天秤は傾く.3
四姫者そっちのけで、ナイトがシスターを守るなんてありえないことだ。
ナイトの行動はセオリーを完全に無視しているし、そうすることを前提に立てられた戦術もまた同様、お粗末なものだ。
そう、これがゲーム上の四姫戦姫であれば。
(やられた)
おそらく、橋で襲ってきた時点でこちらを観察していたのだろう。そして、真莉愛と日良李の関係性を…特に真莉愛の傾向を学ばれた。
中身は人。
分かっていたこと――分かっていたつもりになっていたこと。
画面上のコマではない。
指示も、当然ながら絶対に聞くわけではない。命がかかっているのだからなおのこと。
人間と同じだ。
そうだ、人間なんだ。
(あぁ…これは私が読み違えたなぁ)
日良李を狙い、真莉愛を四姫者から引き剥がし、ブレイドはブレイドで足止め。それから先は孤立した四姫者をシーフで討ってグッドゲーム。
ゲームでは通らない戦術。
これが生の人間対人間であることを真の意味で理解していなかった、自分のミス。
シーフたちが風のように迫る。
絶体絶命の危機。それにも関わらず、雪花は全く違うことを思い出していた。
バンジージャンプについてである。
命綱という保証を身に着け、自ら危険に飛び込む。死の臨界点ぎりぎり手前までを、スリルの名のもとに疑似体験できる行為。ジェットコースターもそれに近いと思っている。
ずっと疑問に思っていた。
自ら死に近づく、ある種、狂気的な行動。
フィクションの世界に浸るのとはわけが違う、生身と本能をもって感じる『死ぬかもしれない』という感覚。
――あれは、退屈とは縁遠いのだろうか。
あいにくと、インドア派の自分は興味をもってもそれを体験しようとは思わなかった。
しかし、今なら確信をもってその問いに答えることができる。
楽しいに決まっていると。
刺激的で、脳汁があふれるようなものに違いないと。
だって、今がまさにそうだ。
雪花は、素早くパッドの画面を操作した。
(――ヒリヒリする)
苦しそうな息と共に漏れる、子どもみたいな笑み。
迫り来る白刃。
決死の形相。
夏の暑さも忘れるほど、薄ら寒い生の窒息感。
快感とも恐怖とも覚束ない感覚が、電撃のように背筋を撫でた。
左右から迫りくる二人のシーフと自分の間に駒を召喚し、一旦止まってから再度後ろ向きに走る。
さらに、画面を叩く。
駒は気休めにもならず、するりとかわされる。
そして、あともう一歩で獲物の息の根に手がかかるという位置で、シーフの動きが一直線上に並んだ。
(見える、この瞬間だ!)
生き死にの狭間で美しく瞬く光が、雪花には確かに見えた気がした。
刹那、声高く叫ぶ。
「アリスっ!」
抑えきれない興奮を、口元に浮かべて。
「御意のままに」
ふわり、とアリスが虚空に現れる。
次の瞬間、シーフ二人の姿は消えていた。
ひときわ強い閃光が、目の前で爆ぜた。
続いて、渾身の袈裟斬りが振り下ろされる。
(――動きが単調だわ)
紅葉は、それを軽やかに屈んでかわした。
動きに連動し、彼女の艶やかな黒髪が傾きつつある夕日を浴びて輝く。
次いで、自分と色合いだけが違う服装をした相手は、肩に剣を担ぐようにして間合いを詰めてきた。
単調だが、荒々しい戦法だ。
斬られることなど考えてもいない。いや、無我夢中なのだろう。
素早く後退し、剣撃を受け止める。
激突した刃から伝わってくる、相手の殺意と懸命さ。
恐ろしい、と思った。
死ぬことがではない。
こうして、死を厭わない存在になることがだ。
(死んだら、終わりなのに…)
「こんのぉ!」
刃が重なる。
「どうして、貴方たちも…!」
頼むから、命を擲つような真似をしないでくれ。
それを奪わせるような選択を、自分にさせないでくれ。
力と願いを込めて、剣を弾き返す。
相手の体勢が大きく崩れる。
それでも、相手はまたこちらに斬りかかろうとしてきていた。
武器がある限り、彼女は戦いをやめないだろう。
凶器は、狂気の温床だ。
自分が強くなった気になれてしまう…。
(それなら…!)
紅葉はすくい上げるようにして剣を振るった。
「あ…!」
短い悲鳴と共に、敵の握っていた剣が青空に弧を描いて舞った。
鬼気迫っていた女の顔から、途端に気迫が削がれていく。
「勝負あったわ」剣を納め、長息を吐きつつ続ける。「これ以上はやっても無駄よ。大人しくしていなさい」
…分かっている。これは不必要に相手を傷つけたくないという自己満足であって、根本の解決にはならない。
(それでも、絶対にこのほうが善いはずよ…)
しかし、紅葉のその勝利宣言が、むしろ相手の闘志を再燃させてしまった。
「こんなところで…!」
キッと紅葉を睨みつけた少女は、足元に転がっていた手頃な石を拾い上げると、躊躇なくこちらへと向かってきた。
「そんなものでどうするの。やめなさい」
相手は呼びかけても止まらず、石を振り上げる。
「ああああっ!」
「やめろと言っているでしょう!」
頭蓋を割ろうという一撃をかわす。だが、不覚にも足をもつれさせて尻もちをついてしまった。
烈日に照らされて乾いた土は、酷く嫌な感触がした。
生き死にの狭間の光が、醜く閃く。
それは、嫌な記憶を呼び覚ました。
「私は…!」
薄暗い倉庫、麻袋のこすれる音、くぐもったうめき声。
聞き慣れた、今は酷く忌々しい声が、私の名前を呼ぶ。
『――…紅葉、さあ』。
抑えきれない苛立ちが紅葉の脳みそを這い上がる。
――どうしてこうも、人は醜くなれるのか。
自分の命すらも容易く投げ出させてしまえるから、相手の生命も軽んじてしまえる。
言葉にしがたい感情に支配され、紅葉は反射的に腰の剣を抜き放った。
「私はぁっ!」
座ったままの姿勢でも、飛びかかってくる相手の腹を掻っ捌くことなど造作もなかった。
辺り一面に飛び散る、真紅の血液。
厭気の差す鉄臭ささに顔を背ける。
女は泡で喉を詰まらせたみたいな声を漏らしたのを最後に後ろに倒れ込み、動かなくなった。
「…だから、やめろって言ったじゃない…」
猛烈な吐き気をこらえ、地を這うように後退する。
不意に、自分の中に何かが入り込んでくるような感覚がして、目を見開いた。
黒い陽炎が、血溜まりや返り血の中から立ち昇り、自分の四肢にまとわりついた。
「…なに、これ」
驚いて目を見開いていると、それらはすぐに見えなくなった。
幻覚を見るほど、自分の精神は疲弊している…。
一歩も動きたくはなかった。だが、真莉愛や日良李がいる以上、戻らなくてはならない。
ふと、自分をこんなことに巻き込んだ女のことを思い出す。
(――…皇雪花)
こちらを気遣うような、観察するような瞳。
盗み見られているような感じが嫌いだった。
あの瞳は、いつか私の過去まで覗いてしまう気がして…。
(あぁー…脳汁出てる。絶対に今、脳汁出てるよぉ…)
ぞくぞくとした感覚が肌を粟立てる。
文字通り、起死回生のカウンターがドンピシャで決まった。
【うさぎ穴】は、何も自分たちが移動するためだけのスキルではない。
敵の軌道を完全に予測することができれば、敵を二体まで好きな位置に転送できる罠の出来上がりだ。
このアドリブ性の高さこそが、【うさぎ穴】の真髄である。
そして、今回の転送先は…。
雪花が小町姉妹の元へ戻ったときには、すでに真莉愛がランスを振りかぶっているところだった。
何がなんだか分からないといった表情のシーフ二人の上に、怒りの鉄槌が迫る。
「たあああっ!」
「あ、危ない!」
とっさに、片方のシーフが片方を突き飛ばした。
重厚なランスが相手の首をへし折る嫌な音が響く。日良李はその音だけで悲鳴を発していた。
庇われた形になったシーフは、死んだ仲間にも目をくれず、素早くアーチャーのところに戻った。
(味方のロストに対する、この切り替えの速さ!やっぱり、戦闘慣れしてる…一回、二回じゃないでしょ、これ)
さっきの挑発といい、狡猾な作戦といい、この躊躇のなさといい、間違いなく、相手は場数を踏んでいる。
「しっかりして!ほら、奥の手を使って!」
味方の死に青い顔をしていたアーチャーが、『シーフ』から激励と指示の言葉を受けてハッと我に返る。
(さっきから、指示を出しているのはあの人だ…やっぱり――いや、今はそれより『奥の手』を警戒!マジシャンのときみたいな奴だ、きっと!)
アーチャーが番えた矢の先端に赤い光が灯る。
前回の例がある。最大限の警戒をもって応じなければ。
「小町先輩、防御の構えを!」
「合点!」気合を入れてドッシリと盾を構える真莉愛に、眉をひそめる。「が、がってん…?」
だが、次の瞬間にはそんな余裕も消し飛んだ。
放たれた矢が盾に衝突した瞬間、ナイトの姿勢が大きく崩れたのだ。
「なっ…!?」
さらにもう一射、盾に直撃して火花を散らす。
「ぐっ…!」
真莉愛の苦悶の声に、慌ててパッドの画面を確認する。
パッドには戦姫たちの簡易的なステータスが載っている。真莉愛の体力はすでに半分を切っていた。
「日良李、回復を!」
言うが早いか、日良李がシスターの力で治療を始める。
「お姉ちゃん、頑張って!」
「日良李…!」
真莉愛の横顔に気力がみなぎる。体力もじわりと回復してきている。
(あんな火力、いつまでも続けられるはずがない。それなら、最初からそうしていたはず…!)
今回こそは、防御に徹することが突破口になる。
耐え凌げば、勝利は目前。心配するべきことがあるとしたら、同じミスを繰り返さないことだが…。
「ちっ、なにが『お姉ちゃん、頑張って』よ!姉妹でベタベタと気持ちが悪い!」
また挑発だ。いや、これは素で馬鹿にされているような気がする。
ぴくり、と青筋を立てた真莉愛の後ろから、日良李がむくれて言い返す。
「わ、私、そんな気持ちの悪い声出してないもん!」
「うっさい!お荷物は引っ込んでろ!」
「ぴっ…」
日良李が可哀想だったが、それよりも今はこの安い挑発に真莉愛が乗らないかどうかが心配だ。
もしも、再び真莉愛が激昂して前に出れば、あの鋭い一矢は自分へと向けられる。そうなれば、盾役の駒が召喚できない自分はもう終わりだ。
「小町先輩、安い挑発です!気にしたら負けですよ」
真莉愛はまるで返事をしなかった。ただ、鋭い眼差しをアーチャーへと向けるばかりだ。
「き、聞こえていますか?小町先輩…」
沸々とした怒りが、真莉愛の表情を染めていく。
「一度とならず二度までも…日良李のことをお荷物呼ばわりするなんて…」
「お、お姉ちゃん?」
「絶対に許せない…」
まずい、このままではまた暴走する。
「許さないわっ!」
案の定、真莉愛は防御を解いてしまった。
「先輩、お願いだから待って――」
予測が悪いほうに当たり、慌てて真莉愛を止めようとした雪花だったが、直後、彼女が取った行動に面食らう。
肩の高さに上げた右手を大きく引いて、一瞬だけ静止する。そして、目にも止まらない動きでランスを投擲した。
「たあっ!」
意趣返しをするような強烈な投擲。
空を切る音さえしないままに、大きな鉄の塊がアーチャーの体を弓ごと貫く。
ぞっとする破裂音と共に、アーチャーの姿が草むらへと消える。
「う、うわぁ…」
即死だ。間違いなく。
カタルシスを迎えた激情が、「ふぅ」と短い息を吐いた真莉愛の横顔を照らす。
「美しい姉妹愛を貶したこと、あの世で懺悔なさい」
端正な顔立ちだからこそ、恐ろしいものがあった。
同じ美人でも、真莉愛と紅葉は大きく違う。
鳥肌を立てながら、雪花は直感する。
小町真莉愛は、その心の中に絶対的な天秤を抱いている。
常に『小町日良李』へと傾いた天秤。
たとえ、反対側の皿に他の誰かの『命』を乗せても、傾きは変わりないのだ。




