3-5
「もとのじょうたいって?」
「足の長さがキチンと揃っていて、背筋が伸びている状態、って言うのが分かり易いかな。正しい体の姿勢を保てていると、体の傾きや猫背が無くなって、疲れにくくなるんです」
「それが、もとのじょうたい」
彼の話は難しい言葉が多い。それでも、フロースは何となく、整体の事がわかった気がした。ほんの少しではあったが。
「まあ、ノドゥス様の場合。数百年ほど歪んだままだったから、初めのうちは正常な状態に物凄い違和感が出ると思いますが。……いやでも、吸血鬼の場合はどうなるんだ? 翼が映えたりするなら、空を飛びやすくなるとか……?」
佐野は小声のつもりだったのだろうが、フロースにははっきりと聞き取れていた。その呟きの内容を、フロースは不思議に思う。
「せんせい。あたくしたち、つばさははえませんし、そらもとびませんの」
思わずそう答えた彼女に、佐野が驚愕した。
「そうなんですか!? え、蝙蝠に変身とかは……?」
「しませんの」
「なん、だと……!?」
その狼狽えっぷりに、なぜだか逆に申し訳なる。
(いせかいとのにんしきのちがい、というものなのだわ)
「え、えっと……と、ところで師匠! さっき違和感が出るって言ったけど、体が正常に戻るんじゃないの?」
項垂れたまま動かない佐野に、空気を変えようとアエラがそう質問した。フロースも、正常な事は良い事なのではと考えていたが、そんな彼女の心情を見透かしたように、なんとか立ち直ったらしい佐野が続ける。
「えっと、本来はそうなんだけど……。長年歪んだ状態が維持されていると、それが正しいと、体が勘違いするんだ。だから元に戻そうとすると、逆に違和感として認識しちゃうんだ」
「体が勘違いするの!?」
「じゃ、じゃあ、わたしたちのからだもそうなんですの!?」
衝撃の事実にフロースはアエラと顔を見合わせ、それぞれに体のいろんな部位を触る。
「この待ち時間に、患部をを温めておくと更に効果的です。せっかくなので、ラジオ波で温めておきましょう」
そう言って、ノドゥスの腰に佐野が両手を翳す。すると、彼のつけている腕輪が赤く輝き始めた。
すぐ隣に並んでいるフロースにも、その腕輪から発せられる熱が届く。そこそこの温度がありそうだったが、とても心地よく感じ、自然と瞼が下がってきてしまう。
(……はっ、いけない、ついうとうとしてしまいましたの)
ふるふると頭を振り、眠気を吹き飛ばす。
「熱くないですか?」
「……悪くない」
聞こえて来たノドゥスの声も、どこか蕩けているようだった。
「どのくらいこのままにしておくのです?」
カトゥが興味深そうに手元を覗き込む。
「大体、一〇ホーラエから一五ホーラエくらいですね」
「なるほど、そこまで長くはないんですね」
(カトゥひめさまも、セイタイをまなんでいらっしゃるの?)
熱心な様子に一瞬そう思うも、すぐに何か違うと勘づく。
(……もしかして、ひめさまは……)
彼女から佐野へと向けられる熱い眼差しの意味を、フロースは正しく理解した。同時に、カトゥが最大の恋敵だという事も。
(……あたくし、まけませんの! それに、おばあさまもおっしゃっていましたもの。恋は押し込んだ者勝ちだって!)
フロースは、ひっそりとカトゥに決意宣言をした。それを知る者は誰もいない。
「このあとは、どういたしますの?」
「時間が経ったら、もう一度足を揃えて歪みを確認をします。で、まだ足が短かったりしたら、ブロックの位置を調整して、また時間を置く。骨盤矯正はこの繰り返しになります」
腕輪から熱が引いていき、佐野は腰から手を離した。フロースは彼に再度指示された通りに、足を揃えて見る。
すると、不思議な事に両足の長さがほぼ同じになっていた。
「!! せんせい、すごいのだわ、ぴったりですの!」
「まあ、僕もそこそこ長く整体師をしているからね。これくらい朝飯前ですよ」
自慢げに厚い胸を張る佐野に、フロースは尊敬の眼を向ける。
(さすがヒーラー! すごいぎじゅつなのだわ!!)
「ここからもう一度、足を曲げた後に広げて、元に戻した後に最後のストレッチをします。……よし、フロースちゃん。ノドゥス様の腰をぐっと押してみてください」
「腰を……?」
「ああ、心配しないでください。今なら温めた効果で筋肉も緩んでるはずですから、普通に整体するよりも痛みは少ない筈です」
やはり説明の大部分は分からなかったが、先生が言うのだからと納得したフロースは、ちょっと迷ったものの腰を押してみる事に。台ごと場所を移して、恐る恐る体重を乗せていく。
「一気にいくんじゃなくて、そっと力をかけてくださいね」
「そっと、そっと……」
アドバイスの通り、徐々に力を入れる。時折ノドゥスが呻いたが、痛みは少ないらしく、叫ぶまではいかなかった。
「おじいさま、どうですの?」
「うく、いや、大丈夫だ。少なくとも、サノの時より痛くない」
「良い事ではあるんだけど、そう言われるのはなんだか癪です」
不満げに溜息を吐く佐野に、ノドゥスがくつくつと笑って見せた。
「ねえちゃん、おれたちにもやらせて!!」
「ぼくも、やるー」
「じゃあ、順番にやってもらいましょう。フロースちゃんには、また別の整体を教えますね」
フロースに纏わりつく双子達を宥め、佐野がそう提案する。彼らは大人しく従い、ノドゥスの腰から離れたフロースに変わり、順に整体を手伝い始める。
フロースはきゃらきゃらと笑う従兄弟達を見ていて、とても嬉しく思った。彼らのあんな表情は、久しく目にしていなかったのだから。
(こんなきもち、ひさしぶりですの。これも、せんせいのおかげですの)
弾むような心に少女は頬を赤くさせながら、目の前で整体を教える人族を見つめていた。
「……よし、二人とも、一度ノドゥス様から降りて下さい」
気が付けば、二人揃って乗っかっていた双子を佐野が降ろす。物足りなさげなマグヌス達だったが、彼の言う事には従うようだ。
「ノドゥス様、一度立ってみてもらえますか?」
佐野の言葉に、ノドゥスがベッドから起き上がる。拘束されていた手を自由にしてもらい、一度深呼吸すると、彼は意を決したように立ち上がった。
「……お、おお!! 痛みがない!!」
彼は感動したように、自身の腰をペタペタと触っている。
「しばらくは、歩く時に変な感じがあるかもしれませんが、いずれ慣れてきます。骨盤矯正は平均で一〇日から二週間の周期で繰り返し施術すると、尤も効果的ですが……数百年単位のブランクがあるノドゥス様では、数日置きにしたほうが良いと思います」
呆れたように苦笑する佐野に、ノドゥスは苦虫を嚙み潰したような表情で、渋々分かったと返事をした。
「これに懲りたら、出来るだけマメに足を運ぶなり、出張を呼ぶなりしてくださいよ」
「クラルス様の言う通りですよ。体は正直ですからね」
(からだが、しょうじきですの? でも、さっきはかんちがいをするって……)
施術の話をしていた時とは矛盾する単語に、どういう事だろうかと思う。考えるフロースに気付いた佐野が眉を下げた。
「仕事のやり過ぎで疲れたり、怪我をしたりすると、体は痛みや怠さで教えてくれるんです。でも、人はちょっとでも大丈夫だって思っちゃうと、それを無視してしまう。自分は大丈夫、まだいけるって」
(なんだかそれって、おじいさまみたいですの)
いつも、大丈夫だと誤魔化してばかりだった、祖父の背中を思い出す。
「けれど、そればっかり続けていたら、体が悪い事を良い事だって思いこんでしまうんです。さっき言ったみたいに、勘違いしちゃう」
「だから、もっとわるくなっていくんですの?」
「そう、その通りです」
正解だと佐野の大きな手が、頭を撫でた。さっきの腕輪の影響か、まだ温かい。
「体は正直だけど、喋れない。僕達は、こうして話せるけど、思い込みで何でもないと黙っちゃう。それだと、また悪い事を見逃したままになってしまう」
彼の指が、フロースの髪に沿って流れて落ちた。
「僕ら整体師はね、そんな体の声をみんなに届けるのも一つの仕事なんです」
佐野が目を細める。笑っているような、何かを我慢しているような、そんな顔をしていた。
「自分の体の事って、知ってるようで気付いてない事も多いんですよ。だから、本人の代わりにその声を聞いて、届ける。それが、僕の整体のもう一つの仕事だと、そう思ってます。言葉にしないと伝わらないこともあるし、意識しないと聞こえない事もある。その一端を、お手伝いをさせてもらうんです」
語られる言葉の一つ一つに、フロースは目から鱗が落ちるようだった。
思えばこれまでの二百年間、彼女がノドゥスとまともに話し合った事はない。
祖父から避けられていた事のショックと、それに対する怒りで、対話をするという選択肢が頭になかったのである。
佐野の話を聞いて初めて、自分は祖父と満足に語らう事もせず、互いに一方的な考えで過ごしていたのだと気付いたのだ。
「……あの、おじいさま」
「どうした、フロース」
言葉が続かず、俯いてしまう。それでも。
(ちゃんと、つたえなきゃ)
「きらいだなんていって、ごめんなさい、ですの」
絞り出すように呟いて、鼻の奥がツンとする感覚に、歯を噛みしめる。震える手を握りしめて、泣きそうなのを堪えて。
「で、でもね、おじいさま。あたくしたち、なにもわからないまま、おじいさまにさけられていましたの。どうすればいいのか、わからなかったの……」
心の内に秘めていた事を話せば、ノドゥスは自由になった手で頭をかいた。
「……そうだな。私も、きちんと話をすれば良かったな。すまなかった」
「……うん」
祖父の低い声が、優しくフロースの耳を擽る。
「二百年前のあの日。お前を抱き上げた瞬間に、激痛に苛まれてな。少しでも重さがある物を持つと、それだけで痛むんだ。だから、お前さん等を抱き上げる事も出来なかったんだ」
「……あたくし、そんなにおもいんですの?」
「だっ、いや、そうじゃなくてだな!?」
焦った様子にちょっとすっきりとしながら、フロースは冗談だと言った。
「でも、そうならそうといってくだされば」
「あー……まあ、あれだ」
言いにくそうに、彼は言葉を濁す。その続きを催促することなく待てば、意を決したように彼は呟いた。
「……孫にはな、かっこいい爺様だと思っていてほしいんだよ」
そうして、ノドゥスは黙り込んでしまった。彼の言葉を嚙み砕いて、その意味を理解したフロースは、心が満たされていく気がした。
「……おじいさまは、いつもかっこいい、さいこうのおじいさまですの!」
「おれ、おじいさまのことすきだぜ!」
「ぼくね、おじいさまのことも、おはなしも、だいすき」
「あうあうあー!!」
今まで事の成り行きを見守っていたマグヌスとドルミートが、自分もと集まって来る。
「お前達……」
「ふふ、良い子達に育って嬉しい限りですね、貴方」
クラルスの言葉に、ノドゥスはなにも言わなかった。なんだか震えているようにも感じたが、フロースには、手で顔を覆った彼の表情は見えない。
「サノせんせい、おじいさまは……マルをだっこしても、だいじょうぶですの?」
「この感じなら、あまり重くないものでしたら、持っても大丈夫ですよ」
「!! おじいさま!!」
それを聞いたフロースは、クラルスからマルガリータを預かると、彼女をノドゥスに差し出した。一瞬躊躇したが、彼は一番幼い孫娘をそっと抱きかかえる。
「……あぶー!」
「くく、そうだ、お前のお爺様だぞ」
しばし誰だっけと言いたげだったマルガリータは、自身を抱いているのがノドゥスだと気付くと、ばあっと笑って両手を伸ばした。
その反応に、ノドゥスは至極嬉しそうにしている。
「……!! サノせんせい!! 本当にありがとうございましたなの!!」
フロースは祖父に笑顔が戻ってきたことが喜ばしく、つい佐野に飛びついた。
「~っ!!」
「か、カトゥ、どうしたの!?」
アエラとカトゥが何かしているのが聞こえるが、喜びに有頂天になっているフロースには関係ない事だった。
「いやいや、御礼をいうのは僕の方ですよ。本当にありがとうございました」
「ふふっ、わたしはおじいさまのまごですから、とうぜんのことですの!」
胸を張って答えたフロースに、佐野が優しく微笑み返す。
「せんせいには、なにかおれいをしなくてはいけませんの」
「いやいや、僕は仕事をしただけですから、御礼だなんて」
「そうはいきませんの! あ、いいことおもいつきましたの! せんせい、ちょっとかがんでくださいの」
そう言えば、彼はどうしたのかと言いたげな顔をしながらも、床に膝を付いた。
「おれはこれで」
——ちゅっ
「え」
しゃがんだ佐野の頬にキスをしたフロースは、してやったりと笑て見せる。
視線の先にはメラメラと嫉妬の炎を燃やすカトゥと、そんな彼女を抑え込むアエラとフロースの父ノックス。
一方、祖父も爆発寸前のようで、クラルスや叔母のミコーがどうどうと抑え込んでいる。
(ふふ。カトゥひめさま、こういうものは、はやいものがちですのよ)
固まったままの佐野を見つめながら、一人勝ちしたようにフロースは微笑んだ。
次回更新は、9/15(金)予定です。




