の顔を真剣な顔で見つめると、嘆息混じりに告げた。
「――力を貸すわ。でも、勘違いしなで。貴方なんかと仲良くするつもりはないから」




